「西村晃のマーケティングの達人 大繁盛の法則」企業経営・売上アップのヒントを提供

今週のズバリ

最新記事

2020年8月 3日

★「50%経済」へどう対応するか

2020年7月27日

★追い詰められた観光都市

2020年7月17日

★不況下の株高

2020年7月10日

★99.9%減の衝撃

バックナンバー

★「50%経済」へどう対応するか

2020年8月 3日

ようやく営業を再開したレストラン、4人テーブルに座れるのは対面を避けて二人だけ。
なるほど、でも満席でも今までの半分しか収容できない。
映画館も一人おきに座らせるので、定員の半分くらい埋まれば満席。
野球など5万人収容のスタジアムに無観客が5000人までは入れるようになってホッとしているが、所詮1割だ。やがて半分は埋めるようになるとは言うが・・・。
百貨店販売、自動車販売、マンション販売なども4月の緊急事態宣言下では前年比マイナス90%の惨状だったのが5月以降回復してきたとはいえ、ピークからみればマイナス50%くらいに戻った程度である。
 
近年日本の人口は減少トレンドに入っているがそれでも大きく消費が落ち込んだという感じでなかったのは、外国人観光客が急増し旺盛な需要があったことと無縁ではない。その外国人観光客はもし今年オリンピックが行われていたら目標の年4000万人に近づいていたかもしれない。それが事実上ゼロになっている。いま日本の人口約1億2000万人のうち、消費者としてカウントできるのは収入がない未成年と、日々の食料品以外大きな消費をしなくなる後期高齢者を除けばざっと8000万人くらいだろうか。その8000万人の消費人口の半分程度にあたる4000万人の「外国人消費者」が消えたのであり、当分回復は見込めない。
半分、50%が今後の経済を考えるポイントではないか?
マイナス90%よりは回復してもしばらくはマイナス50%、つまり半分の経済に耐えねばならぬ。
いかに50%経済で成り立たす仕組みを考えるか、ここが生き残りのカギだ。
 
思えば毎年10%程度の高度経済成長を続けていた日本が1970年代前半の第一次石油ショックにより大打撃を受けた。その後それまでの半分の5%程度の安定成長へと移行してゆく。
問題は経済成長半減で日本は不幸になったかである。公害問題を克服し、省資源型の産業構造に転換した。いわゆる重厚長大型から軽薄短小型経済への移行であった。つまり10%成長が半分になっても決して日本はダメにはならなかったのだ。
その後バブルを謳歌する時代もあったし、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代も来たのだ。
50%でも生き残れる経済を作ろうではないか。
道は必ず開けるはずである。

★追い詰められた観光都市

2020年7月27日

四季を通じて魅力を発信する観光都市京都は,街全体がマーケティングセンスにあふれている。春は花、秋は紅葉と何度訪れても飽きない魅力を京都は提案し続けてきた。
その京都の夏の魅力は祇園祭や大文字焼きといったイベントだろう。
しかし今年は祇園祭のハイライト山鉾巡行が中止となり、また8月の大文字焼も、山に「大」の字状に火をつけることは中止され、大の字の隅の5か所と三つの線が交わる中心点の、合わせて6か所だけ火をつけることになったという。
観光イベントとしてはやめても盆送りという本来の意味の行事は続けるわけだ。この規模縮小を受けて関係者が地元テレビのインタビューで「お客さんがこんな大文字焼ならつまらないと思われるようなイベントにします」という迷コメントで複雑な心境を語っていた。
2019年の京都観光総合調査によると京都市を訪れた観光客数は5352万人。
このうち外国人が886万人、日本人は4466万人だった。
また宿泊客数は1317万人で外国人はこのうち3割の380万人に達していた。
いま外国人客の大半と日本人客の多くが失われ、観光都市京都は宿泊施設や飲食業の休業や廃業が相次いで頭を抱えている。
 
6月末に京都を歩いたが、この時期例年は多い修学旅行生を全くと言っていいほど見なかった。南禅寺、哲学の道、銀閣寺、仁和寺などを回ったが、どこもガラガラ。雨が降った日の二条城に至っては観光客は私一人で貸し切り状態だった。
 
今は行政が資金援助で支えるしか方法がない。
そしてコロナが収束する以外に京都を救う道はない。
一企業や個人では、どうあがいても生き残りは難しい。
人知を超えたレベルの苦境で、この状態が長引けば京都をはじめ観光都市は間違いなく死滅する。
 
今この国は明治維新以来の大きな危機に直面している。
 

★不況下の株高

2020年7月17日

次々に発表される経済指標は最悪なのに、なぜか株価は底堅い。
バブルが崩壊したときのあの半値以下に沈んだ株価を知っている身から見れば不思議な現象だ。
出現している事態に後から理屈を並べることを「後講釈」という。
 
曰く、「これ以上悪くならないと思うから、今後は景気は良くなるという期待値でも株価は上がる」
「中央銀行がかつてないほど潤沢な資金供給を行っており、当面その資金が設備投資には向かわず、株式市場に流入している」
「アフターコロナを睨んで新たな社会構築への投資期待で株価は上がる」などなど・・・。
 
先日あるテレビの経済番組で、証券アナリストという人が「オフィスビルの需要が大きく増すので株価に期待」として個別銘柄を紹介していた。
でも、テレワークで在宅勤務が増える、あるいは新規採用を絞ったりリストラが進む中で、オフィスビル需要が高まるとは如何にも不自然、と見ていた私は思ったものだ。
するとそのアナリスト氏、
「ソーシャルディスタンスで、オフィスの一人当たりの必要スペースが増えるから、オフィスビルの需要が増す」と説明していた。
 
はて?
皆さんはどう思うだろうか?
ちなみにこのコーナーの最後にアナウンサー氏は
「あくまでも投資は個人の判断でお願いします」とわざわざ断りを入れていた。
「無責任な言いっぱなし」と言われない用心なのだろうかと笑ってしまった。
 
株価が下がれば、「絶好の買い時」、
上がれば、「買わないリスク」、と言ってのける証券会社は
どんな時でも太鼓をたたくのが仕事なのかもしれない。


 

★99.9%減の衝撃

2020年7月10日

99.9%減。
誤差のレベルを除けばほとんどゼロになったということだ。
観光庁が発表した5月の訪日外国人旅行者数(推計値)は、前年同月比99・9%減の1700人だった。4月の2900人を下回り、1964年以降で過去最少となった。本来ならばオリンピック・パラリンピックの本年の外国人観光客招致目標は、4000万人だったはず、この惨状に声もでない。
4000万人か実質ゼロかでは天と地ほどの差がある。
すでに日本は人口減少期に入っているし、おまけに高齢化も進んでいる。特に後期高齢者ともなれば消費は自然と減るものだ。その国内消費の衰退を補っていたのが、外国人観光客の旺盛な消費だった。
それが消えた。
しかも現状を考えれば、しばらくは回復の見込みは立たない。
この一点だけとってみても日本経済は危機的状況が続くことは間違いない。
外国人4000万人を想定していた産業としては、ホテル、交通機関、都心型の百貨店やコンビニ、レストラン、ドラッグストアのほか観光名所の土産物店など小売り・サービス業がまず考えられるが、彼らの購買を前提にしていた化粧品やブランド品のメーカーなどにも影響は広がる。
銀座や新宿、心斎橋や天神など全国の主要繁華街の顧客に占める外国人の割合がいかに多かったか。まして高額商品の購入者に占める外国人の割合を考えてみれば事態は相当に深刻だ。
コロナ危機は今後の観光立国ニッポンの屋台骨を揺るがす大問題である。
脱工業化社会の国つくりの根幹が揺らいでいる。

★幸せの形が見えない

2020年7月 3日

今回のコロナ危機は、私たちに感染の恐怖や経済的な苦難とともにこれまでの人生観に変更を迫るものとなった。
戦後最大の災害となった2011年の東日本大震災の時、この国では「絆」という言葉が盛んに使われた。ボランティアで被災地に向かう人、義援金や東北の産物を購入するなどやり方は人それぞれだが、日本人は繋がっているという連帯意識が大きくクローズアップされた。
人々が支えあう「絆」と、いま世間でいう「ソーシャルディスタンス」はある意味対極にある言葉だ。「人との距離をとる」「近づいてはならない」「濃厚接触は慎め」・・・。日本への入国禁止、「他県からは観光に来ないでください」となると、とても「絆」という言葉は持ち出せない。
満員電車の苦痛に耐えても会社に行くことで、大部屋で議論し、一致団結目標に進む。朝礼やラジオ体操を日課にする職場もこの国では多かった。社員旅行に運動会、忘年会に歓送迎会と、ひところよりは希薄になったとはいえ日本の会社は家族主義的な経営を伝統にしてきた。上司への「忖度」という発想は役人の世界だけでなく多かれ少なかれ日本の企業風土にも根付いている。
そこにいきなり在宅勤務、テレワークというコロナ時代に対応せざるを得ない状況が生じた。
オンライン会議でも可能なんだから全国から支店長集める会議など経費の無駄だよ、
何も満員電車で全員が出勤しなくても会社は回るじゃないか・・・。
新幹線や通勤電車、オフィスビル、ビジネスホテルなどの需要は今後大幅な見直しを迫られるだろう。
オンラインで入社式や研修を行い、以後も在宅勤務で社歴を重ねてゆく人に会社に対する帰属意識が芽生えるだろうか。通勤時間も減り、勤務時間も自由、会社も奨励しているくらいだから副業もやりやすい。スキルには愛着が出ても、それは会社への愛着とはならない気がする。
係長から、課長、支店長で地方勤務して、本社に部長として栄転・・・。
良くも悪くも会社で積んだ経歴は、個人の勲章であり幸せのバロメーターだった。
そうした幸福観がこれからの若者に継承されるとは思いにくい。
  戦後の混乱期を経て日本は経済成長路線をひた走るが、最初の大きな曲がり角は1970年代だった。1ドル360円が終焉して円高に悩みだし、石油ショックによりエネルギー価格の高騰と需給ひっ迫に襲われた。当時大きな価値観の転換を「モーレツからビューティフルへ」というキャッチコピーが象徴的に表していた。
次の大きな転換期はバブルの崩壊である。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされ「24時間タタカエマスカ」というコマーシャルに象徴されるイケイケ主義が無残に破綻した1990年代、以後日本は「失われた20年」とも呼ばれる出口なきトンネルを彷徨った。
そこに東日本大震災が襲い、原発も破綻した。
日本は、政治はダメだけど企業社会は世界に冠たるものがある、とどこかで信じていた日本人だが、気が付いてみれば、世界を席巻する米中などの巨大IT企業を前に、日の丸企業はいつの間にか劣勢に転じ、凋落ぶりを思い知らされた。
コロナ後、私たちはどんな幸せを求めればいいのだろうか。
オンライン授業、マスクとフェイスガードでクラブ活動のスポーツや音楽も今まで通りにはいかない。ソーシャルディスタンスで青春時代にどんなデートができるのか。
学生時代の過ごし方、会社生活、そして恋愛・結婚と、すべてが様変わりの環境下で新しい幸福をどう育んでいけばいいのか。
おそらく新しい価値観になじめない人が続出するだろう。その時、その人にどう救いの手を差し伸べられるのか。ソーシャルディスタンスが見えない壁にもなりかねない、と危惧するのは私だけだろうか。

★オンライン入社の若者

2020年6月26日

コロナ禍でやむを得ずオンラインで入社式を行い、その後自宅でテレワーク研修、そして実務に入ったという新入社員も少なからずいるという。
いやはや大変な社会の門出だ。
おそらく、今後も毎日すし詰めの満員電車で通勤、深夜まで残業、夜は居酒屋で会社の上司の悪口を言って憂さを晴らす、といったこととは無縁で会社人生を送るのかもしれない。
まあそれはそれでわずらわしさもないというメリットもあるだろう。
ただふと気になるのは、中高年になって初めてテレワークに直面するのと違い、社会人の最初からテレワークを中心に会社人生をスタートした人がこれまでの日本人と同じように会社への忠誠意識や愛社精神を持つだろうかということである。
仲間ともせいぜいオンライン飲み会では同期としての連帯感を育めるだろうか、成功や失敗に直面した時先輩からの一言も直接ではなくネットを通してでは心への響き方も違うような気がする。
これまでのサラリーマンなら大部屋で次第に係長、課長と出世して目の前に部下がいることがモチベーションにもつながったはずだ。
テレワークは時間も自由だし、副業なども可能だろう。会社もそれを認めだしている。そういうこれまで日本人が経験したことがない職場環境で入社以来過ごしていけば、会社への帰属意識など生れるはずがないと思うのは私だけだろうか。
それでもいいではないかという意見もあるはずだ。
大切なのは自分であり、会社ではない。結果として多くの会社を渡りあるいてゆくことでスキルアップすることもできる。実力より上司のへのゴマすりで出世するような人を会社だって雇い続けたくはないのだ、というのも正論だ。
好むと好まざるとにかかわらずコロナ禍で始まろうとしている社会の変化は、日本人と企業との関係を劇的に変える可能性を秘めている。

★コンビニもレジ袋有料化

2020年6月18日

7月1日からコンビニでもレジ袋有料化になるという。
職場でランチタイムにコンビニ弁当を買いに行くときに袋持参で行く人がどのくらいいるのだろうか、と以前から考えてきた。おそらく手ぶらで買い物に行く人にとっては袋代を上乗せした実質3円昼食代が値上りすることになりそうだ。
もっとも3円という微妙な価格が気にかかる。
3円くらいなら負担しても大したことがないと考える人が多いと思われるからだ。
しかし、やがてコストが上がり5円、あるいは8円、10円などとなったらどうだろうか。
私だったら袋代を毎回負担することに強い抵抗を感じると思う。
かといってエコバック持参でコンビニに行くという自分もやはり想像できない。
おそらくコンビニで買物すること自体を止めるか、極力減らすことになるのではないか。
もし多くの消費者が私と同じ考えにたてばコンビニとしては袋代が足かせとなり客足が遠のくことへの対応を迫られるだろう。
多分本体価格の中にレジ袋代を含んだ価格にするのではないだろうか。
ここまで書いてきて、この話どこか消費税と似ているという気がしてきた。
最初は3%くらいと思っていたが、5%、8%と上がるにつれて外税から内税にしてみたりと、「消費者への見え方」を売り手は気にしだす。
「消費税分還元セール」というのもあった。
しかし10%ともなると重税感はやはり隠しきれず、結局消費全体が落ち込んでしまった・・・。
レジ袋の有料化は、時代の流れとはわかりつつも、消費者のとらえ方が今後どう変わってゆくか注目したい。

 

★ビフォア、アフター コロナの変化

2020年6月11日

古い映画やドラマを見る時、「今日では問題となるセリフがありますが制作者の意図を尊重してそのまま放送します」というテロップを見かける。
おそらく「けしからん」というクレームが来ることを予想してのことだろう。
SNSの普及もあって、どうでもいいようなささいなことを大騒ぎする風潮に皆がおびえている。
昔の映画では、たばこを吸うシーンは頻繁に出てくる。だが「公共の場でタバコを吸うのは社会に悪影響を与える」とのクレームで特に地上波放送で古い映画は流せなくなっているそうだ。また暴力シーンが多い警察モノ、シートベルトが装着義務がなかったころのクルマを使った映画も出せない。テレビ局だけでなくCMスポンサー企業にまで文句を言うクレイマーさまが多いというから恐れ入る。
さてそうなると、街を行き交う人がマスクをしていて当たり前の今日に、一年前の番組を出すと「三密ではないか」「旅館のフロントでマスクもしていないのは何事か」となる。
すでに「この取材は3月に行われました」などというテロップを多く見るのもどうでもいい視聴者様のご批判を予想してのことだろう。
いまに織田信長や明智光秀がマスクをして登場しないのはおかしいという意見が出てくるに違いない。

★100年に一度だから、やらねばならぬこと

2020年6月 2日

今回のコロナ禍は日本と世界の経済にこれまでにない悪影響をもたらしている。
すでに閣僚の間からも100年に一度の危機という言葉が聞かれるようになったが、その認識は間違っていない。
100年に一度という意味は1929年の世界恐慌以来ということを意味しているはずだ。
アメリカではテネシー川のダム建設やエンパイアステートビルの建築など失業者救済の事業がルーズベルト大統領のもとで行われた。
いわゆるニューディール政策で、政府は失業者を救い社会保障を充実させるという福祉国家の役目を担うこととなる。
今回のコロナ不況はその世界恐慌を上回る事態だ。
ならば政府はいま何をすべきか。
1929年の恐慌と、戦後最大と言われたリーマンショックの共通点は株価暴落や金融破綻から始まった。
しかし今回の不況は観光や小売業が仕事を失ったことから始まった「需要の喪失」に大きな特徴がある。
 
日本では年間3000万人あまり来ていた外国人観光客が突然ゼロになった。すでに人口減少、高齢化も進んで縮小トレンドだった国内需要、それを補っていた外国人消費まですっかり消えたのだから、コロナ禍緊急事態が解除されても需要回復はとても期待できない。
昨年の消費税率引き上げや2020年のオリンピックを目指していた建設需要の一巡などもあってコロナ以前から景気後退は始まっていた。
それではどうしたら打開できるか。
これまでの経験則にはとらわれない政策、「ニューニューディール」が必要だ。
 
まず消費需要を大きく底上げしなければならない。今回は災害時のような復興需要というリバウンドは期待できない。先行き不安から住宅や車など大型消費を拡大させる動きもない。また海外に活路を見出そうにも経済の落ち込みは世界共通だから輸出も伸びない。
私は消費税を一度ゼロにし、数年後に3%、5%、8%と変更し10年後に10%に戻すことを予告することが一番即効性がある対策だと考える。一律給付金も大切だが国民皆に行き渡るのに時間がかかりすぎる。それと並行して「消費税ゼロ」というインパクトがあり、すぐにできる政策を併用すべきなのだ。ゼロから次第に利率を上げていくごとに駆け込み需要も喚起できる。
 
消費税は既に使用目的があり、今ここでそれをなくすと財政にゆがみが生じるという財務省の発想は「平時のもの」だ。
世界恐慌のころ経済学者ケインズは「ヘリコプターで空から紙幣を撒け」と言ったとされる。
今国がやるべきことは、消費税をゼロにしてでも経済を蘇生させることで、これこそ「ヘリコプター紙幣バラマキ」に匹敵する。
財源は国債だ。今は戦争だ、というなら「戦時国債」を発行し、日銀が買いうけに回る。悪性インフレの心配はもちろんある。しかし仮にそうなればデノミや通貨呼称の変更,新券発行といった非常手段も取ると腹をくくる時だ。
100年に一度という言葉の裏にはそこまでやる決意がなければならない。
これまでの政策では通用しない、新しい政策を発明するときなのだ。
 
「私たちがすることは これがどんなに ささいなことであっても
すべてはある意味で 発明なのです」
                エリーズ・ボールディング

★夜の暗さを知っているから 朝日が嬉しい

2020年5月29日

周囲を見回してほしい。
どこかに展望があるだろうか?
映画のシーンのように人影が消えた繁華街。
日本が世界に誇った新幹線もガラガラ、TDLは休園久しく、国技も本場所がなければ巨漢もムダメシ喰いと化す。
延期されたオリンピックも次の発表は中止の予感だ。
企業業績は惨憺たる数字、倒産・失業も他人事ではない。
うんざりするほど来ていた外国人観光客もパッタリ。
その外国人が食べたいと言っていた日本料理を出す料亭も寿司屋もラーメン屋までもいまや存亡の危機。
アベノミクスはアベノマスクになり、アベノマズサが目立ち、口を覆うより目を覆いたくなる。
 
見回しても打開のすべが見当たらない。
輸出産業も製品よりも工場を輸出したばっかりに世界各地の感染の影響を受けている。
大体世界中が病んでいるのだから元気にモノを買ってくれそうなところがない。
そうでなくとも国内市場は高齢化が進んで需要そのものが減退していた。
 
お先真っ暗である。
ただ、朝の来ない夜がないのも事実である。
悲観論からは何も生まれない。
歴史を見ても戦乱や飢饉、疫病で何万人が死んだ災難は繰り返し起こったが、そこで歴史絵巻が途切れたわけではない。数年か数十年先かわからないが、災難の後新しい時代は必ずやってきた。
例えば、平安時代から鎌倉時代にかけては疫病の流行をはじめ、大地震、火山噴火、大火事、飢饉、戦火などの災害が多発した。当時は対策として元号を変えることぐらいしかできなかった。これを「災異改元」という。
歴史上102回あった「災異改元」のうち実に71回までが平安鎌倉時代に集中している。
この改元の内訳は、天然痘の流行が12回、ハシカが7回もあり、この二つの感染症がいかに当時は恐怖の対象であったかがうかがわれる。
初日の出を拝むのに、太陽が出てから出かけてゆく人はいない。
暗い世界に光が差し込むのを見て、みな神々しさに打たれ思わず手をたたいたり拝んだりする気になる。
繰り返す。
悲観論からは何も生まれない。
明治維新以来の最大の国難の先にどんな未来があるのか見てやろうというくらいの気概を持って、あたらしい日の出を拝むような前向きな気持ちを持たなければならない。
暗いうちに仕込むのだ。
歴史を塗り替えるには革命が必要だ。
今の時代暴力による革命は流行らない。
イノベーションを取り込み、意識変革を迫る革命があれば時代は動く。
明治維新以来の危機には「令和維新」が求められている。


 

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11