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★集中治療を譲る意志カード

2020年5月26日

糖尿病、心筋梗塞、高血圧とヘレンケラーのごとく三重苦と戦うわが身を「基礎疾患がある人」と世間は呼ぶらしい。
コロナにかかればイチコロナなどと本人は洒落てはいるが、冗談で済まないのは、もし私がコロナで病院に担ぎ込まれ予想通り人工呼吸器を装着することになった先のことである。
その時大規模に感染が広まり人工呼吸器や人工肺などの高度医療機器が足りなくなっていた場合、私があらかじめ「機器が不足した場合 私は若い人に高度医療を譲ります」とあらかじめ同意書を書いておく必要性を考えている。
本人の同意なく取り外しをした場合、日本では医療従事者が重い法的リスクを抱えることになり、殺人罪に問われたり民事訴訟を起こされる場合もある。
その点、本人から事前に意思表示してもらえば、本人の意向に沿ってのことという「免罪符」になるわけだ。
これに対して命の選別につながるという反対意見もある。
日本では高性能人工呼吸器は輸入に頼っている。また人工肺エクモは国産が多いが、扱えるスタッフが一人の患者に対して10人は必要と言われている。
パンデミックの渦中で生き残る望みの少ない高齢者、基礎疾患のある人よりは若く、生きる望みがある人に限られた資源をつぎ込むべきだと私は思うが、世の中みながそれに同意するという保証はない。
「高齢者が死んでもいいと言っている時だけ死ぬのを許すのも年齢差別だ」
「先着順だと本当に必要な人に医療資源が行き渡らなくなる」
これまで日本では幸いにもこうした議論は公の社会では大きくはならなかった。しかし今回のコロナ禍は、避けては通れないこととしてこのことを私たちに問うている。

★「ざるをえない」が「去る者は追わず」になる

2020年5月25日

いつでも進歩を阻止するのは旧勢力である。
これまで恩恵を受けてきた人たちは、新しいものが出てくると拒否反応を示すのはいつの世にもあったことだ。
しかし今回のコロナ禍は否応なく、新しい技術などを取り込み不完全であっても新しいことに挑戦せざるを得なくなっている。
ロボットに接客や生産や介護を任せざるを得ない。
ドローンに配送を任せざるを得ない。
オンラインで授業をせざるを得ない。
テレビにリモート映像など荒くて出せるか! という旧勢力がいても出さざるを得ない・・・・・。
これまでなら旧勢力は反対意見を言って、一蹴していたはずなのに、やらざるを得ないのだ。
それによって質が落ちようと、多くの人が職を奪われようとやらざるを得ない。
「ざるを得ない」が巨大な変革のエネルギーになる。
これは革命だ。
「ざるを得ない」が「去る者を追わず」となってゆく。
卵を割らなければオムレツはつくれない。
やった人が勝ちの時代だ。

★街の風景

2020年5月22日

私の住む町は大手電機メーカーの企業城下町だ。
朝の通勤時は東京方面への上り電車もラッシュだが、この町に勤めているサラリーマンもかなりの数に上り、歩道は駅へ向かう人と駅から来る人が交錯する。
その人の波がコロナ禍で消えた。
古くから電機工場に勤める従業員を目当てにした居酒屋や理髪店などが街には多くあった。近年はグローバル化やリストラもあって工場で働く人は減っていたとはいえ、やはり街の商売は電機メーカーで働く人たちでなりたっていた。
この変化は一時的なことではないと思う。
「アフターコロナ」は一度テレワーク、在宅勤務、テレビ会議で成り立った仕組みが継続されてゆくのではなかろうか。
一度停止した経済はコロナ禍終息後、V字回復で元の姿に戻ることはもはやないのではと思う。
なにも通勤ラッシュに付き合わなくても仕事はできる。一か所に全国から出張で集まらなくてもテレビ会議で十分、夜の懇親会もなければないで済むではないか。
三密を避けましょうという合言葉の先に何があるか。
密から疎である。
疎といえばこれまでは疎んじられるイメージだったが、疎でも疎なりに何とかするのがデジタル社会である。
そのデジタル社会を推進することを会社の目標にしている電機メーカーの企業城下町なのだからこの町が変わるのは当然かもしれない。

 

★社会のボンクラ

2020年5月21日

子どものころから新聞を愛読してきた。
朝、新聞各紙を見て特ダネ記事を探すことは最大の楽しみ、若き頃新聞記者を目指したのも社会を変える「社会の公器」としての役割にあこがれたからだった。
しかし近年、新聞が目も覚めるようなスクープをすることは本当に少なくなった。いわゆる役所などの「発表モノ」で埋め尽くされている。
特ダネは新聞よりも週刊誌の代名詞になって久しい。
今回もまた文春である。黒川弘務東京高検検事長の賭けマージャンのことだ。
しかもそのお相手はこともあろうに新聞記者たち。それも犬猿の仲のはずの朝日と産経の呉越同舟である。
取材のための人脈つくりと言えば聞こえはいいが、世間は権力との癒着としか見ないはずだ。
検事長だけではない。
安倍総理に近いとされるマスコミの大幹部たちが総理と一緒に食事をともにすることもたびたびあった。
なぜ食料品と同じように新聞に軽減税率が適用されたのか、NHKのネット配信に政府のお墨付きが与えられたのか、モリカケや桜を見る会と同根ではないかと世間には思われても仕方がないだろう。
田中角栄金脈問題を立花隆が文芸春秋で取り上げたとき、「そんなこと知っていたよ」と政治部記者たちは言ったという。
それを記事にできなかったことを恥とも思わない新聞社の体質は、それから半世紀変わっていない。
新聞はかつて社会の木鐸と言われた。
いまや社会のボンクラである。

★小満

2020年5月20日

今日は二十四節気の一つ小満。立夏から15日くらい、万物が成長して天地に満ちる頃という意味である。梅の実が実り、また梅雨の走りの雨も多くなるころ、季節はその通りに巡っているようだ。サクラもフジもツツジも今年はさみしい思いをして気が付けばアジサイが出番を迎える時期になってしまった。
アジサイやバラもまだまだ鑑賞に多くの人が集まっては困るから心境複雑だ。
いったいいつまで待てばいいのか?
ヒマワリなのか、コスモスかそれともキクか?
花のカレンダー一枚一枚にバツ印が最後までつきかねない2020年。
花だけでなくオリ・パラ代表選手も高校球児も力士も同じ気持ちで先のカレンダーを気にしているだろう。
溜めている力を存分に発揮できる日を信じて。

★ネット上のコンサート

2020年5月19日

春以降コンサートや演劇はほとんどがキャンセルとなり芸術家たちはアウトプットの場を失ってしまったかに見える。
 
そうした中で音楽家たちの間にネットを使って何とか作品を発信できないかという試みが行われており、テレビでも紹介されていた。
 
新日本フィル交響楽団では団員たちがそれぞれ自宅で自らの楽器を演奏し、ユーチューブ上でコンサートを行っている。
 
「シンニチテレワーク部 テレワークで合奏やってみた」という動画をご覧いただきたい。
 
動画では日ごとに演奏がまとまっていく様子が時系列でUPされている。
 
出来栄えもさることながら、こうした状況下で何とか音楽にこだわりたいという団員たちの気持ちが胸を打つ。
 
みんなが苦しい時、めげずに頑張ろうという勇気に拍手を送りたい。

★無観客

2020年5月18日

日曜日の楽しみといえばNHK将棋トーナメントと競馬中継を見ることだった。
ところが将棋トーナメントは新型コロナウィルスの影響で現在行われていないためやむなく過去の棋戦の再放送が流れている。
たしかに小さな将棋盤を挟んで長時間戦う将棋や碁はこのご時世控えたほうが良いということなのだろう。一方意外に検討しているのが競馬だ。競馬場は無観客で無人のスタンドにファンファーレがむなしく響くだけなのだが、ネットでの馬券販売は好調のようだ。
先日新聞に面白いことが書いてあった。無観客レースだと本命馬が勝つ確率が高いというのである。その記事では、観衆の熱狂で興奮したりすることがなく冷静なレースになれば本来実力がある本命馬が有利で波乱が少ないのではと記者は書いていた。もちろん馬がそう言ったわけないのだから彼の想像に過ぎないとは思う。馬はそんな論調など馬耳東風であろう。
そういえば同じ日曜日の楽しみの「笑点」も無観客で大喜利を演じている。
再放送にすることは簡単だが、世の中に笑いを提供したいという出演者・制作者の気持ちが嬉しい。

★葵祭

2020年5月15日

都大路を平安王朝を再現した優雅な行列が進む。
京都の初夏を飾ってきた葵祭。そのメインイベント「路頭の儀」は例年5月15日に行われてきた。1995年の悪天候中止を除けば毎年行われてきたこの行事が今年は中止になった。葵祭は京を支配していた賀茂氏と朝廷の行事を貴族が見物に訪れるという貴族の祭りで、祇園祭、時代祭とともに京都三大祭りに数えられている。行列の主役は皇族の未婚の女性の代理とされる「斎王代」で毎年市内の未婚の女性から選ばれてきた。また源氏物語では光源氏が天皇の勅使を勤めている。近年は外国人観光客にとっても人気のイベントだったが緊急事態宣言下、観光都市京都はひっそりと静まり返っている。1000年を超える伝統の祭りの中止は後世まで語り継がれることになってしまったが、人類はしっかりとその災厄を乗り越えたということも併せて歴史に記憶させたいと思う。

★バラが咲いた

2020年5月14日

散歩道でバラの花を見かけるようになった。
初夏を彩る優美な花は人気が高い。
バラの種類は数十万ともいわれ、主に春バラ、秋バラにシーズンが分かれるが、俳句の季語としてはこの時期の夏の季語となる。
ところでバラを漢字で書けますか? うーん難しいですね。
そもそもなぜこんなに難しい漢字なのだろうか。
漢字の「薔薇」は中国語から入り、音読みで「そうび」や「しょうび」と読まれ、古今和歌集では「そうび」と詠われている。
日本もバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産だ。茨(いばら)とはバラの古称でもある。「常陸国風土記」には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とあり、常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があって茨城県の県名の由来と言われる。
バラと言えば刺(とげ)がつきもののように思うが、小ぶりの八重が咲くモッコウバラのように刺がない種類もある。

薔薇を剪(き)る 鋏刀(はさみ)の 音や 五月晴れ 
                                                                                     子規

神代植物園や旧古河庭園などバラの名所がこの時期緊急事態宣言で軒並み閉鎖されているのは誠に残念だ。

 

★愛鳥週間

2020年5月13日

春から気温の低い日が続いていたが、ここにきて一気に初夏の陽気となり暑さに身体が慣れるまでが大変だ。近隣に散歩に出かけるとうっすらと汗ばんでくる。
ただ小高い丘の上を吹き抜ける風は爽やかで、新緑の下ウォーキングは気持ちがいい。
と、ホーホケキョと林の中でよく澄んだ鳴き声が聞こえてきた。
そういえば今は愛鳥週間、山で新子が生まれ巣立つ時期である。
同じ種類の鳥でも鳴き方に巧拙があるというのは本当だろうか。親が教えるのかしらん。
その昔、江戸寛永寺の住職は代々京都から皇族が駐在していたが、元禄年間に
「江戸のウグイスはなまっている」という意見が出て当時の文化人尾形乾山に京都からウグイスを運ばせて、上野一帯に放したことからこの辺りがウグイスの名所となったと聞く。鶯谷という名前の由来にもなったそうだ。
鳥たちののど自慢に耳を傾けるのも自粛の中の楽しみの一つだ。
そういえばNHKのど自慢も春以降中断したままである。

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