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★読書感想文の宿題

2020年8月20日

今年は夏休みが短くなって子供たちは宿題が大変だという。
絵日記一つ考えてもそもそも題材集めが難しい。家族旅行も海水浴も花火大会も何もない夏なのだから。
ところで読書感想文を書くために今頃必死に本を読んだ記憶があるのではないか?
学生時代、私は小学生から高校生までを対象に手広く家庭教師をしていた。夏休みの初めにそれとなく宿題の読書感想文のテーマ本を聞いておく。子供に内緒で先回りしてみんなのテーマ本を全部読んでおくためだ。
さて8月末、案の定、読書感想文が書けないと親と子供から悲鳴があがる。
そもそも作文が苦手だという子供は昔から多い。
私自身小学校や中学校で作文や読書感想文の書き方を習った記憶がない。
ゆとりの教育が強調された時代もあったし、英語の授業が加わったりして
小学校のカリキュラムで国語の時間はむかしよりも減ってしまい、いま時間のかかる作文指導は普通の学校ではほとんど行われていないようだ。
作文を書く機会が少なくなって上手に書ける子供が増えるわけがない。
読書感想文にしても夏休みの宿題にはなっても、感想文をどう書けばよいか指導を受ける機会はそうそうあるものではないようだ。
私は家庭教師の子供たちと本の内容をディスカッションし、ポイントをかき出しそれを感想文にまとめる指導をして喜ばれた。
宿題を「嫌な義務」ととらえず、本に親しむきっかけにできればどれほど人生に役立つか。親や祖父母がそんな役割を担えたら素敵だと思う。

★スポーツ界にクラスター発生

2020年8月19日

 サッカーJリーグのチーム内で新型コロナの集団感染が明るみに出たと思ったら、大学のレスリング部、ラグビー部でも相次いでクラスターが発生したという。
偶然かもしれないが、この三つの競技には激しいぶつかり合いが前提にある「三密」という共通点がある。
柔道や空手、ボクシングなどの競技も春以降、試合はおろか練習もままならないという。
そうなると、やはり来年のオリンピックは難しそうだ。
政府あるいはIOCのレベルでは政治的経済的な問題もあり何とか実施したいと考えているかもしれないが、選手たちにしてみればとてもオリンピックどころではないと思われる。
世界中から選手を集め選手村という集団生活を前提とし、興行黒字を想定した観戦チケット販売をするならば、これはどう考えても難しいと思わざるを得ない。
当初クルーズ船を係留してホテル代わりにするなどと言っていたが、これなどとても無理な話だろう。
やらないならやらないと早く結論を出さないと、ますます多くの人たちを混乱させることになる。
決断の時までもう時間は残されていない。
2024年東京、28年パリ。あるいは24年パリ、28年東京という手もある。
世界的な危機の中でのオリンピック開催にどんな可能性があるか、日本は政治力を発揮するときではないだろうか。

★隣は何をする人ぞ

2020年8月18日

青果店経営とは言わないそうだ。「食品関係です」
タクシーの運転手とも言わない。「交通関係です」
大工などとも名乗らない。「建設関係です」
身元を隠す、これが現代の処世術である。
以前なら電話帳から社員名簿、クラス名簿といったものまであった。
私が小学校の時のクラス名簿には両親の名前から職業まで記載されていた。
時代は「個人情報保護」へと変わった。
身元を不用意に開示すれば悪用される心配がある、という認識が世の中に広まった。
先日岩手県に「わんこそば」を食べに行ったら、住所氏名電話番号を書かせる紙に記入を求められてびっくりした。
たかが昼飯食べるのに・・・、生まれて初めての経験だった。
この時点で岩手県はコロナ感染者ゼロ。東京など以上に町全体がピリピリしていた。
戦前、国家総動員法が発令された。
「欲しがりません 勝つまで」「ぜいたくは 敵だ」というスローガンのもと銀座や新宿狩りが行われた。「夜の街関連」はぜいたくだと標的にされた。
また隣組組織が作られ、ぜいたくな暮らしをしていると警察や憲兵に告げ口された。
こうしたことは過去の話だと思っていた。
とくに都会でマンションなどに暮らしていれば、「隣は何をする人ぞ」というのが常識、という社会で生まれ育った人も多いことだろう。
しかしここにきてまた「夜の町関連」とか「隣のうちでは息子が東京から帰ってきている」という噂が千里を駆け巡る状況になっている。
「ご近所の目があるからお父さん帰ってこないで」と単身赴任のお父さんが帰宅できなかったり、病院関係者の子供まで友人と遊んでもらえなかったり、学校の先生から登校するなと言われる「事件」まで起きた。
国民性という根っこの部分は、時代が変わっても変わらないものなのかと社会学を研究する立場で感じる。
コロナがはからずもあぶりだした「集団ヒステリー現象」は、ある意味コロナ以上に根深い社会の病理ではないだろうか。

★塩のうんちく

2020年8月17日

テレビで盛んに「命にかかわる暑さです。冷房をかけて水分補給、そして塩分も補給してください」と呼び掛けている。災害にしても炎暑にしても、起きた事実を報じる前に未然に被害を予防する報道へと切りかわってきたのが最近の特徴だ。ただ「百年に一度の・・・」とか「危険な・・・」などやたら空恐ろしい修飾語を連呼されると少々うるさ過ぎる、と感じるのは私だけだろうか。
アナウンサーが「津波が来ます、にげてー」と絶叫する時代になった。
それはさておき、今日は塩分、塩の話だ。生きる糧としての塩ではあるが、一度その味にこだわりだすと塩の道は果てしなく深い。たとえ気に入りの塩を見つけたとしてもその塩が普段口にする味噌、醤油、漬物、干物などに使われているわけではない。例外はあるものの、食品メーカーでは高価な塩は使い切れないからごく普通の塩を使っているはずだ。それだけにせめて家で使う塩はこだわりたい、という人が増えているようで、最近は世界の塩を取り寄せるような塩専門店も見られるようになった。
日本では1971年に専売法によって塩田が消滅しイオン交換膜方式により取り出された純度99%以上の塩化ナトリウムだけが公の塩になった。この化学的な塩に飽きたらずに生まれたのが「自然塩」である。
自然塩は、輸入天日原塩にニガリを加えてミネラル分を残しながら再精製したもの、また塩田の伝統製法を改良したタワー式による国産海塩と大きく分けて二種類あり、後者が沖縄や伊豆大島、高知などでつくられている「いわゆる土地の味」である。
タワー式製塩とは昔の塩田を立体にしたもので、10メートルくらいの建屋の上から竹ぼうき状に組んだ内部に、何度も何度も海水をポンプでくみ上げては落としてゆく。海風で水分が蒸発するので次第に塩が固まってくる。
海水の塩分の濃度があがった鹹水(かんすい)ができると、これを天日干しあるいは煮詰めにより時間をかけて塩にしてゆく。
天日干しはさらさら、煮詰めた塩はしっとりした感触が特徴だ。
時間と手間をかけた逸品の出来上がりである。
価格は日本たばこ産業の塩とは比較にならないが、それでも塩専門店はもちろんのこと、道の駅、空港の土産物店などでも人気商品として扱われている。
統制価格から解き放たれて、付加価値を生んだ典型的な例だろう。
こだわりの塩をふって冷やしトマトでも食べて、酷暑を乗り切りたい。

★風呂敷

2020年8月14日

モノを包んで持ち運ぶ風呂敷を使ったことはあるだろうか?
昔は当たり前の包むツールだった風呂敷が日常使われなくなったのは紙やビニールの袋が普及したからだろう。
しかし考えてみれば風呂敷は何度でも繰り返し使うことができる「究極のエコバッグ」ともいえるもので、今後復活する可能性が大きいのではないだろうか。
ところで風呂敷はそもそもどこに売っているかご存じか?
百貨店などでは風呂敷は呉服売り場に置かれている。
先日浴衣の話をしたが、まさに和装にはぴったりの携帯用品と言える。
そもそも風呂敷という名前の由来は、室町時代に将軍が建てた湯殿に招かれた大名が脱いだものを取り違えないように包んだことにあるという。
江戸時代には一般庶民の間にも普及した。
大きさによって用途が違う。
一辺が45センチほどの小型は主に金封を包むふくさ代わりに、一辺が68センチサイズは菓子折りなどの進物を包む際に使われる。売れ筋の一片90センチや96センチサイズなら大抵のものを包むのに対応できる。
かつては中元などをもってお世話になった人を訪ねる時、贈答品を風呂敷に包んで持参するものだった。風呂敷をほどいて贈答品を出す行為は相手を尊敬しているという証だったのだ。
結び方を工夫すればバッグのようにもなる。
風呂敷を使いこなすことこそお洒落で粋、と言われる時代も遠くはないように思う。
 

★今日の日は再び来たらず

2020年8月13日

盆の時期だからこそ少々考えた。
疫病で多くの人が恐怖に駆られている。
ここにきて宗教にすがろうという人も多いようだ。
中世ヨーロッパではペストの恐怖から逃れようと教会信仰が盛んになったが、
結果として教会は無力であることを露呈し、教会権威の失墜を招く。
その後ルネサンスへと歴史は動いた。
 私はコロナで死ぬことがそんなに怖いことかと思う。
日本人の平均年齢は80年余り、100歳まで生きる人も珍しくなくなった。
それでは今の人が幸せで、平均年齢で50年くらいしか生きられなかった時代の人たちは不幸なのか。
ちなみに死因で多い自殺をどう説明するのか、長生きになって幸せなら自殺は矛盾だろう。
極端な話コロナで多くの人が死に、統計上世界の人の寿命が一様に10年短くなれば、みんなが早く死ぬだけ。ただそれだけのことだ。
コロナ対策で皆が清潔を保った結果、インフルエンザなどの罹患率が大幅に減っている。肺炎で死ぬ人が大きく減ったということをどう考えればいいのか。
基礎疾患を持った高齢者はコロナを気をつけよと言うが、もともとそういう人は別の原因で死ぬ可能性が高かったのではないのか。
もちろん、感染予防をしなくていいと言っているわけではない。
気をつけるに越したことはない。
しかし、感染を恐れて家に引きこもり誰とも接触せず、楽しみもなく鬱病にでもなってそれで幸せだろうか。
 死ぬことを恐れるあまり、生きる楽しさも忘れてしまうことのほうが不幸ではないか。
死ぬ原因はコロナだけではない。
ここ20年あまり鳥インフルエンザ、SARS,MERSはじめ様々な疫病が世界を襲っている。過密都市への人口集中、森林伐採による鳥類生息地の減少、交通の発達による感染速度の加速化など文明病としてとらえなければならない背景を感じる。
コロナはもちろんのこと、多くの疫病と我々は共生せざるを得ない時代に生きている。
もちろん文明の進歩は多くの疾病克服にも寄与してきたのだから、一概に悪いことばかりではないはずだ。人類の寿命は確実に伸びているのが何よりの証拠である。
悲観論からは何も始まらない。
生きていることの意味を考え、そして死ぬことの意味も併せて考える。
一喜一憂せず運命は運命として受け入れる気持ちを持ち、今日の日を生きていきたい。
今日の日は再び来たらず、である。

 

★トマトに日本の可能性を見た!

2020年8月12日

今では一年中珍しくないトマトだが、かつては夏の野菜で、季語としても夏に位置付けられている。
いま日本の青果売り場で見かけるトマトは真っ赤に熟した色だが、昔は新鮮なトマトとはまだ青みが残っているものではなかったか。いまでも他の国に行くと赤くなる前の青みのトマトが実際に売られている。
実はここに日本の技術が隠されていることをご存じだろうか。
日本のタキイ種苗が開発した「桃太郎」という品種が現在の日本のトマト市場を大きく変えたのだ。
 
タキイ種苗のホームページから抜粋引用する。
「開発のきっかけは1960年代後半、都市に接していた農村は次第に宅地へと姿を変え産地は遠のいていきました。 当時のトマトはまだ果実が青い段階で収穫されていました。トマトは樹上で完全に熟したものを出荷してしまうと、輸送途中や店頭に並んでいる間にどうしても傷んでしまうからです。他社でも完熟系の硬いトマトは発売されていましたがあまり売れませんでした。赤色のトマトは加工用だというイメージがあり、消費者に避けられてしまうのです。トマト育成チームはもぎたての甘さ、輸送に耐えうる硬さ、そして色がピンクであることを目標に開発の道を歩き出しました。まずは50種類ほどの品種を選び出し、考えられる限りの組合せを掛け合わせることからスタートしました。何千、何万とある品種の中から交配を重ね、実際に栽培をします。開発を始めて6年目の1976年にようやく思い通りの実の硬さが実現しました。果実の硬さ、形の崩れないぎりぎりの肉厚、糖度6度以上、均一に熟していくこと、酸度とアミノ酸の含量などが「桃太郎」完成へのハードルとなりました。1985年、完熟で出荷できるトマトがついに発売、「誰もが知っている、フルーツ感覚の名前にしたい」ということから『桃太郎』と名づけられました。当時の会社広告費の50%を費やし、全国の生産者や市場関係者、種苗店、農協の方々に集まっていただき、試食会を開催しました。ひと口食べれば分かってもらえるという開発者たちの自信がそんな行動に走らせました」
現在日本国内で流通するトマトの大半は桃太郎系になって、青いトマトは姿を消したわけだ。野菜に味と質を求める時代の象徴的な商品が「桃太郎トマト」というわけだ。完熟の桃太郎はカロチン、ビタミンCなどがみなぎり肉質も充実、腰高丸玉の美形が丸ごと真っ赤になり、全部食べられる。糖度も平均6度とフルーツ並みに甘いのも現代人に評価された。皮の固さが特徴だが、日持ちの良さ、流通に都合がいいというプラス面が多い。温室用の「ハウス桃太郎」が開発されて通年栽培ができるようになり、トマトの旬は夏という神話は消えた。
 身近な野菜の裏にはこんなイノベーションがあったのである。
南米アンデス原産のトマトを日本は見事に変えた。
コンビニだってカレーだってラーメンだってもとはといえば他の国のもの。
日本はオリジナリティを付加させることに成功したのだ。
思えば漢字を輸入しひらがなを発明した国である。
換骨奪胎、和魂洋才はお家芸だ。
日本再生のヒントはこんな技術の付き重ねにあるのではないか。
すごいぜ、タキイ種苗!

★浴衣

2020年8月11日

最近は若いカップルが浴衣姿で花火大会を見に行くのを見かけることが多くなっていた。
と、過去形で書くのも今年に限ってはそういう夏のイベントが軒並み少なくなったのでおそらく見かけるチャンスも少ないだろうということだ。
「夏姿よくぞ男に生まれけり」
粋な夏の男の浴衣姿、浮世絵に描かれるあだな女の浴衣姿・・・。
浴衣はその昔,朝廷人や身分の高い人が入浴するときに身にまとった麻の単衣の着物のことで、「湯帷子(ゆかたびら)」といったのが浴衣の始まりと言われている。
その後次第に木綿が普及して暑中の外出にも着るようになった。
当時は藍と白の色合いが中心で、さわやかな色の対比と肌触りが人気となりあっという間に庶民生活に入り込んだ。
天保の改革で庶民は絣の着物を身に着けることが禁止となり、絹や麻の代わりに綿を使うことが多くなって浴衣はますます定着していく。
 さて冒頭に述べたように今年の夏は寂しい限りだが、オンラインで艶姿を見せ合ってはどうかと浴衣業界は売り込みに懸命だという。
画面に映りがいい浴衣を発売しているのだが、襟元の色柄をはっきりさせ、
地の色と柄の色にメリハリをつけてカメラ映りがいいことをアピールしている。
 また浴衣初心者向けへの対応も怠りない。
洋服のように着られる浴衣を販売し始めたのが全国に和服チェーンを展開する「やまと」だ。
着やすさが特徴の新商品お名前は「ゆかた0」。
柄は5種類で上下ワンピース型、かぶり型、前開き型がある。
また帯は2種類で 平面的な矢の字結びと、立体的なリボン結びがある。
もともとは体の不自由な人向けに簡単に身につけられるようにと開発したもので生地を立体的に裁断し、
寸法の調整を繰り返しながら美しい着姿になるように工夫したという。
外国人観光人観光客向けのレンタル着物も人気があったが、若い人や外国人が浴衣をきっかけに少しでも日本文化に興味を持ってくれるならば歓迎すべきことである。
 

★立秋

2020年8月 7日

今日は立秋、暦の上ではもう秋である。
先日ようやく梅雨が明けたばかりなのにもう秋か、と思うのは私だけではあるまい。
もちろんまだ残暑は続く。
ただ早起きの私は確実に日の出時刻が遅くなっていることも実感している。
今朝の日の出は東京で4時54分、夏至の時が4時26分だったからすでに30分くらい遅くなっている。
蝉の抜け殻が目立ち始め、気がつかぬうちに暦は確実に進んでいく。
特に今年は盆踊りや花火大会、あるいは甲子園の夏の高校野球など夏のピークのイベントがないだけに、メリハリがないまま秋になだれ込む様相だ。
 
 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる。
 
6日と9日の原爆忌、15日の終戦の日が暑さのピーク、ここを過ぎると何となく一年のマラソンも折り返し、という気分になる時期である。

★団扇(うちわ)

2020年8月 6日

団扇は細く平たい竹を扇状に組み、紙や絹を張って絵柄を施したもので、扇いで風を起こす多くは円形の道具のことだ、などと辞書的説明をしないと最近は見たことがないという人もいるようだ。
丸い形が多かったので「団(まる)い扇」、つまり「団扇」という字があてられたとか、虫を打ち払うから「打ちわ」になったという説もある。
団扇は中国伝来のもので、古代の中国や高句麗の影響が強い奈良の高松塚古墳の壁画には団扇を持った女性像が描かれている。この女性たちは団扇の他に太刀も持っており、この団扇は扇ぐためではなく墓主の権威づけの一種と考えられる。日本では弥生・古墳時代に団扇の形をした木製の出土品が発見されている。壁画にしても出土品にしても古代は扇ぐ、打ち払う使い方をしたようで厄払いという呪術の道具として使われた可能性がある。
団扇の基本形は戦国時代にできたようだが、圧倒的に流行したのは町民の力がついて紙が豊富に使えるようになった江戸時代以降のことだ。
「本渋団扇、奈良団扇、更紗団扇」の売り声で街を流し歩く「団扇の振り売り」という商売まであったという。
現代ではイベントでの販促用にプラスティック製の団扇が増えている。このほとんどは中国製だ。発祥中国の団扇でいままた中国製が主流というのもおもしろいことではある。
さてイベントといえば今年は夏まつりなどが相次いで中止され国内シェア9割の香川県丸亀市では受注が前年より7~8割も減り悲鳴を上げているという。
団扇を扇いでぜひ疫病退治をしたいところだ。

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