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死ぬということ

2018年1月31日

評論家の西部邁さんが自殺されました。

78歳でした。

論客が自分の死は自分で決めるという選択をされたことに敬意を表します。

本人の意思とは関係なく病院のベッドで多くの管につながれ、ただ生きているというだけの余生に何の意味があるのか。

元気で活動できるならともかく、植物人間として100歳まで生きて誰が嬉しいか、認知症で家族すらわからなくてそれでも生き続けたいと思うのか。

私もけっして他人ごとではないと思います。

以下、五木寛之さんの「孤独のすすめ」から引用です。

 

「ピンピンコロリ」が、ひとつの理想の死に方だと言われてきました。

しかし、そんな状態で逝ける人は、実際にはごく少数派でしょう。

医療技術の長足の進歩の結果、私たちは簡単に死ぬことができなくなりました。

すでに外界の刺激に反応することもなく、自らの力で食べることも飲むこともかなわず、胃袋に直接通したチューブから栄養を摂取して、植物状態で生きる。

現在もそういう状態で病院にいる人は少なくありません。

「人生百年時代」には、どれほどの数に上るのか、見当もつかないくらいです。

そうした状態でも、私たちは生きていたいのか。

敢然と「ノー」を突きつける人も、徐々に増えてはいます。

しかし、いわゆる「尊厳死」がこれだけ長い期間議論されながら、日本ではいまだに法的には未整備ですし、社会的容認にはほど遠いのが現実です。

人は、自分の意志とは無関係に、この世に生まれてきます。

ならば、しかるべき人生を全うした後に「退場」する時ぐらいは、自分の意志で決められないものだろうか。

私は、そんなふうに考えることがしばしばありました。

「日本人の生と死」をマクロで見つめてみると、また別の「新たな局面」も見えてきます。

日本の人口問題を語るキーワードが、「少子高齢化」から「人口減少」に移行しつつあります。なぜ人口が減るのか。

当面の主たる原因は、「子どもが多く生まれない」からだけではなく、「高齢者が死ぬ」からです。

これまで、「高齢化」という言葉の陰に隠れて、その事実が見えにくかったような気がします。

「人間、いつかは死ぬ」のです。

しかも、これからの日本で間違いなく起こるのは、超高齢社会につづく、未曽有の「大量自然死」の時代です。

           『孤独のすすめ ~人生後半の生き方』五木 寛之 著(中公新書ラクレ)

 

★地域の病院から紹介されて私が通院した国立横浜医療センターの若い女性医師は 1年間一回も私の顔も見ず、脈も取らず、聴診器もあてず、ひたすら電子カルテを打ち込むだけで、

糖尿だから糖質はダメ、米、 パン、うどん、そば、とんでもない

高血圧だから 塩、 醤油、ダメ

果物ダメ、 長生きしたいと思ったら全部ダメ、 というので

それなら何を食べればいいんですかと質問したら

薬だけ飲んでいればいいんです、と言い放ちました。

憤然と席を立って出てきました。

患者をただ薬を消費する動物としてしか見ていない医師に見えました。


さて一方で超高齢社会は中高年世代の自覚も必要と五木さんは説きます。

年よりはいたわられるものではなく、年よりでも果たすべき責任や自覚が必要と説きます。

さらに引用続けましょう。

 

「老人階級」が階級として世の中に受け入れられる条件。

それは、不可能とも思えますが、「自立すること」につきると思います。

まず一定以上の収入のある豊かな人びとは、年金を返上すればよい。そこは制度的に判定できるはずです。

何歳になろうとも、働ける人は働く。そして、十分な収入があるのなら、そのぶん年金は減らすようにするのです。

年金をもらわないことを「損だ」と考えるのではなく、ちゃんと社会に還元するのだ、と考える。

二つ目の提案は、「選挙権の委譲」です。

今の日本では、投票率は年齢が高くなるほど高まる傾向が顕著です。

ですから、政治家は高齢者に有利な政策を並べ立てることになる。

もちろんそれは、投票に行かない若者たちの責任でもあるのですが、それはそれとして、 高齢者の側があえて選挙権を後の世代に「譲る」度量を持つべきだ、と私は思うのです。

実際に、経済をはじめとする国の屋台骨を支えているのは、勤労者世代です。

若者たちには、これからその役割を担っていってもらわなくてはなりません。

そういう人たちがよりよい生き方をできなかったなら、国は衰退していくでしょう。

逆に言えば、下の世代が安心して働き、暮らせる環境があってこそ、「老人階級」の生活も保障されるのです。

高齢者には、年の功があるでしょう。しかし、判断力が鈍ったり、柔軟な思考ができなくなったりと、「有権者」として心許ない現象が顕著になってくるのもまた、認めなくてはならない「不都合な真実」ではあります。

少なくとも百歳以上の高齢者が、自主的に選挙権を返上することは認めていいのではないでしょうか。

また、超高齢者の選挙権を悪用されているケースも少なくない。

          『孤独のすすめ ~人生後半の生き方』 五木 寛之 著(中公新書ラクレ)


高齢社会の 生き方、死に方が真剣に問われています

 

近くの人より遠くのメル友

2018年1月30日

新聞でこんな歌が紹介されていました。

あたらしい  メールがきみに  届くたび  目のまへにいる  ぼくはうすれる


家族のだんらんでも恋人の会話でも、目の前にいる人よりもスマホ画面に神経を集中しているさまが浮かんできますね。
スマホの中の世界が目の前のリアルより大切というのはこれだけにとどまりません。

自分の目や耳で実体験することよりもスマホで調べたことの方が事実と勘違いしている人も多いようです。

現実の真贋を見極める訓練もなくしてスマホの真実なんかわかるわけないんですけどねえ。

 

とかくトラブルが多い昨今、参考になる文章を見つけました

2018年1月29日

動物は無用な戦いもやりません。
戦うときは獲物を獲るときか、自分を守るためです。

たとえば、高速道路で「煽り運転」を仕掛けてくるような輩は普通の神経ではありません。
したがって争わずに無視するか、逃げるしかない。
まして家族が一緒であればなおさら、危険な相手と喧嘩したところで一文の徳にもならない。

盛り場で肩が当たったとかどうかでやり合うのもそう。
相手をやり込めても全然得るものがない。

日本人には、この「得にならない」という意識が比較的薄い気がします。
損得で物事を考えるのはべつに悪いことではない。

パワハラ上司や粗暴なクラスメートにいじめられた挙げ句に自殺するなどアホらしい、と心の底から思えるかどうか。

正常な損得勘定が働かないがゆえに死んでしまう人がいるという問題の本質を、もっと真剣に考えたらよいと思う。

学校や職場で自殺を考えるほど追い詰められているなら、やはり転校や転職を考えるべきです。

ところが恐ろしいことに、苦しんでいる人ほど「いま自分のいる場所がすべてである」と思い込んでしまうのです。


          Voice 2018.1月号「自殺する前に逃げよ」百田尚樹 氏 より引用


 

スポーツってなんなのさ

2018年1月24日

オリンピックをめざすカヌーの選手が、ライバルの飲み物に禁止薬物を入れたという事件、なにか悲しさばかりが目立ちます。

そんなことして何になる?

それで勝ってどういう意味があるのかと周囲は思いますが、週刊誌報道ではそこまで追い込まれる家庭環境のプレッシャーもあったようです 。

義父の過剰なまでの期待に応えないと家族崩壊と考えたようですね。

批判されるまでもなく、本人は悪いと思って承知のうえでやっています。

追い込むと危険です。

個人の事情も複雑ですが国の事情もまた魑魅魍魎の世界。

もう一つ、朝鮮統一チームの話も政治に翻弄されて選手はいい迷惑ですよ。

国家的ドーピングの話にしても、純粋なスポーツマンシップなんて絵に描いた餅。

冬の韓国そして夏の東京と身近なはずのオリンピックが色あせて見えてしまうのが哀しいですね。

 

 

ところ変われば・・・

2018年1月23日

新聞で興味深い記事を見つけました。
あの「タニタ食堂」曲がり角?塩分摂取多い秋田は閉店へ、というのです。
 
産経新聞によると、「1食約500キロカロリーの健康定食」で爆発的な人気を得たタニタ食堂ですが、秋田市の「あきたタニタ食堂」の客足が伸びず、全国10店あるフランチャイズ(FC)店で初めて、3月いっぱいでの閉店が決定したそうです。

健康計測機器メーカーのタニタは平成24年1月に、タニタ食堂の1号店となる丸の内タニタ食堂をオープン。本社の食堂のメニューを再現したヘルシー定食をオフィス街で提供するというコンセプトが当たり、女性のビジネスパーソンを中心に連日、長蛇の列ができる盛況となりました。

その後、東北から九州まで全国にFC店を広げ、あきたタニタ食堂は26年12月、市中心部の商業施設内にオープンしました。
 
開店当初こそ盛況で、県や秋田市とタイアップした健康セミナーなども随時、行っていた。だが、次第に客足が落ち「想定の半分程度だった」と運営元のあきた食彩プロデュース(秋田市)の担当者は話します。
「過疎化と高齢化、喫煙や飲酒、塩分摂取量の多さなど食生活で予防ができていない」(秋田大学医学部附属病院の羽渕友則院長)という県民性が背景にあるのではと新聞では分析しています。

秋田県のホームページによると、「秋田県の食塩摂取量(成人)は全国平均より高い状況」だそうです。そこで、国の目標の成人男性1日8グラム未満、成人女性同7グラム未満に対し、秋田県は平成34年までに県民の摂取量を同8グラムにする目標を立てています。
「せっかく外食するなら、健康に気を使うより手の込んだものを食べたいと考える人が多いのかもしれない」と、あきたタニタ食堂では見ているそうです。

地域によって味付けの伝統もあり、健康志向というだけでは一筋縄ではいかないところにビジネスとして展開する難しさがあります。

 

現実を受け入れ対策を! ウナギ1%の現実

2018年1月16日

一般の人にはあまり知られていませんが、この時期はウナギの稚魚、シラスウナギの採取が行われる時期です。

しかし今年はこれが大不漁なんです。

国内外での漁獲量が前期の同じころと比べて1%程度と低迷しているそうです。

このまま推移すれば過去最低の漁獲量となりかねません。

今夏のウナギが値上がりするのは必至で、かば焼きは食卓からますます縁遠くなりそうです。

来年のワシントン条約締約国会議で国際取引の規制対象とするよう求める声も高まりそうです。

最初に漁が始まる台湾の今期の漁獲量は、前年の同じ時期と比べ100分の1程度に低迷、中国でも同レベルだといいます。

水産庁によると池入れと言って、一昨年は11、12月の2カ月間で約6トンのシラスウナギが国内の養殖池に入れられたが、今期はまだゼロ。
「漁の始まりとして良くないのは確かだが、これから漁が本格化する。今後の推移を見ないと何とも言えない」と水産庁で言っていますが、絶滅危惧種ともいわれるウナギの将来はかなり暗いと言えます。

イカなど他の水産資源も同様に大不漁が続いています。

水産資源との付き合いに大きな変化が生じています。

一過性と思わず抜本的な対策を考えなければなりません。


 

積小為大

2018年1月10日

二宮尊徳の言葉です。

小さいことを積み重ねてゆくことが、やがて大事を為すということです。

人生にはBGMはありません。

テレビドラマならば、運命の一瞬にはそれにふさわしいBGMが流れ、迫真の演技はスローモーションになり、何度もシーンは繰り返されます。

しかし現実の世界は毎日平凡なことが単調に繰り返されるだけです。

気が付いたら人生の岐路はあっという間に通り過ぎているものです。

毎日の平凡な小さなことを大切に積み重ねてゆく、それが人生だとは思いませんか。

今日という日を大切に

15%の視聴率の裏で

2018年1月 9日

1月7日 日曜日、日本中の新聞に大河ドラマ「西郷どん」スタートの全面広告が掲載されています。
新聞社から見れば広告を出してくれている側だからNHKを批判しませんが、これ一回で推定3億円かかっているんです。
最高裁はこういう受信料の使い方をそう考えるんですか?
受信料支払い義務の法的根拠は国民の知る権利を守るということだそうですが、低視聴率にあえいだ昨年の大河ドラマを考えても、国民の知る権利とはほとんど関係ないはず、ましてや雪辱を期すための大河ドラマの新聞広告にどういう知る権利との因果関係がありますか?

 

人生の運動神経

2017年12月26日

考えてから行動する、のが理想だとは思います。
でも現実にはとっさに行動してからあとから考える事の方が人生には多いのではないでしょうか。
とっさの時どう処するか、それが日ごろの鍛錬であり、もっと言えばその人の人生そのものだという気がします。

普通は考える間なんかないのです。
運動神経というか、とっさの判断の繰り返しが人生です。

だからよいと思ったことに躊躇があってはなりません。
判断できず動けないというのが一番まずいのです。

日頃から「人生の運動神経」を養いたいと思います。


 

大河ドラマが終わりました

2017年12月21日

1年間、視聴率は12%程度で史上ワーストを争うレベルだそうです。

最初数回見ましたが、ついに我慢できなくなって視聴を断念しました。

果たして受信料を使って、多くの国民が視ていないドラマを作り続ける必要があるのでしょうか。

民放ならば不評だと打ち切られます。

需要がない商品は淘汰されます。

しかしNHKにはそういう理屈はないようです。

最高裁は知る権利が受信料支払い義務の根源といいますが、そもそもその受信料で娯楽番組を作る必要はありません。

だいたいNHKにしか報道できないことって具体的に何なのか、挙げていただきたい。

私はNHKと民放両方から給料をもらい、報道の現場にいてNHKだから放送できなかった権力側のニュースはいくつか知っていますが、NHKしか報道できず民放ではできなかったニュースというものに出会った経験はありません。

NHKはBBCなど他の国の公共放送の事例はよくあげますが、アメリカはじめ公共放送がなくても別に必要性を感じていない国の話はしませんね。

NHKだから伝えられることよりもNHKだから伝えられないことのほうがいまや問題だと私は思います。

権力へのチェック機能はむしろ民放や新聞で、国会で予算通してもらうために与党対策をしなければならないNHKのほうがはるかに権力におもねっていると考えるのは私だけでしょうか。

百歩譲って災害報道などでNHKの重要性があるということは認めても、ドラマや歌番組に受信料は回すべきではないでしょう。

19日、18時のNHKローカルニューストップはシャンシャンでなんと20分間。

19時ニュースもトップはシャンシャン。

これで知る権利ですか?

恥ずかしくないのかしらん

 

 


 

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