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★小暑

2020年7月 7日

今日は小暑、夏至から数えて15日前後、ますます暑くなる頃である。
また梅雨末期の集中豪雨に毎年悩まされる時期でもある。
コロナ騒ぎの直前の今年1月末に、熊本から球磨川沿いの肥薩線・吉都線の観光列車「いさぶろうしんぺい」に乗り人吉、鹿児島へと旅をした。
球磨川は三大急流と言われる川で日ごろから濁流が渦巻く河川である。
また熊本、鹿児島、宮崎の県境近い九州南部山岳地帯は日本有数の降雨量の地でもある。
かつて宮崎放送局に勤務したが、アメダスのデータでえびの高原付近は数百ミリの雨量を記録することが一年に何度もあった。
そんな大雨も珍しくはない土地ではあるが、過去の経験では測れない量の雨が今回は襲い、球磨川が氾濫した。
犠牲になった方にお年寄りが多いことに胸が痛む。
日本の中でも高齢化が進む地方の山間部、避難したくても思うに任せないというお年寄りが一人で心細い思いをしているところが毎年のように自然の猛威にさらされている。
 
すでに衰退過程に入っているこの日本の国力で、国土すべての防災対策を行うことは理想だが、現実には不可能だ。
防災対策の順番を待っている間にも風水害以外の地震や火山噴火などの災害が襲う危険もある。
となると、危険が予想される地域に住む人たちにあらかじめ転居を勧める施策も必要ではないだろうか。
誰だって先祖以来の住み慣れた土地を離れることには抵抗がある。
しかしこの地に住み続けることがいかに危険を伴うか行政が説明説得をすることもこれからは重要だと考える。
このことは居住移転の自由を保障している憲法下難しい問題で、これまではタブーだった。
ある危険地域にわずかの人しか住んでいないとして、その地域に巨額の財政資金を投入して防災対策を施すことは、もはやできない。
できないことをはっきりと言うことも、今後日本の行政には必要なことだと私は思うが、皆さんはどう思うだろうか。
 

★お告げはなくても夏は来る

2020年7月 6日

江戸に夏の訪れを告げる行事といえば、7月6日7日8日と七夕を挟んだ三日間開催される入谷の朝顔市、そして9日10日の浅草寺のほおずき市である。
しかし今年はご多分に漏れず中止で、江戸に夏の訪れは告げられない。京都祇園祭も博多山笠も同様、コロナの奴め、二度とコロナ、じゃない来るな。

江戸時代末期に大ブームとなった朝顔栽培は、明治に入るといったんは衰えたが、明治15年(1882)頃から大正初めにかけて、入谷田圃といわれた一帯に住んでいた植木屋によってひろく栽培されるようになり、大輪のものや変り種の登場で人気を集めた。全盛期の明治中期には、早朝から通行止めとなるほどの賑わいを見せたという。
近年は宅配便業者が朝顔の屋台の横に待機して、客が買うと同時に配達伝票を持って待っている。持ち帰りのめんどうがないことで購買促進につながっているようだ。私も毎年のように覗いていただけに今年はがっかりだ。

浅草寺の観音様の功徳日で日数の一番多いのが7月10日。この日にお詣りすると四万六千日分に相当すると云うことで、江戸時代からこの日のお詣りが盛んだった。朝顔市の翌日7月9日と10日の四万六千日の日、にぎわう浅草寺境内に120店ものほおずきの出店が並び、にぎやかな売り声が響き渡るのが恒例だった。

江戸の下町風情を味わうことができる朝顔市、ほおずき市が開かれなくても、確実に盛夏は近づいているはずだ。
 

★冷奴の季節

2020年7月 3日

冷奴がおいしい季節になった。
これほど簡単な料理もあるまい。
自分で豆腐を作るというなら話は別だが、ふつうは買ってきてパッケージをとり、器に盛ればもう食せるという簡便さだ。
味付けは、醤油よし、塩がいいという人もいれば、だしやポン酢が好みという人もいる。薬味もネギに茗荷、ワサビにショウガ、青紫蘇、さらにはゆず味噌にキムチという人もいる。
白米のごはんと同じで豆腐本来の味は薄く、様々な味と併せておいしさを堪能できるのがいいし、飽きもこない。
冷奴の「奴(やっこ)」は、もともと大名行列の先頭で槍や挟み箱を持つ役「槍持奴(やりもちやっこ)」のこと。この槍持奴は大きな四角形を染めた半纏を着ていることが多かった。その四角い大きな紋は、「釘抜紋」という。この紋所から、食材を大きめの立方体に切ることを「奴に切る」と表現するようになった。「奴豆腐」は豆腐を奴に切って食べることからその名がついたと言われている。
昭和の時代には自転車で豆腐屋がラッパを吹いて住宅地を回り、そこに鍋をもって主婦たちが豆腐を買いに行く姿が見られた。映画「男はつらいよ」でそんな風景を見ると懐かしい。
のどかな時代に冷やっこには瓶ビールと蚊取り線香、うちわが定番であった。

★一度手にした在宅勤務は失いたくない

2020年7月 2日

内閣府が行った新型コロナウィルスの感染拡大に伴う生活意識や行動の変化に関する調査結果が発表された。
それによると、就業者の34.6%がテレワークを経験したと回答している。
そのうち東京23区在住者では55.5%に達した。
今回のコロナ禍と在宅勤務の進展により「家族の重要性をより意識するようになった」という回答が全体の49.9%とほぼ半数に達している。
 
業種別にみると、テレワーク実施率が高かったのは金融保険不動産で47.5%、逆に低かったのは医療福祉保育の9.8%、農林漁業17.1%などと仕事の内容で差ついた。
テレワーク経験者に聞くと「仕事より生活を重視するようになった」という人が64.2%に上り、未経験者の34.4%を大きく上回った。
またテレワーク経験者の24.6%が地方移住への関心が高まったと回答している。
東京23区の就業者に対しての質問で、「通勤にかける時間が減少した」という回答が56.1%を占めた。注目すべきは、このうち72.7%が現在の通勤時間を今後も保ちたいと回答していることだ。
 
コロナが私たちのライフスタイルや考え方を変えるきっかけになることはまちがいなさそうである。

★半夏生

2020年7月 1日

今日から7月だ。例年なら海開き、山開きのニュースが各地から聞こえてくるが、ことしは海水浴場を開かない、あるいは夏山登山を禁止というところが多く、祭りや花火の中止なども併せるとなんとも寂しい夏になりそうだ。
今日は七十二候の一つ「半夏生(はんげしょう)」。農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、この日から5日間は農作業を休みとする地方もある。またこの日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。
そこから各地には食にまつわる習慣が伝わっている。近畿地方の一部地域ではタコを食べる習慣があり、近畿地方各地の小売店ではタコの販売に力を入れている。日本コナモン協会ではたこ焼きをはじめタコのお好み焼・焼きそば、唐揚、タコ天うどんなどを促進する「蛸半夏生キャンペーン」を行っている。
また福井県大野市では江戸時代に大野藩主がこの時期に農民に焼き鯖を振舞ったという逸話があり、現在も大野市を中心とした地域では半夏生に焼き鯖を食べるという。交通の発達で地域だけの食の習慣は薄れがちではあるが、旅に出て地域ならではの食の由来を知るのも楽しいものである。
なおこの頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言う。梅雨末期の大雨は昔から言い伝えられ恐れられている。

★夏越の祓え(なごしのはらえ)

2020年6月30日

今日で令和2年も半分が終わる。
思えば今年前半は散々だった。
年が明けたときにこんな年になるとはだれも予想していなかっただろう。
予定ならば今ごろは東京オリンピックの開会式まであと一か月を切り、国中挙げて歓迎ムード一色のはずだったのだから。日本を訪れる外国人も今年は4000万人の目標にかなり近づき、国際都市東京が全世界にクローズアップされていたことだろう。
それが・・・。
前年比99.9%減と外国人の姿は繁華街からすっかり消えてしまった。
今年の十大ニュースはコロナショックの一大ニュースのみ、という状況だ。
せめて後半はコロナが萎み、明るい話題が増えてほしい、これは国民みんなの願いだろう。
本日は夏越の祓えである。もともとは陰暦6月晦日のお祓いの行事だが、今は新暦の6月30日に行う神社が多い。
鳥居の下に設けられた茅の輪を参詣者にくぐらせ穢れを払う。今年前半の邪気を払い、後半の多幸を祈るのだ。

みんなの復活への思いを祈りたい。
先日テレビでオーケストラや合唱団の人たちの復活に向けて努力を重ねている姿を見て、心を打たれた。
無観客で収入は望めなくても、楽器演奏や歌うことを生業として生きてきた自分たちの存在を賭けての取り組み、試行錯誤。
マスクをしたままで声が出せないか、ソーシャルディスタンスで楽器を演奏できないか・・・。
なんとかしたいという心の叫びに、拍手を送りたい。

さあ今年後半、みんなで乗り切ろう。

★通勤はどうなる?

2020年6月29日

コロナ禍により企業では経営の在り方を見直そうという動きが急速に進んでいる。その中心にあるのがテレワークだ。
在宅勤務にすべてが移行するとは思わないが、なにも毎朝決まった時間に全員が出勤する必要もないという考え方はかなり広まると思う。
そうすればオフピークとなり通勤地獄から解放され、サラリーマンにとって恩恵は大きいだろう。
主に電車を使い、一時間あるいはそれ以上かけて通勤するという形態が日本の大都市では一般的だが、同じ日本でも地方都市ではマイカーや自転車で30分以内という通勤は普通のことだ。コロナ禍でテレワークが推奨されたことをきっかけに地方へ移住したいと考えた人が多かったのも「痛勤」からの解放という意識が働いた結果と思われる。

ところで電車による通勤はいつごろから始まったのだろうか。
東京で路面電車が走りだしたのは明治の後半だが、すでに大正時代には満員電車が出現していたようだ。大正の時期に東京市電の絵葉書に「東京名物満員電車」という記述が残されている。
明治末から大正にかけては、官公庁や企業の規模大きくなり、また工業が発達して工員として働く人が増えたことが通勤人口の増加をもたらした。

大正12年(1923年)に関東大震災が起きて都心が焼け野原になると、都心部から郊外への人口移動が進み、通勤電車が本格的に利用されるようになる。その後私鉄による郊外の開発が進み、戦後は住宅公団の団地造成も加わって通勤距離もどんどん延びていった。

ざっと100年にわたる通勤圏拡大の流れが、高齢化の進展に加えて今回のコロナ禍による勤務形態の見直しで変わるのか注目される。

 

★自然に人知は及ばない

2020年6月26日

梅雨らしいどんよりと曇った日が多い。
農業や生活用水の確保を考えると、ある一定量の雨が降ることは必要だが、最近はこれまでの常識では想定できないような集中豪雨も多い。特にこれから梅雨末期にかけて最も警戒すべき時期だ。
今年はコロナ感染拡大に警戒しながら万が一の風水害、さらには地震にも備えなければならない。
 
人工知能などが発達してもいまだ降る雨の量を正確に予測できない。
大雨に備えてダムの水をあらかじめ放流しておかなければ満水になって下流域に大きな被害をもたらすかもしれないと思いながらも、万が一想定通り雨が降らなければ貴重な水がめの水をみすみす失うことにもなりかねない。
 
また昨年はハイテクの塊のようなタワーマンションが、都市河川があふれたことで機能停止に追い込まれるということもあった。巨大な塔が文字通り足下をすくわれた。
 
人知はまだまだ自然を克服するには至っていないと痛感する。
コロナ禍にしても最後は手洗いとマスク着用という極めてアナログ的な防衛手段に行き着く。竹やりで戦争する如くに感じる。
災害は忘れたころにやってくる、災害は必ず来るという緊張感を持ち続けることの大切さを改めて思い知らされる。
 

★新しい生活様式の模索

2020年6月25日

コロナと付き合いながらの生活は難しい。
とくにマスクをはずす「食」の場面だ。
「三密を避けろ」と言われても、宴会をするような居酒屋は鍋をつつくのが常識だ。中華料理の円卓はどうするのだ。無言であるいは一人でフランス料理を食べるというのも・・・。
食事は対面でなく横並び、おしゃべりは控えめ、大皿は避けなさい。
こう言われて廃業を決断する飲食店の経営者も多いだろう。

これまでの日本人の食生活の歴史を考えてみたい。
奈良時代以来銘々皿に分けて食べるというのが上流階級の普通の食事だったようだ。
また明治期には箱膳という一人用のお膳が一般的で、とくに商家や農家では家長を中心に座る場所や料理も決まっていた。家長が食べながら教訓を垂れることはあったようだが、ほかの人は基本的には黙って食べ、食事中の会話はほとんどなかった。
大きな変化はちゃぶ台の登場とともにやってくる。
これは明治の末頃から始まり昭和の初期には全国の家庭へと普及した。
家族全員がちゃぶ台を囲み、大皿のおかずをそれぞれが取り皿に取って食した。
大正期以降、農村的大家族から核家族化が進み、両親と子供という世帯が増加して会話しやすい雰囲気も生まれてきた。
この流れがはっきりするのが戦後である。
昭和30年代以降2DKの団地が普及してダイニングテーブルによる食事が一般化した。その後高度成長期に通勤時間が長くなったり、残業や出張さらには単身赴任でお父さんが食卓から欠けることも多くなり、子供も塾などで忙しくなって個食の時代へと変化していく。
コロナ以降、外食の風景とともに、在宅勤務の普及などで家庭の食生活にも変化が起きるかもしれない。
新しい生活様式というとき、「食」の場面がどう変わってゆくか大いに注目される。
 

 

★人生は流転する

2020年6月24日

親の七光りという言葉をどう解釈するだろうか。
親から継ぐものなど何もなかった私などから見れば、うらやましいと思う反面、ある人のことを、おまえの今の地位は親がいなければなかっただろうと、軽蔑の眼で見ることもある。
日本の国会議員の過半数は二世議員である。
この傾向は小選挙区制になってますます大きくなったといえる。
各選挙区の支部長である国会議員が死去あるいは引退した時、後継者として座りがいいのはやはり親族ということになるからだ。
与党が何人かの候補者を立てられた中選挙区制の時代ならば、世襲以外の出身者にも可能性があるが、一選挙区から一人しか候補者を出せないとなれば知名度と個人後援会の基盤を引き継げる世襲は圧倒的に有利となる。
1963年、広島県三原市でサラリーマンの家に生まれた河合克行は慶応大学を出て政治家を志した。親は自宅を担保に入れ資金を工面した。28歳で県議、33歳で代議士に、「末は大臣を目指したい」と語る一方で「金を渡す議員にはなりたくない」が口癖だったという。
世襲ではない政治家の誕生である。
しかし金集めには苦労したようで電気代節約のため事務所でエアコンは使わず、チラシの印刷代やガソリン代も滞納が目立った。その「貧乏事務所」が昨年の夫人の選挙で潤沢に買収資金をばらまいたことを周囲は奇異に感じていたようだ。自民党本部から妻の案里陣営にわたった常識外の1億5千万円がなければそんな買収資金もなかったのではないかと、考えるのが自然だろう。
政権中枢と密着することで巨額資金を融通してもらい、異例と言ってもいい自民党同士の争いで夫人が当選する。
その論功行賞で念願の大臣の座を射止めたのではないか・・・・。
夫婦で涙した人生の頂点から転落するのに時間はかからなかった。
 
「苦労が人間をけだかくするというのは、事実に反する。
幸福が、ときにはそうすることはあるが、苦労はたいてい人間をけちに意地悪くするものなのだ」
           モーム 「月と六ペンス」

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