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★死期を自分で決める

2019年10月 7日

数年前著名な学者が自殺しました。78歳でした。
論客が自分の死は自分で決めるという選択をされたことに敬意を表します。
本人の意思とは関係なく 病院のベッドで多くの管につながれ、ただ生きているというだけの余生に何の意味があるのか 。
元気で活動できるならともかく、植物人間として100歳まで生きて誰が嬉しいか。
認知症で家族すらわからなくてそれでも生き続けたいと思うのか。
私もけっして他人ごとではないと思います。
以下、五木寛之さんの「孤独のすすめ」から引用です。
 
「ピンピンコロリ」が、ひとつの理想の死に方だと言われてきました。
しかし、そんな状態で逝ける人は、実際にはごく少数派でしょう。
医療技術の長足の進歩の結果、私たちは簡単に死ぬことができなくなりました。
すでに外界の刺激に反応することもなく、自らの力で食べることも飲むこともかなわず、胃袋に直接通したチューブから栄養を摂取して、植物状態で生きる。現在もそういう状態で病院にいる人は少なくありません。
「人生百年時代」には、どれほどの数に上るのか、見当もつかないくらいです。
そうした状態でも、私たちは生きていたいのか。敢然と「ノー」を突きつける人も、徐々に増えてはいます。しかし、いわゆる「尊厳死」がこれだけ長い期間議論されながら、日本ではいまだに法的には未整備ですし、社会的容認にはほど遠いのが現実です。人は、自分の意志とは無関係に、この世に生まれてきます。ならば、しかるべき人生を全うした後に「退場」する時ぐらいは、自分の意志で決められないものだろうか。私は、そんなふうに考えることがしばしばありました。
「日本人の生と死」をマクロで見つめてみると、また別の「新たな局面」も見えてきます。日本の人口問題を語るキーワードが、「少子高齢化」から「人口減少」に移行しつつあります。なぜ人口が減るのか。当面の主たる原因は、「子どもが多く生まれない」からだけではなく、「高齢者が死ぬ」からです。
これまで、「高齢化」という言葉の陰に隠れて、その事実が見えにくかったような気がします。「人間、いつかは死ぬ」のです。
しかも、これからの日本で間違いなく起こるのは、超高齢社会につづく、未曽有の「大量自然死」の時代です。
 
                                                              『孤独のすすめ ~人生後半の生き方』 
                                                                         五木 寛之 著(中公新書ラクレ)

 地域の病院から紹介されて私が通院した国立横浜医療センターの若い女性医師は1年間一回も私の顔も見ず、脈も取らず、聴診器もあてずひたすら電子カルテを打ち込むだけで、「糖尿だから糖質はダメ、米、パン、うどん、そば、とんでもない」「高血圧だから塩、醤油ダメ」「果物ダメ、長生きしたいと思ったら全部ダメ」というので それなら何を食べればいいんですかと質問しました。
「薬だけ飲んでいればいいんです」と一言。
憤然と席を立って出てきました。
患者をただ薬を消費する動物としてしか見ていないようです。
さて一方で超高齢社会は中高年世代の自覚も必要と五木さんは説きます。
年よりはいたわられるものではなく、年よりでも果たすべき責任や自覚が必要と説きます。
さらに引用続けましょう。

「老人階級」が階級として世の中に受け入れられる条件。
それは、不可能とも思えますが、「自立すること」につきると思います。
まず一定以上の収入のある豊かな人びとは、年金を返上すればよい。そこは制度的に判定できるはずです。何歳になろうとも、働ける人は働く。そして、十分な収入があるのなら、そのぶん年金は減らすようにするのです。
年金をもらわないことを「損だ」と考えるのではなく、ちゃんと社会に還元するのだ、と考える。
二つ目の提案は、「選挙権の委譲」です。
今の日本では、投票率は年齢が高くなるほど高まる傾向が顕著です。
ですから、政治家は高齢者に有利な政策を並べ立てることになる。
もちろんそれは、投票に行かない若者たちの責任でもあるのですが、それはそれとして、高齢者の側があえて選挙権を後の世代に「譲る」度量を持つべきだ、と私は思うのです。
実際に、経済をはじめとする国の屋台骨を支えているのは、勤労者世代です。若者たちには、これからその役割を担っていってもらわなくてはなりません。そういう人たちがよりよい生き方をできなかったなら、国は衰退していくでしょう。逆に言えば、下の世代が安心して働き、暮らせる環境があってこそ、「老人階級」の生活も保障されるのです。
高齢者には、年の功があるでしょう。しかし、判断力が鈍ったり、柔軟な思考ができなくなったりと、「有権者」として心許ない現象が顕著になってくるのもまた、認めなくてはならない「不都合な真実」ではあります。
 
少なくとも百歳以上の高齢者が、自主的に選挙権を返上することは認めていいのではないでしょうか。
また、超高齢者の選挙権を悪用されているケースも少なくない。
                
                                                            『孤独のすすめ ~人生後半の生き方』 
                                                                       五木 寛之 著(中公新書ラクレ)
 
高齢社会の生き方が真剣に問われています。