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2021年3月31日

★さらば青春

2021年3月26日

★ジャーナリストとは何か

2021年3月25日

★マスコミは死んだ

2021年3月24日

★8月の東京はどうなる?

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2021年3月のバックナンバー

★さらば青春

2021年3月31日

数年前タイを旅行した時、日本語ガイドの現地の人がこんな話をしてくれた。
「昨日のお客さんは森田健作千葉県知事でした。ショッピングセンターで秘書と二人で千葉県の梨の売り込みに来て試食の梨を剥いていました。感動しました」
森田知事は県民の支持が大変厚かった。
県産品の輸出のためにアジア各国を巡りトップセールスに努めていたことはよく知られている。
また最大の功績と言われるのが、東京湾アクアラインの大幅通行料値下げだった。開通したもののあまりにも高い通行料でガラガラだったアクアラインが、普通車800円となって渋滞するくらいの利用度となった。これまで千葉県と東京方面とのアクセスは船橋や市川を通る京葉道路経由が圧倒的だったが、アクアラインの活性化で東京・神奈川への玄関口として木更津ルートが大きな役割を果たすことになった。千葉県は房総半島方面へ懐が深い県だけに房総半島へと人の流れるパイプとしてアクアラインを使ったルートが大きな役割を果たせるようになった。
その森田知事がまもなく12年の任期を終えて引退する、
任期後半は震災の津波対策や、台風被害、そしてコロナと続き、さすがの「青春の巨匠」もお疲れが目立っているように見えた。
知事は、今後は「最後の青春」に挑戦するという。
まずはお疲れ様とも申し上げたい。
 
余談だが、森田健作は黛ジュンが主演した映画「夕月」のオーディションで俳優デビューした。そのオーディションで私は落選したのである。
 

 

★ジャーナリストとは何か

2021年3月26日

ジャーナリストとは良心を売る商売だ。
この国では大学を出て、いわゆるマスコミ企業に入って初めてジャーナリストになったと世間は認める。
そしてサラリーマンとして給料をもらうから「社畜」となっていいのではなく、いつでも社の方針と自分の良心が一致しなければ、辞める覚悟がなければいけないと考える。
私はNHKに入った時、最初の研修で書かされた日記にこう書いた。
「三つの誓い。 
①  NHK在職中、年収の三倍の貯金を持つ 
②  在職中子どもを作らさない 
③  在職中決して住宅ローンを借りない」
つまりいつでもNHKを辞められるようにしておくことだった。
そして自分の良心と相いれないNHKの体質を許さず、公約を守って12年で退職した。そのことが我が人生最大の誇りだ。
新聞や放送の職にいれば、時の権力者の批判さえしなければならぬのに,給料をもらっているというだけで上司や社の方針に従わざるを得ないという人間はそれだけでジャーナリスト失格だ。
良心のみに従うのがジャーナリズムなのだ。
サラリーマン根性を持ったらできない仕事だ。今この国で働く新聞や放送を職業とする人たちがこの国の今の状況で東京オリンピック・パラリンピックを開催するという社の方針にみんな賛成しているのか?
そこに疑問の声をなぜ上げないのか?
五輪公式スポンサーになっている新聞社や、受信料徴収のために五輪大会は絶対放送権を確保したいNHKの考え方に一致せず、五輪反対の立場なら個人で職を辞すか、労働組合等で反旗を翻すか、せめてSNSで自己の立場を表明し社の方針はおかしいと発言しないのはなぜなのか?
一人として勇気あるジャーナリストの声を聞かない。
この国のマスコミが大政翼賛会的に一様に五輪開催に疑問の声をあげず、外国のマスコミがこぞって五輪開催に否定的なことをどうしておかしいと思わないのか?
サラリーマンジャーナリストは成り立たない。
偉そうにジャーナリストなどと言わないでもらいたい。
君たちに総理大臣を批判する資格なんてないのだから。

 

★マスコミは死んだ

2021年3月25日

聖火リレーが始まるそうだ。
第4波の感染が言われる中で、始まるそうだ。
世界が感染を抑え込んだ証としての五輪と言うけれど、抑え込んだって誰が言ってるのか。
新聞各紙の社説を精読したが、海外からの観戦客を招致せずを評価して、五輪の開催に反対を言う社説は一社もない。
私は新聞の購読を中止する。
この国の新聞はジャーナリズムなどと呼べない。
社会の木鐸なんてふざけるな。
社会のボンクラだ。
五輪スポンサーになって魂を売るようなマスコミはそろばん勘定しかできない、報道の看板を下ろせ。。
恥ずかしいと思わないのだろうか。
国民を危険にさらしてまで自社の商売を考えるのはジャーナリズムではない。
こんな社の方針に反対しない記者たちはジャーナリストなどと呼ぶに値しない。
看板を下ろせ。
おまえたち恥ずかしくないのか。
社の方針がおかしいと新聞労組が反対声明を出すことさえなくなった。
この国のマスコミは死んだ。
 

★8月の東京はどうなる?

2021年3月24日

たまたま8月前半に都内に宿泊する必要があり、検索サイトでホテル探しをした。
驚いたのはどこのホテルも軒並み通常よりも価格設定が高いことだ。
ビジネスホテルシングルでも2万円台がザラ。高級ホテルともなると10万円以上もある。
なるほど、オリンピックか・・・。
コロナでホテルはどこも価格競争に走っていたことを思うと、本当に久しぶりの強気の値付けだ。
もっとも本当に五輪はあるのか、海外からの観戦客を受け入れないのにホテルは大丈夫か、などまだ不安要素は残る。
それはそれとして、7月後半から8月にかけて都内の五輪シフトが遅ればせながら始まっているようだ。
ちなみに私は川崎のビジネスホテルを予約したが、川崎周辺は大きな変化は今のところないようだ。

★海外から観客ゼロの五輪なんて・・・

2021年3月23日

東京五輪・パラリンピックの新型コロナウイルス対策を巡り、政府や国際オリンピック委員会などは海外からの観客を受け入れないことを決めた。変異株の流入をなるべく抑え国民の不安を解消するためだ。ただ、国民の過半数が開催を望んでいないという世論調査に加えて、欧米やアジアのメディアもこぞって開催に懐疑的ななかで、それでも開催にこだわるIOC,組織委員会、あるいは日本政府の姿勢が理解できない。
平和の祭典として世界中から人が集う五輪・パラリンピックに海外客が来なければ、大会を招致した意義の大部分は失われてしまう。大会には100万人規模の海外からの観客が来日する想定だった。国内の観客だけに限定し、さらに観客数の上限を競技場の収容数の50%以下にした場合、経済損失は1兆6258億円になるという試算もある 大会のチケット収入は約900億円が見込まれている。販売済みの海外分は63万枚で払い戻しが必要になる上、観客数の上限を50%にすれば大会収入は激減する。また組織委は海外のボランティア受け入れも見送る方針だという。
こんな中途半端な大会を強行するよりも、何年か先に改めて招致しなおすことに全力を挙げるのが組織委員会と政府の務めだと思うのだが、五輪開催を今年秋までに行われる総選挙の材料にしていると勘繰られても仕方がない。国民の安全を人質に誰も反対を言いださず突き進む姿は、戦争へと猛進した戦前の日本政府と合わせ鏡のように見え空恐ろしささえ感じる。また当時戦争反対を主張せず戦時は購読数が増えると戦争へのお先棒を担いだ新聞社と、今回自らがスポンサーの立場にあることで開催中止を言わない日本のメディアは少しも変わらない。世界のジャーナリズムの中で汚点をさらすことは間違いない。

★勤勉の次の一手

2021年3月22日

戦後日本が高度成長を達成した理由として「勤勉な国民性」というものが指摘された。
その勤勉性とはつまるところ何だったのか?
そして本当に日本人は勤勉なのか?
勤勉とはそもそも何を指して言うのか?
その後日本の成長が止まったのは、日本人が勤勉でなくなったからなのだろうか?
 
日本の高度成長の本質は欧米キャッチアップ型の製造業の生産性向上にあった。
勤務時間内にさぼることなく、また需要が多い時には残業や休日出勤も厭わない、そんな工場労働者の勤勉性が日本を支えていた。事実当時の日本の年間総労働時間は欧米に比べて大きく上回っていた。企画やデザインを創造する仕事の成果は労働時間と必ずしも相関するものではないが、工場生産に限っていえば確実に生産量は工場の稼働時間に比例する。
オイルショック、バブル崩壊、リーマンショックと時代は変遷し、資源の制約や産業構造の変化など経済環境も大きく変化した。その間日本企業でも完全週休二日制の普及、祝日の増加に加えて長期休暇取得の推進などもあり年間総労働時間数は激減した。
日米だけを比較しても1988年にアメリカの年間総労働時間1962時間に対して日本は2189時間と200時間以上多かったのに対して、2003年にはアメリカ1929時間に対して日本は1975時間とその差は50時間を切るまでになり、その後も縮小傾向は続いている。また休日数は現在日米ともに127日とほぼ同じになっている。
日本人の勤勉さとは単なる労働時間が多かったということであれば、この時点で日本の優位性は失われたことになる。
昭和から平成に変わり、外国人労働力を誘致する、あるいは海外に拠点を移すことで「日本人ではなく日本企業の勤勉性」を維持し優位性を確保する取り組みも進められた。
しかしそれも平成の後半から令和にかけてゆきづまりをみせる。
国家の盛衰が工業生産よりもITなどソフト開発力による時代となり、工場労働者の生産性がカギを握る時代では必ずしもなくなったからだ。
年功序列、終身雇用に代表される熟練労働力を抱え込む日本的経営とは違い、優秀なソフト開発者が会社間はもとより国境さえも越えて活躍する時代になった。
勤勉性よりも、個人の創造性を育みいかに活用するかが問われる時代の到来である。
一週間に働くのは三日でも、アイデアを形に変えられる人が勝つ時代である。
そう考えるとオフィスに縛られない在宅勤務、テレワークの時代がコロナ禍で早く来たことは、日本企業に変革を迫り、新しい時代に対応する仕組みつくりの機会と捉えなければならない。
日本の製造業の代表格である自動車産業が、世界のIT産業と戦う自動運転・EV戦争はその象徴でもある。

 

★春の到来

2021年3月19日

例年よりも早い桜の便りが届くなか、春のセンバツ高校野球が開幕した。
またプロ野球公式戦の開幕も目前だ。昨年は甲子園大会は中止、プロ野球の開幕も延期されたことを考えると、依然コロナ問題は解決しないものの確実に「ウイズ コロナの時代」への対応は進んでいるのだと思う。
思えば一年前の今ごろ「ZOOM」と言う名前さえ知らない人が大多数であった。
今まで通りとはいかないが、知恵と技術で三密を避けるなど感染予防の工夫が進み、コロナに負けない仕組みつくりが社会の中に備わりつつある。
何とかこうした工夫で困難を克服し、そのうえでワクチンが普及、だれもが感染を気にせず元の日常を取り戻せるようになる日が来ることを待つしかない。
 
それにしてもマスクなしの生活をいつとりもどせるのか?
私は、あと3年はかかるとみる。
ワクチンが希望する国民に行き渡るまで1年、その効果が出て感染者が激減しても、マスクをはずして大丈夫と国民の多くが思うようになるまでにはさらに2年はかかるのではないか。

鬱陶しいマスクはずし、出かけませんか、もうすぐ春ですね。
こんな日がいまから待ち遠しい。

 

★宣言解除でも気分は晴れない

2021年3月19日


首都圏の緊急事態宣言が解除されることになった。
めでたし、めでたしという人はいないようだ。
東京はじめ大都市の感染者はここにきてむしろ増える傾向にある。
病床状況の改善といった理由よりも、本音は聖火リレー開始に間に合わせたのではという意見のほうが説得力を持つ。
国民の健康よりもまず五輪を開催し、総選挙へという思惑が垣間見えるというわけだ。
変異ウィルスへの不安が出ている中で、世界中から選手や役員を集める五輪大会をやることへの説明がないことに国民の不安は高まる。
ブラジルなど南米やアフリカ、そしてアメリカなど感染拡大が深刻な地域から選手を招請する一方で、国民には引き続き自粛を求めるといういい加減さは、太平洋戦争になだれ込み国民に犠牲を強いた体質と少しも変わらない。
たとえば積極的に辞退届を出した人以外のボランティアに組織委員会は引き続きボランティアをやる意志があるか確認を取っていないが、果たして気持ちよく大会運営に協力してくれるか、家族などから反対がないかなど疑問だらけだ。
疑心暗鬼が春の列島に覆いかぶさっている。

 

★引き際

2021年3月18日

 
現在の日本では65歳定年を採用している会社が多い。
しかし平均寿命が80歳を超えるいま、まだ65歳は元気いっぱい仕事を続けたいのに不本意ながら「老後の生活」を過ごさざるを得ないという人も多いようだ。
人により体力差があるのだから65歳で一律に引退しろということに抵抗を感じるのも事実だろう。
引き際は自分で決める。
サラリーマンには難しいが、スポーツの世界ではそれができるはずだ。
50歳になっても現役を続けるサッカー選手がいてもいい。
白髪が目立っても天才打者ならバットを振り続けることもできるだろう。
相撲はどうか?
体力が衰えて負けが多くなれば番付が下がるから、自分で引き際を痛感するものだ。
では番付が下がらない横綱はどうだろう?
もはや角界の頂点に君臨し責任を果たせないと自覚すれば、自分で引退せねばならない。
それなのに、2年近くも休み続けて休場するたびに来場所は進退を賭けると言いながらさらにまた休みを繰り返すというのは、横綱としての常識に欠けると言わざるを得ない。
相撲は「相撲道」だ。礼に始まり礼に終わる。
神に奉納する伝統ある武道の頂点にある横綱という自覚、責任が感じられないことこそ問題だ。
NHKでは、日本相撲協会に批判的な言動はまずありえない。
中継放送で横綱批判はタブーだ。放送終了後のスタッフミーティングでは散々悪口を言っても、放送本番では当たり障りのないことしか言えないのだ。
大相撲は受信料を全国で徴収する最大武器であり、以前のように民放が放送権を奪いにこないとも限らない。かつて、相撲中継のメンバーだった私は以前から切歯扼腕していた。
引退後の身分保障という横綱の個人的な理由は、引き際で考えてほしくないものである。

★彼岸の入り

2021年3月17日

  
暑さ寒さもというが、暦通り彼岸の入りに合わせて春らしくなってきた。
前橋も梅に早咲きの桜、モクレン、菜の花にスミレと歌詠みには忙しい。
私は今年の彼岸を前から意識していた。
コロナ不況にもかかわらず上昇してきた株価がいつ下降し始めるかと考えたとき、「節分天井彼岸底」と言う兜町の格言を頭に置いていたからだ。
例年株価は年明けから上昇し節分のころに天井を付けた後、三月の期末に利益確定で「売り」が先行しがちとなり、3月後半の彼岸の頃に株価は「底」をつけるという意味だ。
日経平均株価が30年ぶりの3万円を付けたのがまさに節分のころ、その後はやや伸び悩みの状況となっている。
中央銀行の資金供給と、株の買い入れもあり、足元の景気後退にもかかわらず株価は上昇し続けてきた。
もし株価が下落したままであれば今以上に景気は悪化していたと思われるから、これは決して悪いことではなかったと思う。
しかし、アメリカ経済のように「GAFA」のような経済をけん引するような企業群やワクチン製造の世界的メーカーがあるわけでもなく、今の日本経済の状況を考えると現在の株価は実体と大きく乖離し期待値で上昇、実体を伴っていないと思わざるを得ない。
いつか反転の時を迎えると考えるのが自然だ。
それはいつか?
いちばん近い可能性はまさにこの3月期末、あるいは東京五輪の開催がたとえ強行されても大幅に規模を縮小した大会になった時、総選挙で与党が惨敗し政局が混迷した時、そして日銀総裁の交代により金融政策に変化の兆しが現れる時、などが考えられる。
コロナは全治5年と思われるが、たとえコロナが終息してもそのころには日本経済は高齢化ピークとなり、経済環境は相当深刻になっているはず。
日本経済を救うワクチンがまだ見つかっていない以上、株価は近い将来経済の実情を反映したものになるというのが過去の経験則である。

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