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★絵に描いた餅は餅より高価なこともある

2020年9月 3日

 夢のない時代だ。
ため息しか出てこない。
コロナの憂鬱を皆が背負って生きている。
理想論を言うのが本来若者の仕事だ。
「おまえさ、そんなこと言ったって所詮、絵に描いた餅だぜ」
飲み屋で訳知り顔が先輩風を吹かす姿を以前はよく見かけた。
もっともこういう話はオンラインではやりにくいかもしれないが・・・
 しかしあえて言おう。
餅を絵にさえ描けない人がいかに多いか、と。
失敗を恐れず理想を描いてそこへ猛進する勇気・覇気を持つ人は貴重なのだ。
失敗を繰り返せば、何が悪かったのか学習するチャンスを得るものだ。
最初から失敗を恐れて何もしなければ、自らその学習のチャンスを活かしていないことになる。
 失敗は無形の財産だ。
そしてベテランになってからでは失敗は許されない。
若いうちの失敗の積み重ねは必ず生きるものである。
絵に描いた餅は餅よりも高価なことがあると知るべきだ。
 

★豆腐

2020年9月 2日

以前アメリカアトランタにあるコカ・コーラ社の本社を訪ねたことがある。
「日本コカ・コーラではジョージアブランドのコーヒーを自販機などで販売しているが、アメリカで販売していないのはなぜか?」
この私の質問に、太平洋地区総責任者は
「そもそもコーヒーは温かい飲み物で、冷やして飲む気がしない」と顔をしかめて如何にもまずそうに答えた。
確かに昔はアメリカではアイスティーはあったがアイスコーヒーは日常的な飲料ではなかった。
しかしその後、シアトル系のコーヒーチェーンがアメリカ国内でもアイスコーヒーをヒットさせていまではごく普通にアメリカ人は飲んでいる。
つまり単なる「飲まず嫌い」だったのかもしれない。
本来は温かくして食べるものを冷やして食べる、あるいは逆も試みる。
これは日本人の得意技かもしれない。
 
豆腐もその一つだろう。
湯豆腐や鍋もおいしいが冷やっこにして食べるとまた違う味わいがある。
これが豆腐の醍醐味だ。
ちょうど飲料の自販機外気温によって「温」と「冷」が切り替わるように(これも日本の独断場のワザだ!)、豆腐も夏の冷ややっこから冬の湯豆腐へと切り替わりいつも変わらず食卓を占める。
豆腐はそれ自体味が濃い食べ物ではない。他のおかずの妨げにならない味である。木綿もあれば絹ごしもあり、また手作り豆腐にはモノによりしっかりとした歯ごたえを感じさせてくれるものもある。
個性がないようで実は大ありなのが、豆腐である。
 
旅館に泊まった翌朝、手作りの湯豆腐が出ると、ああ日本旅館の朝ごはんは素晴らしいと至福を感じるものである。
猛暑に氷を浮かせ、ネギやミョウガ、ショウガなどでよく食べた冷奴だったが、そろそろ秋の食べ方が恋しくなってくる。けんちん汁やキノコ汁でもしっかりと存在感を示してくれるはずだ。
自動販売機の「冷」が「温」に変わるように。

★新学期に想う

2020年9月 1日

8月末の朝、地方の普通列車に乗っていたら地元の高校生の通学時間帯にぶつかった。
8月でももう普通の登校風景だった。
制服から判断するに、いくつかの学校の生徒が混在していたが、みな一様にノートや参考書と首っ引きだった。彼らの仲間内の会話から8月の最後に本来は7月にあるはずだった期末テストが行われているようだった。
コロナ感染拡大で一学期の授業が遅れ、7月8月と授業を続けようやく期末テストを8月末に行うことで9月からの二学期スタートにこぎつけるということのようだ。
いやはや大変な8月だったわけである。
というわけで今日9月1日は、とにもかくにも新学期スタートということだ。
それにしても大学生はもっと悲惨である。
キャンパスが立ち入り禁止で、入学式以来一回も大学に行っていないという学生もかなりいるという。
オンライン授業のみで先生にも同級生にも会ったことがなく、サークル活動もできなくてこれで大学生活かと怒りとも悩みともいえぬ声があちこちから聞こえてくる。
これは他の国でも同様で、本来のキャンパスライフを過ごせない以上、学費を返還せよという抗議行動を起こしている国もある。
先日経済誌がこのことを取り上げたところ、東京のあるマンモス大学の学長が
「学費というのは学士の単位取得の費用を4年で割ったものを、毎年収めているもので割り引いたりするものではない」という趣旨の発言をしていた。
まあ、ずいぶんと高飛車な世間知らず!
さすがに大学という象牙の館しか知らない頭でっかちの物言い、と呆れたものだ。
学生に申し訳ない、貴重な学生時代の経験も人生の糧なのにそれを提供できないことは管理者として申し訳ない、という言い方がどうしてできないのかと感じた。
苦労して子供を大学に行かせている親の気持ちなど少しも理解しようとしない人がトップなのかと腹も立った。
まだまだコロナの影響は長引くだろう。
受験に就職など人生の重要なステージの日程が狂うことで不利になる人も出そうな雲行きだ。
社会全体で若者の未来を潰さないように配慮していかなければならない。
 

★二百十日

2020年8月31日

厄年、厄回り、厄払い、厄除け・・・・
厄という字は苦しみや災難などを表し、できれば避けたいものの代表だ。
暦でいう厄日は二百十日、二百二十日のこと。この日は立春から数えて二百十日目、二百二十日目と言うことでおおよそ天候の荒れる節目にあたる。例年だと二百十日は9月1日だが、今年はうるう年で今日がその日に当たる。9月1日は関東大震災の日にも当たりまさに厄日であった。
この当日が荒れるということではなく、昔からこのあたりに野分、台風が襲来することが大かったという意味だ。「野分」とは野の草を吹き分けるほどの暴風という意味である。
今年は台風の発生が今のところ少ないが、年間発生数は例年20数個とほぼ一定数だから秋に一気に量産する可能性が指摘されている。
最近は海水温が上昇し、勢力が大きくなる傾向にあるし平均時速が遅くなっていることも気になる。ある地域に集中的な被害をもたらす危険性が大きい。
自然災害に加えて今年は新型コロナの感染拡大もありまさに厄と戦う年になってしまった。
二百十日前の立春の頃といえば、横浜港に「ダイヤモンドプリンセス号」が接岸したころである。まだコロナ騒ぎも極めて限定的な話だった。この7か月余りで激変した日本と世界の状況を思うと、声も出ない。
なんとか、厄よ去ってほしいと、祈るばかりである。

★秋以降、さらにカンフル剤が必要だ

2020年8月28日

本年4月~6月GDPが戦後最悪になったと報じられた。
ただ5月までは緊急事態宣言で大型店が軒並み閉店していたことで、6月の消費は拡大したという分析だ。
もちろん店が開いていなければモノは売れないから4月5月の反動需要が6月に発生したことは想像できる。
そして見逃せないのが、遅れていた定額給付金の国民一人当たり10万円がこのころようやく届き始めたことである。
夏に向けてエアコンや冷蔵庫といったものが「臨時収入」でいちばん買いやすい商品だったようで、大手量販店を中心にこの売り上げが大きく業績を押し上げたようだ。
私の知っているところでは眼鏡店もこの恩恵を受けていた。
若者向けのレンズやフレームが安価な店ではなく、中高年向けの多焦点レンズと年齢相応のフレームを購入すれば、10万円という「臨時収入」はちょうどよい購買につながったとみられる。
 
こうした効果があっても4月~6月は戦後最悪だったのだ。
さて問題はその後である。
7月以降の消費拡大をけん引するはずだった「GoTo キャンペーン」が不発に終わり、祭りなど大型イベントの中止で夏休みの消費は大きく冷え込んだ。
ボーナスや残業手当の減少、さらには雇用不安もあり、定額給付金を使った後の消費需要はまた低迷するだろう。
外国人観光客も依然としてほぼゼロ状態であり、秋以降政府が次の一手を打たないと景気は一段と冷え込むことは間違いない。
こんな非常時に通年で国会が開かれていないということは理解しがたい。
臨機応変の対応を政府・国会がしなければ、秋冬を越せない企業が続出する恐れがある。
日本経済はいま存亡の危機に立っている。

★さんま不漁

2020年8月27日

「秋の味覚として庶民の食卓には欠かせないサンマだが、近年高値が続いている。
水温が高いこと、近隣諸国の乱獲など原因はいろいろあるようだが、どうもこの秋も期待できない様相だ。
サンマ漁は漁業者が公平に水揚げできるように小型船から順次漁は解禁される。
しかし近海を主な漁場とする小型船が水揚げ日本一の根室港に帰ってきたところ水揚げはゼロだったという。大型船は魚群を求めてきた太平洋の公海を目指して出漁中だが、見通しは明るくない。
 
昨年のサンマ水揚げ量は前年比66%減の4万517トンで半世紀ぶりの過去最低を更新した。北海道が国内水揚げ量の半分以上を占め、宮城、岩手県が次ぐ。
温暖化に伴い日本近海の海水温が高まり、冷たい水を好むサンマの来遊が遅くなっている。今年は今のままで行くとさらに不漁になりそうだと関係者は不安の表情だ。
 
サンマだけではない、イカも同様の不漁が続いている。
鰻はすでに天に上り、大衆魚も彼方へと遠ざかってゆく。

★夜の秋

2020年8月26日

「夜の秋」という言葉をご存じだろうか?
「秋の夜」ではなく「夜の秋」である。
「秋の夜」はもちろん秋の季語で、月を愛で虫の声を聴くような雰囲気を連想する。
それに対して「夜の秋」は夏の季語なのだ。
昼間は依然として猛暑だが、日が暮れてから涼しくなり、夜だけはさすがに秋と感じられるということである。
確かにここ数日夜は少ししのぎやすくなった。熱帯夜のこともまだあるかもしれないが、次第に夜吹く風は涼しくなってゆく。
少しほっとした気分になるが、夏の疲れも出る頃でもある。
今年は梅雨が長すぎ、その後厳しい暑さが集中的に襲ってきた。長雨日照不足の後の極暑で、野菜や果物の出来は良くなかったようだ。青果売り場を除くと野菜が軒並み高くスーパーではこういう時はカット野菜や冷凍野菜がお薦め、と客を誘引している。また葡萄や桃、梨といった旬の果物は軒並み価格が高く、売り場の中心はバナナやオレンジ、キウイと言った輸入品が例年より多い印象だ。
 
いろいろあったご時世、台風被害も残暑もほどほど穏やかな秋を期待したいものである。
 

★「バチがあたる」を信じますか?

2020年8月25日

 
新聞社というところは面白い世論調査をするところのようだ。
「あなたは安倍内閣を支持しますか?」
「憲法改正に賛成しますか?」などと尋ねられると、答える方もつい顔が引きつるだろうが、
さて次の質問にはどんな顔で回答するのだろうか?
「バチが当たることがあると思いますか?」
話を進める前にまずあなたの回答を心の中で出してほしい。


 読売新聞社が今年3~4月に実施した全国世論調査で、バチがあたることが「ある」と答えた人が76%にのぼったと記事で紹介していた。
56年前(前回の東京オリンピックの年1964年)の調査では「ある」が41%で、半世紀を経て今回大幅にアップしたという。
回答を左右する調査の質問文は次のようなものだったという。
「人の迷惑も考えないで自分勝手なことをしたり、残酷なことをしたりする人がいると『あの人はいまにバチがあたる』というような言い方をすることがあります。あなたはバチが当たるとか、報いと言うことはあるものだと思いますか、ないと思いますか」
 この設問を受け止めると、自分ではどうしようもないイライラ感の高まりから悪い行いには「バチがあたる」というより「バチがあたれ」という意識が高まっていると考えられそうだ。
ある程度成功している人は、社会は公正だと考えがちだ。
それに対して社会・経済的に報われない人は、不公正な社会を作り出した人に罰が与えられるべきと考えるかもしれない。
 今回の世論調査で注目すべきは18~50歳までの各年代は80%以上が「バチがあたる」と回答したが、60代は74%、70代は63%と比較低めな回答だったという。1964年調査の時は若い世代の方が「バチがあたる」の回答が少なかったというから、若い世代の意識の変化が大きかったことが特徴だ。
ここから考えられる仮説は、将来への悲観は若い人ほど強く、また今回調査が新型コロナウィルス流行期と重なり「自粛警察」などと評される社会現象が起きていたことを考えると、社会への不満、夢が実現しない社会へのイライラがあり、他人の行動に攻撃的な意見も多く出された、と推測できないだろうか。
「バチがあたる」を「バチが当たれ」と読み替えると、ネットなどでの辛辣な意見表明の背景もなんとなくわかる気がする。


 みながマスク姿で憂鬱そうな顔をして過ごす社会。
笑顔が消えた社会を乗り越える道は険しい。
 

★蚊は昆虫なのに、カブトムシのようには愛されない

2020年8月24日

子どものころ夏休みに昆虫採集をしたという思い出を持つ人も多いだろう。
カブトムシやクワガタなどは子どもたちの人気者だ。
しかし同じ昆虫でもゴキブリや蠅、蚊となると少々事情は違ってくる。
昆虫採集の標本にこうしたものを学校に持っていったら先生はどんな顔をしただろうか。
「蚊」は「双翅目(そうしもく)カ科に属する昆虫の総称」である。
蚊は、ほぼ一年中生息しているが、やはり主たる活動期は夏だ。
ブーンと現れ、チクリと刺し、かゆみを残す困った存在で、しかもデング熱や日本脳炎など感染症を媒介する心配もある。
蚊は水たまりや池、沼などの澱みで発生するボウフラが幼虫だ。都市部では水田が減り、川が暗渠化され、舗装道路で水たまりも減っているから昔よりも発生源は少なくなっているはずだ。
昔はエアコンもなく開けっぱなしの家が多かったし、発生源も家の近くに多かったのだから蚊に刺される現代の比ではなかったはずだ。
蚊を退治するには昔から何かを燻し,その煙の嫌な匂いで蚊を近づけない方法が効果的と考えられた。
刈ってまだ青みのある草、楠か榧(かや)などの木皮,杉の葉、かんきつ類などの皮を燃やし、その匂いで蚊を遠ざけた。
また網戸のない昔は夜間だけでなく病人や幼児には蚊帳を吊って蚊から守った。
そんな蚊帳も昭和30年代くらいまでで最近は見かけなくなった。
人類誕生以来の小さな蚊との戦いは攻撃からの防御から、発生源そのものを断つという戦いへと移行しているが、まだ完全に勝利するまでには至っていない。
 

★井戸を知らない人も増えましたね

2020年8月21日

汗びっしょりで帰宅するとまずシャワーを浴びてホッとする、という人も多いだろう。
昔は井戸から水を汲み、汗や汚れを落としてから家に上がるというのが一般的だった。
ただ、井戸はそれを掘る財力を持った人だけの設備で、都市に住む貴族や武士など上流階級の住む屋敷にしかなかった。
一般の人は自然の湧き水のある所や川の近くに家を作った。
一般の家庭に井戸が普及したのは江戸時代からだが、その家だけが使う内井戸と、たくさんの人が使う共同井戸とがあった。
長屋の井戸端会議などというのは共同井戸のことだ。
一般の井戸は縦穴を掘り、穴底に地下水を溜めその水をくみ上げて使うが、江戸の井戸はすこしちがった。
江戸の場合は、水道水のくみ上げ口だった。遠方から引いた水を地下に敷設した樋を通して出口まで送り「井戸」からくみ上げた。
実は「井戸のように見える水道」だったのだ。
その理由は地形にある。江戸は中世まで江戸城近くまでが海だった。それを埋め立てて造ったのが江戸の町だから、井戸を掘っても塩分を含んだ水しか出てこなかったのである。
家康のころは小石川上水と溜池の水を供給していたが、それでは巨大都市を賄えず井の頭池を水源とする神田上水、そして多摩川から取水する玉川上水を完成させた。
水道は江戸っ子の自慢で、「水道の水で産湯を使う」のが由緒正しい江戸っ子とされたのである。
100万都市江戸は当時世界最大の都市、ここに清潔な上水があったことは特筆に値する。またロンドンやパリの町では道路や川に下水が垂れ流しで疫病対策上も大きな問題があったが、江戸では人糞を汚わい屋と呼ばれる人が有料で買い取り近郊農家に肥料として売るというリサイクルシステムが確立していたことも江戸の美点として知っておく必要がある。

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