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2019年11月11日

習慣が人生を拓く

2019年10月 9日

★近くの人より遠くのメル友

2019年10月 8日

★エコ? エゴ?

2019年10月 7日

★死期を自分で決める

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習慣が人生を拓く

2019年11月11日

人生はままならないものです。
生まれながらにして裕福な家庭に育ち、地位も名誉もある親に育てられた人はその境遇を大切にすべきです。
それは普通の人ならば得ようとしても得られないものです。
そんな幸運を持っている人は世間にそう多くはないと思います。
大多数の人は人生を自分で切り開かなければなりません。
それでも才能があり、試験はいつも好成績、さして努力しなくてもいい学校、恵まれた仕事に就けるという人はこれまた多くはないでしょう。
 
さて親から受け継いだものも自分自身の非凡な才能も持ちあわせたらどうしたらよいでしょうか。
私自身もまさにそういう中で自分の人生を切り拓かなくてはと、若いころ思い悩みました。
そのころ考えたことはこうです。
誰にでも平等な資源は一日24時間という時間だ。
この時間の使い方を極めて、効率よく人生を過ごすことで活路が開けるのではないか。
甘いかもしれませんがこれしか思い浮ばなかったのです。
如何に毎日を無駄なく過ごすか。
実は私には自分でも認める欠点がありました。
それは集中力が続かない。長い時間同じことができないのです。
勉強をしても読書をしても、だいたい30分が限界。
時間を大切にと思いながら頭にも入らない勉強をだらだら続けても身にならない・・・。
どうしたらいいのか。

発想を変えてみました。
飽きっぽいのではなく、人一倍好奇心が強く目移りするほどいろいろなものに目がゆく、これは長所なんだと・・・。
だとすればこれを活かさない手はない。

私は自分なりの時間の使い方を習慣化しました。
例えば1時間一つのことに集中できないのでなく15分が4つあると考えたのです。15分ごとにやることを買えれば集中できるかもしれない。
15分で書類を読み、次の15分でメールを打ち、次の15分で電話、次の15分でうち合わせといった具合です。
読書も一冊の本を読み続けることができないので、ベッドサイドに5冊、デスクに5冊、トイレ用に5冊、風呂用に1冊、出かけるカバンの中に1冊という具合に用意し同時に10冊以上の本と接することができるようにあらかじめ準備しておきます。
ベッドサイドの本は朝と就寝前の2回、1冊につき2ページ前後を5冊分読み、それを一日2回繰り返します。
毎日これを繰り返せば内容を忘れることもないし。2ページくらいなら集中して読めます。ちょうど新聞小説を毎日少しずつ読むのと同じことです。
デスクの5冊も一日1回ないし2回一巡させる。トイレは毎日1冊ずつ5日間で一巡させる。風呂用の本は同じ本を毎日湯船に浸かりながら読む。
ベッドサイドは小説。デスクは趣味系、トイレは仕事関係のビジネス書、風呂は学術書というように本のジャンルによって読む場所を変えています。
こうすることで同時にたくさんの本と接することができます。
なるべく多くの本に触れる習慣を作れば、仕事などで必要な本の記憶が頭の中にありますから、必要に応じてもう一度読み返せばいいのです。
知識の窓口を広くする工夫を習慣化しました。
 
習慣化はほかにもたくさんあります。
執筆は同時に小説、エッセイ、紀行文など同時に4~5種類行っています。
毎朝4時半に起きて30分で5種類の本をそれぞれ5行前後ずつ書いていきます。
1冊にかかる時間は5分、トータル30分くらいを毎日続けるのです。
3年くらい正月でも出張でも1日も休まず続けると小説を何冊も書くことができます。一日それが仕事という小説家ではありませんから、自分の仕事をしながら趣味に書き続けるとすればおそらくこういう方法しか私にはないだろうと思います。
俳句や短歌を一句一首ずつ毎日作り続けてフェイスブックに掲載する。
毎日散歩に出かけテレビ体操をする。
血圧測定に薬の服用も含めて毎日健康管理に必要なことを欠かさずやり続けるというのも習慣にしてしまうことです。
 
これはあくまでも私の例にすぎません。
ただわずかな時間でも毎日やり続けるということは大きな成果を生むことは間違いないと思います。
是非皆さんもお試しください。
 
 

★近くの人より遠くのメル友

2019年10月 9日

★近くの人より遠くのメル友


新聞でこんな歌が紹介されていました。

あたらしい メールがきみに 届くたび 目のまへにいる ぼくはうすれる

家族のだんらんでも恋人の会話でも、目の前にいる人よりもスマホ画面に神経を集中しているさまが浮かんできますね。
スマホの中の世界が目の前のリアルより大切というのはこれだけにとどまりません。自分の目や耳で実体験することよりもスマホで調べたことの方が事実と勘違いしている人も多いようです。
現実の真贋を見極める訓練もなくして、スマホの真実なんかわかるわけないんですけどねえ。

 

★エコ? エゴ?

2019年10月 8日

経済を意味するエコノミーという言葉には合理的、経済的とか割安という意味が含まれます。
エコの立場からゴミ削減でしめ飾りを減らしましょう、という呼びかけが数年前からされています。
 
包装紙もムダ、レジ袋やめてエコバッグ
店舗よりはネット販売
小銭より電子マネーにすれば財布も要らない
コンビニは無人レジ
本を読むならブックオフ
新聞は紙代も印刷代もムダ、販売店もムダだから電子新聞
クルマなんか持つ必要なくカーシェアリング
結婚なんて、ムダの極みだからおひとりさま
子供なんてムダのきわみ
一日1回サプリを飲めば食事はしなくて済むからムダ削減

合理性の追求はいくらでも進む。
エコはすばらしい。 
あれ?
それで経済は成長するのかしら?

 

★死期を自分で決める

2019年10月 7日

数年前著名な学者が自殺しました。78歳でした。
論客が自分の死は自分で決めるという選択をされたことに敬意を表します。
本人の意思とは関係なく 病院のベッドで多くの管につながれ、ただ生きているというだけの余生に何の意味があるのか 。
元気で活動できるならともかく、植物人間として100歳まで生きて誰が嬉しいか。
認知症で家族すらわからなくてそれでも生き続けたいと思うのか。
私もけっして他人ごとではないと思います。
以下、五木寛之さんの「孤独のすすめ」から引用です。
 
「ピンピンコロリ」が、ひとつの理想の死に方だと言われてきました。
しかし、そんな状態で逝ける人は、実際にはごく少数派でしょう。
医療技術の長足の進歩の結果、私たちは簡単に死ぬことができなくなりました。
すでに外界の刺激に反応することもなく、自らの力で食べることも飲むこともかなわず、胃袋に直接通したチューブから栄養を摂取して、植物状態で生きる。現在もそういう状態で病院にいる人は少なくありません。
「人生百年時代」には、どれほどの数に上るのか、見当もつかないくらいです。
そうした状態でも、私たちは生きていたいのか。敢然と「ノー」を突きつける人も、徐々に増えてはいます。しかし、いわゆる「尊厳死」がこれだけ長い期間議論されながら、日本ではいまだに法的には未整備ですし、社会的容認にはほど遠いのが現実です。人は、自分の意志とは無関係に、この世に生まれてきます。ならば、しかるべき人生を全うした後に「退場」する時ぐらいは、自分の意志で決められないものだろうか。私は、そんなふうに考えることがしばしばありました。
「日本人の生と死」をマクロで見つめてみると、また別の「新たな局面」も見えてきます。日本の人口問題を語るキーワードが、「少子高齢化」から「人口減少」に移行しつつあります。なぜ人口が減るのか。当面の主たる原因は、「子どもが多く生まれない」からだけではなく、「高齢者が死ぬ」からです。
これまで、「高齢化」という言葉の陰に隠れて、その事実が見えにくかったような気がします。「人間、いつかは死ぬ」のです。
しかも、これからの日本で間違いなく起こるのは、超高齢社会につづく、未曽有の「大量自然死」の時代です。
 
                                                              『孤独のすすめ ~人生後半の生き方』 
                                                                         五木 寛之 著(中公新書ラクレ)

 地域の病院から紹介されて私が通院した国立横浜医療センターの若い女性医師は1年間一回も私の顔も見ず、脈も取らず、聴診器もあてずひたすら電子カルテを打ち込むだけで、「糖尿だから糖質はダメ、米、パン、うどん、そば、とんでもない」「高血圧だから塩、醤油ダメ」「果物ダメ、長生きしたいと思ったら全部ダメ」というので それなら何を食べればいいんですかと質問しました。
「薬だけ飲んでいればいいんです」と一言。
憤然と席を立って出てきました。
患者をただ薬を消費する動物としてしか見ていないようです。
さて一方で超高齢社会は中高年世代の自覚も必要と五木さんは説きます。
年よりはいたわられるものではなく、年よりでも果たすべき責任や自覚が必要と説きます。
さらに引用続けましょう。

「老人階級」が階級として世の中に受け入れられる条件。
それは、不可能とも思えますが、「自立すること」につきると思います。
まず一定以上の収入のある豊かな人びとは、年金を返上すればよい。そこは制度的に判定できるはずです。何歳になろうとも、働ける人は働く。そして、十分な収入があるのなら、そのぶん年金は減らすようにするのです。
年金をもらわないことを「損だ」と考えるのではなく、ちゃんと社会に還元するのだ、と考える。
二つ目の提案は、「選挙権の委譲」です。
今の日本では、投票率は年齢が高くなるほど高まる傾向が顕著です。
ですから、政治家は高齢者に有利な政策を並べ立てることになる。
もちろんそれは、投票に行かない若者たちの責任でもあるのですが、それはそれとして、高齢者の側があえて選挙権を後の世代に「譲る」度量を持つべきだ、と私は思うのです。
実際に、経済をはじめとする国の屋台骨を支えているのは、勤労者世代です。若者たちには、これからその役割を担っていってもらわなくてはなりません。そういう人たちがよりよい生き方をできなかったなら、国は衰退していくでしょう。逆に言えば、下の世代が安心して働き、暮らせる環境があってこそ、「老人階級」の生活も保障されるのです。
高齢者には、年の功があるでしょう。しかし、判断力が鈍ったり、柔軟な思考ができなくなったりと、「有権者」として心許ない現象が顕著になってくるのもまた、認めなくてはならない「不都合な真実」ではあります。
 
少なくとも百歳以上の高齢者が、自主的に選挙権を返上することは認めていいのではないでしょうか。
また、超高齢者の選挙権を悪用されているケースも少なくない。
                
                                                            『孤独のすすめ ~人生後半の生き方』 
                                                                       五木 寛之 著(中公新書ラクレ)
 
高齢社会の生き方が真剣に問われています。
 

 

★人生の運動神経

2019年10月 4日

考えてから行動する、のが理想だとは思います。
でも現実にはとっさに行動してからあとから考える事の方が人生には多いのではないでしょうか。
とっさの時どう処するか、それが日ごろの鍛錬でありもっと言えばその人の人生そのものだという気がします。
 
普通は考える間なんかないのです。
運動神経というか、とっさの判断の繰り返しが人生です。
 
だからよいと思ったことに躊躇があってはなりません。
判断できず動けないというのが一番まずいのです。
 
日頃から「人生の運動神経」を養いたいと思います。
 

 

★大河ドラマ まさかまだ見てないでしょうね?

2019年10月 3日

視聴率史上ワーストを争うレベルだそうです。
最初数回見ましたが、ついに我慢できなくなって視聴を断念しました。
果たして受信料を使って、多くの国民が視ていないドラマを作り続ける必要があるのでしょうか。
民放ならば不評だと打ち切られます。
需要がない商品は淘汰されます。
しかしNHKにはそういう理屈はないようです。
最高裁は知る権利が受信料支払い義務の根源といいますが、そもそもその受信料で 娯楽番組を作る必要はありません。
だいたいNHKにしか報道できないことって具体的に何なのか、挙げていただきたい。
私はNHKと民放両方から給料をもらい、報道の現場にいてNHKだから放送できなかった権力側のニュースはいくつか知っていますが、 NHKしか報道できず民放ではできなかったニュースというものに出会った経験はありません。
NHKはBBCなど他の国の公共放送の事例はよくあげますが、アメリカはじめ公共放送がなくても別に必要性を感じていない国の話はしませんね
NHKだから伝えられることよりもNHKだから伝えられないことのほうがいまや問題だと私は思います。
 
権力へのチェック機能はむしろ民放や新聞で国会で予算通してもらうために与党対策をしなければならないNHKのほうがはるかに権力におもねっていると考えるのは私だけでしょうか。
百歩譲って災害報道などでNHKの重要性があるということは認めても、ドラマや歌番組に受信料は回すべきではないでしょう。
 

 

★上手な話し方のコツ

2019年10月 1日

ヒトとして生まれたからには相手とコミュニケーションをとるという当たり前のことは朝飯前と思いきや、上手に話せないと悩んでいる人は意外に多いものです。
特に若者はスマホと付き合うのは得意でも、対面で人間と話すのは慣れていないと言う人が多くいます。
学生ならともかく、社会に出ればそれでは通用しません。
特に敬語の使い方が全く訓練されていないという人が目立ちます。
ワンポイントアドバイスをしましょう。
自分のことを「わたくし」と言うのです。
そうすれば結語は自然と収まります。
俺でも僕でも私でもなく、「わたくし」です。
試してみてください。
 

★ ありがとうに言い過ぎはない

2019年9月30日

いちばん素敵な日本語は、ありがとう。
何度聞いても嬉しい言葉、ありがとう。
あるラーメン屋さんでレジ精算からおつりのやり取り、そして店を出るまでにありがとうございます、を13回言ってもらいました。
けっしていやらしくなく、誠意が感じられました。
マニュアルで13回言えとは書いてないでしょう。
その店員さんの気持ちがこもっていました。
ありがとうに言い過ぎはありません。
 

★人脈は財産

2019年9月27日

人脈つくりとはただ有名人や実力者と名刺交換することではありません。
しかし、パーティなどで有名人と名刺を交換したことだけで満足している人も少なくないのです。 
その出会いを次へとつなぐ努力をしている人は意外と少ない気がします。
まず、その日の帰り、あるいは帰宅後、せめて翌朝に出会いのお礼のメールかハガキを出しますか?
さらに3日以内に自分の会社の紹介や商品のサンプルを送りますか?
 
それで返事が来れば脈あり、その後音信がないことが普通です。
それでもめげません。
 
一週間後、一か月後に「二の矢」を打ちますか?
そして次の新年に年賀状を出しますか?
 
ここまでやって相手から何の音信もなければ初めてそれ以上の付き合いを断念するというのが私の手法です。
残念ながら向うに貴方と付き合う意思がなかったということで、名刺も処分します
 
それにしてもどうして貴方との付き合いを相手は望まなかったのでしょうか?
ひょっとしたら貴方が相手を利用してやろうという態度がミエミエだったのかもしれません。
本当の付き合いとはまず相手にトクをさせることです。
あなたと付き合うことが向うにプラスがあると思わせることです。
 
あなたが付き合いたいと思ったということは、もともと向うが年長で、お金持ちで、有名で、身分も高かったということかもしれません。
そんな人があなたと付き合って金銭的にトクをする、とは思わないでしょう。
では相手にとってトクとは?
それはあなたが相手が知らない情報を持っているかということになります。
 
あなたが若者ならば相手に今の若者情報を伝えることです。
あなたが特技を持っているならその秘訣を教えてあげることです。
あなたが持っている情報を提供し、相手を喜ばせることができれば向うの方から付き合いたいと思うはずです。
 
次の年賀状までにそれができるか。 
 
その人との付き合いが深まるかはそこにかかっています。
 
 


 

★夕セブンの時代

2019年9月26日

1957年にNHK「今日の料理」はスタートしました。
私とほとんど同じくらい生きてきたんですね。
最初の頃は5人分を前提に料理の説明していたのに今では2人分ですって。
そういえば最近は夕食用の惣菜をコンビニが熱心に売っています。
独身といえば若い人と同義語だったころにできたコンビニも、40年を経て一人暮らしのお年寄りの夕食惣菜を売る店に変容しています。
 
サザエさんの存続が危ぶまれていますが、ちゃぶ台での夕飯風景はもう日曜日の6時半にしか見ることはなくなりました。
1人用鍋のダシなんてヒット商品を考えるにつけ、日本の家庭の変化の激しさを思い知らされます。
 
80年代のホ―ムドラマでは晩酌のビールは瓶でしたが、90年代からは缶になっています。
殴り合いの巻き添えにならないようにするためか、瓶は今後は店からも消えるかもしれませんね。
 
世間はビンカンに反応するものです。
 

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