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★カボチャ

2020年9月17日

最近の楽しみの一つにドライブ旅行がある。

なるべく高速道路を使わず一般道を使う。

トイレ休憩もかねて道の駅など地場産品を売る店に立ち寄るのが目的だ。

マイカーであれば買ったものを片っ端からトランクに放り込んでいける。

いくら宅配便が全盛とはいえカニやメロンのような高価格品ならともかく

漬物や野菜、味噌程度をいちいち送っていたのではやはり送料が気になる。

あちこち寄り道して少しずつ地元の名産を買い集め、そのまま持ち帰れるのはドライブの楽しみである。

よく買う野菜の中にカボチャがある。

電車や飛行機で持ち帰るには重たい。

北海道をクルマで走ると広大なカボチャ畑を目にする。

お目当て発見だ。

道の駅に入るとまあ見事に育った大きなカボチャが、ところせましと並んでいる。

カボチャはもともと中南米原産のウリ科の野菜だ。

スーパーなどでは国内産を補う時期にはメキシコ産やニュージーランド産も多く見かける。

ただ日本人は中南米原産でもやはり国内産に手が伸びがちだ。

国産は収穫後一か月ほど納屋で寝かせて風乾し、糖度とホクホク感を高めてから出荷する。

糖度が7度以上、高いものは20度と果物並みになるという。

この辺りが日本人好みの味と関係しているのかもしれない。

 

ハローウィンカボチャにはなじみがあっても若い人がたくさんカボチャを食べているかと言えばやや疑問だが、

カロチン豊富でビタミンたっぷり、ヘルシーな野菜の代表格といえる。

日持ちがよく台所に備えれば冬の緑黄色野菜としても頼もしい存在だ。

食べ方だが、煮物にしたり天ぷらなどもおいしいが、私が好きなのは味噌汁である。

口の中で、もさもさしがちのカボチャも、味噌汁の具として食べれば喉通りもいい。

また簡単にたくさん食べたいならば電子レンジで加熱してバターを塗って食べるのが簡単だ。

ジャガバターならぬ「カボバター」である。

寒くなってくると、カボチャの温かさが恋しくなってくる。

★菅新政権誕生

2020年9月16日

最長政権の記録を樹立したとたんに安倍総理が退陣表明、本当なら東京五輪を見届けての退陣というタイミングに、その晴れの舞台を見ずして去るのは無念だったかもしれない。
7年8か月の長期政権も大変だが、それを支える官房長官の職を一人で全うしたのも大変なことだと思う。
菅氏に特筆すべことは、自民党出身の総理大臣として極めて珍しく、世襲でもなくまた官僚出身でもないということである。まして自らが派閥の領袖でもないというのだから、前代未聞の出自であると言わなければならない。
世襲がすべて悪い、あるいは官僚出身だからダメと決めつけるつもりはないが、この異質な総理であることにこだわることで、国民的な支持を得る可能性もあるかもしれない。
長期にわたり安倍総理を補佐してきたという経験は得難いものがあるし、官僚を統括する立場にあったから官僚の能力識見も、また弱さ・悪癖も知り尽くしている。
いかに効率的に組織を動かし難局を乗り切るか、熟練の技に注目したい。
もともとリーダーとして最前線に立ってきた人ではないし、前政権を踏襲することをまず第一としているから強力なリーダーシップが感じられないという印象を持つ。
しかし今は戦後最大の国難の時期である。
その修復と新たな前進のために国民を引っ張ってゆく指導力が求められていることは言うまでもない。
政権の帰趨は最初の100日で決まると言われる。年末までにコロナを克服し経済再生のきっかけをつかめるか、アメリカ大統領選挙、米中問題など内外の懸案もこの100日の間に新たな局面が予想される。
待ったなしの状況だ。新政権の対応に目が離せない。
 

★月見

2020年9月15日

月はいつでも存在するが、季語は秋である。
四季の美しい風物を「花鳥風月」「雪月花」というが、月はどちらにも入っている。
昔は月や星が見えない夜は漆黒の闇であった。逆に晴れた夜の月明かりや星明りは大変明るく感じられた。昔は月や星を意識して暮らしたのである。
広重の浮世絵にも月の夜を描いたものは多い。
江戸時代までの日本人は文化の先進地である中国にあこがれその文化を模倣したが、月見も中国の習慣に従ったと思われる。
秋は空気が澄んでいるから月がより美しく見えるともいわれる。
新月の始まりを「朔」、満月を「望」という。中秋の望が「最中の月」である。
丸い和菓子の名の由来でもあることをご存じだっただろうか。
月を愛でる余裕があれば、人生もまた楽し、である。
 

★日本語がヤバイ?

2020年9月14日

突然だが英語で「ヤバイ!」はどう訳すのか、どなたか教えてほしい。
というのも、本来この言葉はヤクザなどが「拙い(まずい)」と言う意味で使っていた俗語だったはずだが、今日では「おいしい」とか「すごい」、あるいは「驚いた」と言った肯定的な意味にも幅広く使われるようになっている。
若い女性たちの会話を電車などで小耳にはさむと。
「このチョコ、表参道の新しいショップで買ったの、食べてみて、ヤバイから」
「わー、ヤバ!」
「ホント、ヤバ!いくらだった?」
「一粒500円」
「キャー、ヤバ!」
「でもなかなかヤバイじぁん」
「ホント、ヤバ」
こうした会話を正確にほかの言語に訳すのは難しい。
言葉のもつ本来の意味などとっくの昔に超越し、新しい意味が付加されているようだ。
便利と言えば便利かもしれないが、言葉本来が持つニュアンスなどがあいまいになり、多くの適切な表現をもつ日本語なのにそれを使わず「ヤバイ」の一言で済ませてしまう人が増えている。
日本語という言語を使う人種あるいは国民は日本人だけだが、その日本人が日本語の持つ多彩な表現を放棄して、「ヤバイ」の一言で片づけてしまう風潮は相当に「ヤバイ」と感じる。
退化、あるいは幼稚化現象だ。
そもそも学校の国語という授業は、こうした「日常語の退化」をどうして放置しているのだろうか?
それでよくも「国語」などという授業名を名乗れるな、と思わざるを得ない。
  とくに形容詞、修飾語の劣化が気になる。
最近の天気予報を見てほしい。
「観測史上初めて」「100年に一度」「戦後最悪」「●●気象台で統計を取り始めて以来」「いのちに関わる」など最上級のオンパレードだ。
予報官、気象キャスターなどが次々に「新語」を開発して危機を煽っている。
台風や大雨の襲来の度に、これでもかこれでもかと新しい表現を考えて、早めの避難を訴えていると主張するだろうが、私に言わせればオオカミ少年になりかねない。言葉遊びを楽しんでいるようにしか見えない。
毎度毎度こうした言葉を聞かされるとかえって慣れっこになり、正確な情報が伝わらなくなる。
かつてアナウンサーの新人研修で「絶対に形容詞は使うな、事実で表現しろ。
たとえばおいしいとは言うな、その美味を事実で表現しなければならない」と教わった。
そういう訓練を受けたものからすれば、いま後輩たちがテレビなどで
「命に関わる暑さ」と言った表現を常套句として繰り返していることに違和感を持つ。
昔は「バイト」ではなく「アルバイト」と言うようにと厳しく指導された。
「コンビニ」や「スマホ」もテレビでは使ってはいけなかった。
まあこのくらいは時代の変化と理解できるが、カワイコちゃんリポーター(NHKでは『レポーター』も使ってはいけない言葉だった)がテレビで何かごちそうになり「ヤバイ!」と感想を言うのにはやはり抵抗を感じる。まして若いアシスタントディレクター(『AD』と言ってはいけない)がわざわざ「ヤバイ!」と、画面にテロップまで入れる神経は、「自分たちは日本語を守る仕事をしているなどという自覚はさらさらない」ことを暴露しているようなものだ。
 時代の変化に合わせて変わってよいものと、守らねばならないものがあることを日本人の一人として考える昨今である。
 

★何かが起こる、9月

2020年9月11日

先日9月は多くの政権交代が日本で行われた月であることを紹介したが、今世紀に入り9月は内外情勢から目が離せない月でもある。
 
21世紀最初の年2001年9月11日、同時多発テロに世界は震撼した。
アメリカ合衆国本土が初めて攻撃を受けたことにより当時のブッシュ大統領はまるで西部劇のように復讐戦を宣言、テロとの戦いが国際問題としてクローズアップされた。ソ連の崩壊で冷戦構造に終止符が打たれアメリカ中心の世界制覇が実現すると思われたのもつかの間、アメリカはテロとの戦いに奔走することとなる。
 
その翌年2002年9月17日、日本の小泉純一郎総理が、日本の総理として史上初めて北朝鮮を訪問、金正日総書記は日本人拉致問題を公式に認めた。
リーマン・ブラザーズが経営破綻したのは2008年9月15日である。
ここからいわゆるリーマンショックが始まる。世界経済は大きく傷つき戦後最大の経済危機となった。
その翌年2009年の9月16日に日本では鳩山由紀夫内閣が発足した。
民主党が二大政党制のもとで政権交代を実現させ自民党が下野した画期的な事件となった。
そしていま、日本では安倍長期政権が終わり、新内閣誕生が迫っている。
そしてリーマンショックを上回るコロナ危機で世界経済は疲弊している。
また中国の台頭で米中摩擦が次の国際緊張を招きかねない状況だ。
誠に目まぐるしく世界は動く。
コロナ以後世界と日本はどうなるか。
9月以降、世界も日本もまた大きな動きから目が離せない。
 
 

★リニア新幹線は必要か?

2020年9月10日

静岡県の抵抗にあいJR東海が進めていたリニア新幹線の予定通りの開業は難しくなった。
ただ、そもそもリニア新幹線が必要なのだろうかという議論もしなければいけないときに来ているのではないか。
私が初めてリニアモーターカーの実験線に乗ったのは1984年、いまから36年も前のことだ。宮崎県にあった実験線のリニアに取材で乗車した。
国鉄は1972年にリニアモーターカーの開発に着手、その後JR東海は東京名古屋を2027年に開業させるための工事が進められてきた。
リニアで東海道を結ぶ計画が構想されて半世紀近くたっている。
高度成長の時の改革をたたき台に、いまだに完成していない計画なのだ。
当然その間経済情勢は大きく変化している。人口減少、高齢化に加えコロナ以後の社会ではオンライン会議により出張などは大きく減るだろう。シニアの旅行では何も東京・名古屋を1時間以内で結ぶ必要などないのだ。
JR東海は意地でも完成させようとするだろうが、リニア開業の翌日から現行の東海道新幹線は赤字ローカル線に転落する可能性が強い。
今日この時点で需要予測を精査して、計画そのものを見直すときに来ていると思う。
戦艦大和、万里の長城とならぶ世界の三大無用の長物と言われないことを祈るばかりだ。

★重陽の節供と 九州の「くんち」との関わり

2020年9月 9日

九月九日は陽の数字が二つ重なった重陽の節供だ。
中国の陰陽五行思想では奇数は陽、偶数は陰と考える。しかも奇数の中でも極まった九が重なった日として最も尊ばれたのである。
重陽の節供は平安時代に重陽節として宮中に取り入れられ、貴族たちは宴を開いて菊酒を飲み、綿を菊にかぶせて露でぬれた被綿(きせわた)で体を撫でて長寿を願ったという。
中国では九月九日に茱萸(しゅゆ、匂いの強い山椒など)の枝を身に着けて山に登り菊酒を飲み食事をすると長寿になれるという言い伝えがあった。
日本に伝来してから貴族たちは茱萸を頭にさして邪気を避けたり、宴を開いて菊酒を飲んでにぎやかに長寿を願った。
桃の節供の桃酒、端午の節供の菖蒲酒、重陽の節供の菊酒というように植物に宿る霊力を信じ酒を酌み交わすのが節供の楽しみであった。
旧暦の九月は現代の十月にあたり収穫期なので、収穫感謝の祭事と習合しやがて吸収された。
めでたさも極まる九の日は神に願い感謝する祭りに絶好で、九州地方でまつりのことを「くんち」というのは九日が転訛されたものである。

★安倍首相の評価

2020年9月 8日

今日の株価は実体経済を反映していない。
実際の経済は相当厳しい環境に置かれたまま、しかも解決の見通しが立っていないのに日経平均株価はコロナ前の水準に戻っている。
この大きな乖離こそ、アベノミクスの最大の成果だと思う。
実体経済を反映していない株価は悪いものだろうか。
やがては実体経済通り株価も落ち込む可能性は強いと思ってはいるが、今この時点で株価が高値で維持されているのは金融緩和により余剰資金が株式市場に流れこんでいるためだろう。
そのことをおかしいというのは簡単だ。
しかし将来に悲観して株価が下がり始めて歯止めがきかなくなると、そのことがさらに景気を落ち込ませる原因になってしまう。
株価が高値を維持できていることは、より一層の景気後退や金融不安を防ぐ意味で重要なことのはずである。
思えば世界恐慌の時もあるいは日本のバブル崩壊の時も、株価の暴落がきつくそれが一段と景気を冷え込ませる要因となったのだ。
その学習効果として、世界の中央銀行が通貨供給の蛇口を全開にしている。
 
7年8か月前、安倍政権誕生時の日本の株価は1万円を割り込んでいた。現在の半値以下の水準だった。アベノミクスによる大胆な金融緩和により株価は一気に上昇してきた。戦後最長に迫る好景気を生み出したことが長期政権につながったことは言うまでもない。そしてまさに政権末期に襲った国難ともいえるコロナ危機においても株価が維持されていることを世間はもっと評価していいのではないか。
 
安倍総理が退陣表明をしたことを世界のマスコミは速報で伝え、トランプ米大統領はじめ主要国の首脳が安倍総理の労をねぎらっている。
こんなことはこれまでの日本の政権交代ではほとんど見られなかったことだ。
この7年余りの間に日本が国際舞台で評価を高めたことの表れなのだ。安倍内閣が誕生するまで日本の総理大臣はほぼ一年で交代を繰り返していた。それでは世界各国首脳に名前さえ覚えてもらえなかったはずで、極東の日本の国際政治上の地位が向上するはずがなかった。
そう考えると誰が後継総理になっても、国際舞台で安倍晋三を上回る評価を得るのは並大抵のことではないと考える。
もちろん安倍内閣にも問題がなかったわけではない。
しかし、野党とマスコミの粗探しに国民がうんざりしていたことも事実である。
政治家の評価は棺の蓋が閉じてからと言われる。
後世の国民の安倍晋三の評価は決して低いものではないと私は思っている。
 
個人的に好きとか嫌いということと政治家の評価は別の次元で行われなければならない。歴史的評価は、もりそば、かけそばに桜餅などとは違う次元の国家的見地からなされるはずである。

★白露

2020年9月 7日

今日は二十四節気の一つ「白露」である。
9月になっても40度を記録するところがあるなど残暑厳しい昨今だが、
白露の頃ともなれば朝夕はどことなく秋めいた気配が感じられるようになってくる(はずである)。
気温も下がり露が生まれる。
夜間に草木の葉に見られる露を「白」ととらえたのが古人の感覚だった。
秋分も近く、日暮れの早さも実感してくるこの季節、急速に秋の訪れを意識する頃となる。
露を愛でるような優しい感覚こそ秋という季節にはふさわしいと思うのだが、最近の天候の荒々しさ、猛々しさはそんな優しい感覚などどこかへ蹴とばしてしまうようだ。
かつて「いまはもう秋、だれもいない海」という歌詞の名曲があった。
今年は夏も海水浴場が開かれない前代未聞の年だった。
そしていま大型台風襲来の時、くれぐれも海や河川に不用意に近づかないようにせねばならない。
 

 ★9月はスタートの月

2020年9月 4日

最近の総理大臣の就任月を調べると、野田、鳩山、麻生、福田、安倍(一次政権)、小泉の各総理大臣が9月に交替または就任している。偶然とは言えない多さである。交替の事情はいろいろあるが、政権は学校より先に「秋入学」が好きなようだ。
突然の発表とは言いながら、政治経済状況も肉体的な状況も安倍退陣は時間の問題だったのかもしれない。
長期政権の跡目相続は政権の右腕が権力を踏襲しやすいもので、佐藤栄作の跡の田中角栄、中曽根康弘の跡の竹下登、小泉純一郎の跡の安倍晋三と考えれば今回も番頭の出番は必至だった。
逆に国民的人気に乗じて勝つような交代劇は、乱世型の政権交代の時に起こるもので細川護熙、小泉純一郎などの政権奪取はその例だろう。
話は変わるが、
天下分け目の戦いと言われた関ケ原の合戦も1600年9月15日であった。
ミズーリー号での降伏調印は1945年9月2日でもある。
今年の9月もコロナ後の新しい国つくりのスタートにしてほしい。

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