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★夜の秋

2020年8月26日

「夜の秋」という言葉をご存じだろうか?
「秋の夜」ではなく「夜の秋」である。
「秋の夜」はもちろん秋の季語で、月を愛で虫の声を聴くような雰囲気を連想する。
それに対して「夜の秋」は夏の季語なのだ。
昼間は依然として猛暑だが、日が暮れてから涼しくなり、夜だけはさすがに秋と感じられるということである。
確かにここ数日夜は少ししのぎやすくなった。熱帯夜のこともまだあるかもしれないが、次第に夜吹く風は涼しくなってゆく。
少しほっとした気分になるが、夏の疲れも出る頃でもある。
今年は梅雨が長すぎ、その後厳しい暑さが集中的に襲ってきた。長雨日照不足の後の極暑で、野菜や果物の出来は良くなかったようだ。青果売り場を除くと野菜が軒並み高くスーパーではこういう時はカット野菜や冷凍野菜がお薦め、と客を誘引している。また葡萄や桃、梨といった旬の果物は軒並み価格が高く、売り場の中心はバナナやオレンジ、キウイと言った輸入品が例年より多い印象だ。
 
いろいろあったご時世、台風被害も残暑もほどほど穏やかな秋を期待したいものである。
 

★「バチがあたる」を信じますか?

2020年8月25日

 
新聞社というところは面白い世論調査をするところのようだ。
「あなたは安倍内閣を支持しますか?」
「憲法改正に賛成しますか?」などと尋ねられると、答える方もつい顔が引きつるだろうが、
さて次の質問にはどんな顔で回答するのだろうか?
「バチが当たることがあると思いますか?」
話を進める前にまずあなたの回答を心の中で出してほしい。


 読売新聞社が今年3~4月に実施した全国世論調査で、バチがあたることが「ある」と答えた人が76%にのぼったと記事で紹介していた。
56年前(前回の東京オリンピックの年1964年)の調査では「ある」が41%で、半世紀を経て今回大幅にアップしたという。
回答を左右する調査の質問文は次のようなものだったという。
「人の迷惑も考えないで自分勝手なことをしたり、残酷なことをしたりする人がいると『あの人はいまにバチがあたる』というような言い方をすることがあります。あなたはバチが当たるとか、報いと言うことはあるものだと思いますか、ないと思いますか」
 この設問を受け止めると、自分ではどうしようもないイライラ感の高まりから悪い行いには「バチがあたる」というより「バチがあたれ」という意識が高まっていると考えられそうだ。
ある程度成功している人は、社会は公正だと考えがちだ。
それに対して社会・経済的に報われない人は、不公正な社会を作り出した人に罰が与えられるべきと考えるかもしれない。
 今回の世論調査で注目すべきは18~50歳までの各年代は80%以上が「バチがあたる」と回答したが、60代は74%、70代は63%と比較低めな回答だったという。1964年調査の時は若い世代の方が「バチがあたる」の回答が少なかったというから、若い世代の意識の変化が大きかったことが特徴だ。
ここから考えられる仮説は、将来への悲観は若い人ほど強く、また今回調査が新型コロナウィルス流行期と重なり「自粛警察」などと評される社会現象が起きていたことを考えると、社会への不満、夢が実現しない社会へのイライラがあり、他人の行動に攻撃的な意見も多く出された、と推測できないだろうか。
「バチがあたる」を「バチが当たれ」と読み替えると、ネットなどでの辛辣な意見表明の背景もなんとなくわかる気がする。


 みながマスク姿で憂鬱そうな顔をして過ごす社会。
笑顔が消えた社会を乗り越える道は険しい。
 

★蚊は昆虫なのに、カブトムシのようには愛されない

2020年8月24日

子どものころ夏休みに昆虫採集をしたという思い出を持つ人も多いだろう。
カブトムシやクワガタなどは子どもたちの人気者だ。
しかし同じ昆虫でもゴキブリや蠅、蚊となると少々事情は違ってくる。
昆虫採集の標本にこうしたものを学校に持っていったら先生はどんな顔をしただろうか。
「蚊」は「双翅目(そうしもく)カ科に属する昆虫の総称」である。
蚊は、ほぼ一年中生息しているが、やはり主たる活動期は夏だ。
ブーンと現れ、チクリと刺し、かゆみを残す困った存在で、しかもデング熱や日本脳炎など感染症を媒介する心配もある。
蚊は水たまりや池、沼などの澱みで発生するボウフラが幼虫だ。都市部では水田が減り、川が暗渠化され、舗装道路で水たまりも減っているから昔よりも発生源は少なくなっているはずだ。
昔はエアコンもなく開けっぱなしの家が多かったし、発生源も家の近くに多かったのだから蚊に刺される現代の比ではなかったはずだ。
蚊を退治するには昔から何かを燻し,その煙の嫌な匂いで蚊を近づけない方法が効果的と考えられた。
刈ってまだ青みのある草、楠か榧(かや)などの木皮,杉の葉、かんきつ類などの皮を燃やし、その匂いで蚊を遠ざけた。
また網戸のない昔は夜間だけでなく病人や幼児には蚊帳を吊って蚊から守った。
そんな蚊帳も昭和30年代くらいまでで最近は見かけなくなった。
人類誕生以来の小さな蚊との戦いは攻撃からの防御から、発生源そのものを断つという戦いへと移行しているが、まだ完全に勝利するまでには至っていない。
 

★井戸を知らない人も増えましたね

2020年8月21日

汗びっしょりで帰宅するとまずシャワーを浴びてホッとする、という人も多いだろう。
昔は井戸から水を汲み、汗や汚れを落としてから家に上がるというのが一般的だった。
ただ、井戸はそれを掘る財力を持った人だけの設備で、都市に住む貴族や武士など上流階級の住む屋敷にしかなかった。
一般の人は自然の湧き水のある所や川の近くに家を作った。
一般の家庭に井戸が普及したのは江戸時代からだが、その家だけが使う内井戸と、たくさんの人が使う共同井戸とがあった。
長屋の井戸端会議などというのは共同井戸のことだ。
一般の井戸は縦穴を掘り、穴底に地下水を溜めその水をくみ上げて使うが、江戸の井戸はすこしちがった。
江戸の場合は、水道水のくみ上げ口だった。遠方から引いた水を地下に敷設した樋を通して出口まで送り「井戸」からくみ上げた。
実は「井戸のように見える水道」だったのだ。
その理由は地形にある。江戸は中世まで江戸城近くまでが海だった。それを埋め立てて造ったのが江戸の町だから、井戸を掘っても塩分を含んだ水しか出てこなかったのである。
家康のころは小石川上水と溜池の水を供給していたが、それでは巨大都市を賄えず井の頭池を水源とする神田上水、そして多摩川から取水する玉川上水を完成させた。
水道は江戸っ子の自慢で、「水道の水で産湯を使う」のが由緒正しい江戸っ子とされたのである。
100万都市江戸は当時世界最大の都市、ここに清潔な上水があったことは特筆に値する。またロンドンやパリの町では道路や川に下水が垂れ流しで疫病対策上も大きな問題があったが、江戸では人糞を汚わい屋と呼ばれる人が有料で買い取り近郊農家に肥料として売るというリサイクルシステムが確立していたことも江戸の美点として知っておく必要がある。

★読書感想文の宿題

2020年8月20日

今年は夏休みが短くなって子供たちは宿題が大変だという。
絵日記一つ考えてもそもそも題材集めが難しい。家族旅行も海水浴も花火大会も何もない夏なのだから。
ところで読書感想文を書くために今頃必死に本を読んだ記憶があるのではないか?
学生時代、私は小学生から高校生までを対象に手広く家庭教師をしていた。夏休みの初めにそれとなく宿題の読書感想文のテーマ本を聞いておく。子供に内緒で先回りしてみんなのテーマ本を全部読んでおくためだ。
さて8月末、案の定、読書感想文が書けないと親と子供から悲鳴があがる。
そもそも作文が苦手だという子供は昔から多い。
私自身小学校や中学校で作文や読書感想文の書き方を習った記憶がない。
ゆとりの教育が強調された時代もあったし、英語の授業が加わったりして
小学校のカリキュラムで国語の時間はむかしよりも減ってしまい、いま時間のかかる作文指導は普通の学校ではほとんど行われていないようだ。
作文を書く機会が少なくなって上手に書ける子供が増えるわけがない。
読書感想文にしても夏休みの宿題にはなっても、感想文をどう書けばよいか指導を受ける機会はそうそうあるものではないようだ。
私は家庭教師の子供たちと本の内容をディスカッションし、ポイントをかき出しそれを感想文にまとめる指導をして喜ばれた。
宿題を「嫌な義務」ととらえず、本に親しむきっかけにできればどれほど人生に役立つか。親や祖父母がそんな役割を担えたら素敵だと思う。

★スポーツ界にクラスター発生

2020年8月19日

 サッカーJリーグのチーム内で新型コロナの集団感染が明るみに出たと思ったら、大学のレスリング部、ラグビー部でも相次いでクラスターが発生したという。
偶然かもしれないが、この三つの競技には激しいぶつかり合いが前提にある「三密」という共通点がある。
柔道や空手、ボクシングなどの競技も春以降、試合はおろか練習もままならないという。
そうなると、やはり来年のオリンピックは難しそうだ。
政府あるいはIOCのレベルでは政治的経済的な問題もあり何とか実施したいと考えているかもしれないが、選手たちにしてみればとてもオリンピックどころではないと思われる。
世界中から選手を集め選手村という集団生活を前提とし、興行黒字を想定した観戦チケット販売をするならば、これはどう考えても難しいと思わざるを得ない。
当初クルーズ船を係留してホテル代わりにするなどと言っていたが、これなどとても無理な話だろう。
やらないならやらないと早く結論を出さないと、ますます多くの人たちを混乱させることになる。
決断の時までもう時間は残されていない。
2024年東京、28年パリ。あるいは24年パリ、28年東京という手もある。
世界的な危機の中でのオリンピック開催にどんな可能性があるか、日本は政治力を発揮するときではないだろうか。

★隣は何をする人ぞ

2020年8月18日

青果店経営とは言わないそうだ。「食品関係です」
タクシーの運転手とも言わない。「交通関係です」
大工などとも名乗らない。「建設関係です」
身元を隠す、これが現代の処世術である。
以前なら電話帳から社員名簿、クラス名簿といったものまであった。
私が小学校の時のクラス名簿には両親の名前から職業まで記載されていた。
時代は「個人情報保護」へと変わった。
身元を不用意に開示すれば悪用される心配がある、という認識が世の中に広まった。
先日岩手県に「わんこそば」を食べに行ったら、住所氏名電話番号を書かせる紙に記入を求められてびっくりした。
たかが昼飯食べるのに・・・、生まれて初めての経験だった。
この時点で岩手県はコロナ感染者ゼロ。東京など以上に町全体がピリピリしていた。
戦前、国家総動員法が発令された。
「欲しがりません 勝つまで」「ぜいたくは 敵だ」というスローガンのもと銀座や新宿狩りが行われた。「夜の街関連」はぜいたくだと標的にされた。
また隣組組織が作られ、ぜいたくな暮らしをしていると警察や憲兵に告げ口された。
こうしたことは過去の話だと思っていた。
とくに都会でマンションなどに暮らしていれば、「隣は何をする人ぞ」というのが常識、という社会で生まれ育った人も多いことだろう。
しかしここにきてまた「夜の町関連」とか「隣のうちでは息子が東京から帰ってきている」という噂が千里を駆け巡る状況になっている。
「ご近所の目があるからお父さん帰ってこないで」と単身赴任のお父さんが帰宅できなかったり、病院関係者の子供まで友人と遊んでもらえなかったり、学校の先生から登校するなと言われる「事件」まで起きた。
国民性という根っこの部分は、時代が変わっても変わらないものなのかと社会学を研究する立場で感じる。
コロナがはからずもあぶりだした「集団ヒステリー現象」は、ある意味コロナ以上に根深い社会の病理ではないだろうか。

★塩のうんちく

2020年8月17日

テレビで盛んに「命にかかわる暑さです。冷房をかけて水分補給、そして塩分も補給してください」と呼び掛けている。災害にしても炎暑にしても、起きた事実を報じる前に未然に被害を予防する報道へと切りかわってきたのが最近の特徴だ。ただ「百年に一度の・・・」とか「危険な・・・」などやたら空恐ろしい修飾語を連呼されると少々うるさ過ぎる、と感じるのは私だけだろうか。
アナウンサーが「津波が来ます、にげてー」と絶叫する時代になった。
それはさておき、今日は塩分、塩の話だ。生きる糧としての塩ではあるが、一度その味にこだわりだすと塩の道は果てしなく深い。たとえ気に入りの塩を見つけたとしてもその塩が普段口にする味噌、醤油、漬物、干物などに使われているわけではない。例外はあるものの、食品メーカーでは高価な塩は使い切れないからごく普通の塩を使っているはずだ。それだけにせめて家で使う塩はこだわりたい、という人が増えているようで、最近は世界の塩を取り寄せるような塩専門店も見られるようになった。
日本では1971年に専売法によって塩田が消滅しイオン交換膜方式により取り出された純度99%以上の塩化ナトリウムだけが公の塩になった。この化学的な塩に飽きたらずに生まれたのが「自然塩」である。
自然塩は、輸入天日原塩にニガリを加えてミネラル分を残しながら再精製したもの、また塩田の伝統製法を改良したタワー式による国産海塩と大きく分けて二種類あり、後者が沖縄や伊豆大島、高知などでつくられている「いわゆる土地の味」である。
タワー式製塩とは昔の塩田を立体にしたもので、10メートルくらいの建屋の上から竹ぼうき状に組んだ内部に、何度も何度も海水をポンプでくみ上げては落としてゆく。海風で水分が蒸発するので次第に塩が固まってくる。
海水の塩分の濃度があがった鹹水(かんすい)ができると、これを天日干しあるいは煮詰めにより時間をかけて塩にしてゆく。
天日干しはさらさら、煮詰めた塩はしっとりした感触が特徴だ。
時間と手間をかけた逸品の出来上がりである。
価格は日本たばこ産業の塩とは比較にならないが、それでも塩専門店はもちろんのこと、道の駅、空港の土産物店などでも人気商品として扱われている。
統制価格から解き放たれて、付加価値を生んだ典型的な例だろう。
こだわりの塩をふって冷やしトマトでも食べて、酷暑を乗り切りたい。

★風呂敷

2020年8月14日

モノを包んで持ち運ぶ風呂敷を使ったことはあるだろうか?
昔は当たり前の包むツールだった風呂敷が日常使われなくなったのは紙やビニールの袋が普及したからだろう。
しかし考えてみれば風呂敷は何度でも繰り返し使うことができる「究極のエコバッグ」ともいえるもので、今後復活する可能性が大きいのではないだろうか。
ところで風呂敷はそもそもどこに売っているかご存じか?
百貨店などでは風呂敷は呉服売り場に置かれている。
先日浴衣の話をしたが、まさに和装にはぴったりの携帯用品と言える。
そもそも風呂敷という名前の由来は、室町時代に将軍が建てた湯殿に招かれた大名が脱いだものを取り違えないように包んだことにあるという。
江戸時代には一般庶民の間にも普及した。
大きさによって用途が違う。
一辺が45センチほどの小型は主に金封を包むふくさ代わりに、一辺が68センチサイズは菓子折りなどの進物を包む際に使われる。売れ筋の一片90センチや96センチサイズなら大抵のものを包むのに対応できる。
かつては中元などをもってお世話になった人を訪ねる時、贈答品を風呂敷に包んで持参するものだった。風呂敷をほどいて贈答品を出す行為は相手を尊敬しているという証だったのだ。
結び方を工夫すればバッグのようにもなる。
風呂敷を使いこなすことこそお洒落で粋、と言われる時代も遠くはないように思う。
 

★今日の日は再び来たらず

2020年8月13日

盆の時期だからこそ少々考えた。
疫病で多くの人が恐怖に駆られている。
ここにきて宗教にすがろうという人も多いようだ。
中世ヨーロッパではペストの恐怖から逃れようと教会信仰が盛んになったが、
結果として教会は無力であることを露呈し、教会権威の失墜を招く。
その後ルネサンスへと歴史は動いた。
 私はコロナで死ぬことがそんなに怖いことかと思う。
日本人の平均年齢は80年余り、100歳まで生きる人も珍しくなくなった。
それでは今の人が幸せで、平均年齢で50年くらいしか生きられなかった時代の人たちは不幸なのか。
ちなみに死因で多い自殺をどう説明するのか、長生きになって幸せなら自殺は矛盾だろう。
極端な話コロナで多くの人が死に、統計上世界の人の寿命が一様に10年短くなれば、みんなが早く死ぬだけ。ただそれだけのことだ。
コロナ対策で皆が清潔を保った結果、インフルエンザなどの罹患率が大幅に減っている。肺炎で死ぬ人が大きく減ったということをどう考えればいいのか。
基礎疾患を持った高齢者はコロナを気をつけよと言うが、もともとそういう人は別の原因で死ぬ可能性が高かったのではないのか。
もちろん、感染予防をしなくていいと言っているわけではない。
気をつけるに越したことはない。
しかし、感染を恐れて家に引きこもり誰とも接触せず、楽しみもなく鬱病にでもなってそれで幸せだろうか。
 死ぬことを恐れるあまり、生きる楽しさも忘れてしまうことのほうが不幸ではないか。
死ぬ原因はコロナだけではない。
ここ20年あまり鳥インフルエンザ、SARS,MERSはじめ様々な疫病が世界を襲っている。過密都市への人口集中、森林伐採による鳥類生息地の減少、交通の発達による感染速度の加速化など文明病としてとらえなければならない背景を感じる。
コロナはもちろんのこと、多くの疫病と我々は共生せざるを得ない時代に生きている。
もちろん文明の進歩は多くの疾病克服にも寄与してきたのだから、一概に悪いことばかりではないはずだ。人類の寿命は確実に伸びているのが何よりの証拠である。
悲観論からは何も始まらない。
生きていることの意味を考え、そして死ぬことの意味も併せて考える。
一喜一憂せず運命は運命として受け入れる気持ちを持ち、今日の日を生きていきたい。
今日の日は再び来たらず、である。

 

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