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西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第39回 7月 みちのくを行くドライブ旅

5月6日 日  晴れ
ゴールデンウィークも今日で終わりという日に毎年旅に出る。
上り線の大渋滞をしり目に悠遊旅が始まる。
この優越感がたまらない。
明日からは仕事、という人たちを尻目に本日から旅に出る。

4時半に横浜の自宅を出る。
もちろん道路はガラガラだ。
第三京浜から環八に入り、新座料金所から関越へ。
順調に進み6時半「赤城高原サービスエリア」で休憩。
新緑の山々が美しい。谷川岳はまだ雪をかぶっている。
近くの山の斜面にヤマフジが咲いている。
寒い。早朝のこのあたりの空気はひんやりとしている。

休息後すこし走り、7時半
「谷川パーキングエリア」で再び駐車。
写真を撮るためだ。
上越トンネルの入り口にあるきれいな施設だ。
ここから国境の長いトンネルをくぐると新潟県になる。
トンネルの長さは11キロある。
トンネルの両入口にパーキングエリアがあるのは、トンネル内は道路が傷むためチェーンを外してほしいという意味だという。

長いきれいなトンネルを向けて「塩沢石打サービスエリア」に8時20分着
さらに「越後川口サービスエリア」に立ち寄る。
急ぐ旅ではないから頻繁に休憩する。
ここからの信濃川の眺めは格別だ。


越後川口SAから見た信濃川

新潟平野に入る。そろそろ田植えの準備が始まっている。
次第に暑くなってきた
11時に「新潟西インター」を出る。

新潟市内に展開している中華系のファミリーレストラン三宝亭を以前からマークしていた。
東京中目黒に出店した東京店もすでにチェックしていた。
地元で家族三世代から愛されているというので、前からこの日の昼ごはんに決めていた。
新幹線で旅行しても、駅前や中心市街地にある店ならともかく郊外型の店に行くのは大変だ。
そうした店でも征服しやすいのがクルマ旅のいいところである。

休日の昼時とあって「三宝亭赤錦町店」は混んでいた。
お薦めの「五目うま煮めん」と餃子を食べる。
とろみが効いたしょうゆ味のスープはおいしかった。


三宝亭とろみ麺

13時20分に出発。
13時45分「聖籠新発田インターチェンジ」から自動車専用道へ。
さらに「中条インターチェンジ」から日本海東北自動車道へと入る。
この自動車道はゆくゆくは青森まで全通するが、まだ部分開通で無料走行となっている。

14時15分「朝日まほろばインター」で降り、 国道7号を左に日本海を見ながら北上する。
天気はあまりよくないがまだ雨は降っていない。
明日の予報が雨なので今日のうちに出羽三山を見ておきたいと急ぐ。

15時 道の駅 「夕陽のあつみふる里物産館」で休憩。
日曜の午後、駐車場は満車のにぎわいだ。
玉こんにゃくが美味しかった
10分で出発、急ぐ。

15時20分 あつみ温泉インターチェンジから再び高速。
鶴岡西インターを15時半過ぎに出る。
櫛引PAから湯殿山ICへ。

16時 国道112号から湯殿山登山道へ入ろうとするが、本日の入山はもう時間切れで閉鎖されていた。
ほんのわずかの差で湯殿山に登る機会を逸した。

明日は天候悪く、難しそうだ。
まあ慌てることもない。
次回の楽しみにとっておくことにして鶴岡に引き返す。
すでに夕方ではあるが鶴岡公園にクルマを停め、大寶館、藤沢周平記念館、荘内神社(御祭神、酒井家)、鶴岡護国神社などを見て回る。
公園周辺には致道館や 重要文化財旧西田川郡役所、重要文化財旧鶴岡警察署など史跡が集中してあり外からではあるがカメラに収める。


鶴岡庄内神社

17時45分、すでに薄暗くなった中で 鶴岡カトリック教会の建物を見る。
ここは明治36年大工相馬富太郎が棟梁になって完成したロマネスク様式の教会である。

18時。
陽もくれたので「安兵衛寿司」に入る。
カウンターに座り、日本海のお薦めの魚を注文してゆく。
白身の刺身三種盛り、金目鯛のカブト焼きなどどれもうまい
山菜の天ぷらのボリュームも満足、締めは鉄火丼にした。

鶴岡から酒田へ移動、ホテルにチェックイン。
出羽三山は逃したがまずまずの一日目だった。


5月7日 月 曇り
8時20分にホテルを出て、まず「山居倉庫」へ。
酒田は日本海の海運と最上川河口の集積をいかした日本海側有数の交易都市だった。
江戸時代隆盛を極めたこの街の風格が今もあちこちに残る。
「山居倉庫」は江戸時代から今なお現役の物流倉庫で、運河沿いの白壁倉庫の美しさは街のシンボルでもある。
早朝運河沿いを散歩しながら倉庫の写真を撮る。
人も見かけず静かなたたずまいに、旅情が掻き立てられる。


山居倉庫

山居倉庫から至近距離のみなと市場へ。
ここは飛島に向かうフェリー乗り場にもなっており、釣りなどで島に向かう人たちが出港を待っていて、船着き場周辺は人が大勢いた。

9時 日和山公園に行く。
酒田港や最上川を見下ろすこの公園には 北前船の復元船、北前航路を開いた河村瑞賢の像、木造六角灯台などがある。
天気はあまりよくないが、小高い丘からの眺めは素晴らしい。
この公園に来ると、酒田の町が江戸時代以来いかに活気に満ちていたか、よく理解できる。
また芭蕉はじめ多くの歌人、俳人がこの地を訪ね作品を残していったか、たくさんの碑が教えてくれる。


日和山公園の河村瑞賢の像

公園のすぐ裏手にシャッターが降りた古い建物がある。
元は料亭だったが、ここは映画「おくりびと」で山崎努が社長を務める葬儀社の社屋としてロケに使われたことで有名になった。
鉄筋3階の洋館と木造2階の和風建築物がうまく調和した建築物で、明治期の建設といわれる「旧割烹小幡」だ。
外観見学は自由だが、老朽化のため内部見学は平成26年9月に終了した。


おくり人に使われた旧料亭

その向かいにあるのが日枝神社である。
祭神は大己貴神(おおなむちのみこと)、大山咋神(おおやまくいのみこと)、胸肩仲津姫神(むなかたなかつひめのみこと)の三神だ。

現社殿は、天明4年(1784年)に本間光丘によって建立された。
毎年5月19日から21日の例祭「山王祭」(酒田まつり)は大いに賑わう。
現在の随身門は、本間光丘の寄進したものが明治27年(1894年)の震災で倒壊したため、明治40年(1907年)に再建された。
門の下でかしわ手を打つと鳴き龍のように響く。
「至誠通神」の額は東郷平八郎の揮亳によるものだという。
また鳥居には西郷隆盛による「日枝大神社」の額が掲げられている。

料亭相馬楼前に着く。
舞娘茶屋・雛蔵畫廊 相馬樓(まいこちゃや ひなぐらがろう そうまろう)は、1808年に開業した料亭の相馬屋を改装し2000年に開館した。
木造の主屋は、庄内大震災で焼失した直後に建てられたもので国の登録有形文化財に登録されている。
相馬屋の廃業後、酒田の料亭文化を守るため地元の平田牧場が買い取り開館した。
館内の土蔵には京都から北前船で運ばれてきたひな人形などの展示物などがあり、2008年には楼内に竹久夢二美術館も開館した。
館内には酒田舞娘と呼ばれる舞妓もおり、大広間の演舞場では舞妓の演舞を観ることもできる。
酒田市の花柳界は60年代の半ばまで芸妓もたくさんいたが、徐々に衰退した。
伝承されてきたものを残すためにと地元の経済人達が中心となり、町おこしの一環として1990年に「酒田舞娘」として復活させた。
相馬樓の開樓に伴い、酒田市内にあった置屋は樓内に拠点を移動した。
本来舞娘の表記は舞妓であるが、酒田では舞娘と名乗っている。
これは京都などで見られる舞妓とは帯結が異なることなどが影響している。

市内の本間美術館に向かう。
酒田の豪商本間家の美術館と旧本邸宅が同じ敷地の中にある。
本間家の美術所蔵品などを見てから庭園へ。
池泉回遊式庭園はよく手入れが行き届いていた
本間家旧本邸へ木造二階建てだ。


旧本間邸庭園

本間家は佐渡本間氏の分家で、農地解放による解体まで日本最大の地主と称された豪商である。
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」とうたわれるほど隆盛を極めた。
1689年(元禄2年)に酒田市中心部で「新潟屋」の暖簾を掲げた本間久右衛門の息子あるいは番頭といわれる原光を初代とする。
3代目の光丘は、士分の取り立てを受け庄内藩の財政再建に取り組んだほか、砂防林の植林も進めた。
さらに大飢饉で多くの農民が餓死したことを教訓に、豊作の際には米を庄内藩の米倉に貯蔵し、飢饉の際には米を放出する「八ヵ年計画による備蓄計画」を起案、この計画は昭和20年頃まで維持された。
金融業にも進出し、大名貸では東北の多くの大名家から借入の申し込みを受けその要請に応えた。
さらには北前船の交易でも財を成した。
戊辰戦争の際には佐幕派の庄内藩を支援、維新後も引き続き日本最大級の大地主ではあったものの、起業・興業にはあまり執心せず財閥化することなく一地方企業家にとどまった。
戦後農地改革で1750ヘクタールあった農地はただ同然で売り渡され、本間家には4ヘクタールのみが残った。

酒田市内の見学を終えて土門拳記念館へ。
土門 拳は昭和時代に活躍した写真家だ。
リアリズムに立脚する報道写真、日本の著名人や庶民などのポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財を撮影した。
土門は1950年代から「社会的リアリズム」を標榜、「絶対非演出の絶対スナップ」を主張し日本の写真界に一時期を画した。
リアリズム系の写真家としては木村伊兵衛と双璧をなした。
木村は「写真はメカニズムである」と捉えたのに対し、土門は「カメラは道具にすぎず、写真を撮るのは人間であり、思想である」と捉えていた。
土門は様々なジャンルの写真作品を撮影しているが自分の個性を重視した。
土門拳記念館は一人の作家をテーマにした世界でも珍しい写真専門の美術館として1983年土門の郷里である山形県酒田市に開館、約7万点を収蔵。
土門のライフワークであった「古寺巡礼」をはじめ、「室生寺」「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」「文楽」「風貌」などの作品を公開している。


土門拳の作品が集められている

昼過ぎに土門拳記念館を出発40分ほどで 羽黒山の手向(とうげ)の宿坊に着く。
並ぶ宿坊を写真に撮りながら、「いでは文化記念館」という出羽信仰を紹介する展示館に入り見学。
出羽三山とは、山形県村山地方・庄内地方に広がる月山・羽黒山・湯殿山の総称である。
修験道を中心とした山岳信仰の場として現在も多くの修験者、参拝者を集めている。
三山それぞれの山頂に神社があり、これらを総称して出羽三山神社という。
三山のうち、羽黒山には3社の神を併せて祀る三神合祭殿と、宗教法人の社務所(鶴岡市羽黒町手向字手向7番地)とがある。

「いでは文化記念館」にクルマを停めて羽黒山参道を上り始める。
隋神門から2446段の石段を15分くらいかけて進むと国宝五重塔が見えてくる。
東北地方では最古の塔といわれる。建立は平将門といわれるが定かではない。
高さ約29.2メートル屋根は杮(こけら)葺き、様式は純和様で、塔身には彩色等を施さない素木の塔である。
たまたま私が訪れた日は五重塔の内部公開ができる日で、地震にも耐える心柱など内部構造も見ることができた。


国宝羽黒山五重塔

一度クルマに戻り羽黒山を登る。
出羽三山の神を集めた羽黒山三神合祭殿 に参拝した。
風格のある社殿には三山の神の名が厳かに掲げてあり,静かに手を合わせると月山と湯殿山には行かれなかったが、参拝の達成感を味わうことはできた。

県道45号線を最上川沿いに進む。
「ここは奥の細道最上川ライン」と呼ぶそうだ。
雨は幸い小降りだが、川の水は濁りそしてやはり速い。

夕方「瀬見温泉」に着く。今晩の宿だ。
雨が強くなってきた。
散策は諦めてチェックインする。
「ゆめみの宿 観松館」は、部屋の窓から川を眺める静かな宿だった。
露天風呂付きの部屋で、風呂からの眺めは気分を落ち着かせてくれた。
夕食はサクラマスのスモークのお造り、マッシュルームの紙包み焼き。米沢牛のすき焼きなど量は多くはなかったが、上品な味付けに満足。
地元米のはえぬきを使った鯛と筍の釜飯が締めで大変おいしかった。


5月8日 火 雨
翌朝。
6時に起きるがまだ外は雨が残っている。
窓から、2両編成の電車が通過していくのが見える。
風呂に入り、朝食。
ツヤヒメとはえぬき、二種類のご飯、玉こんにゃく、豆腐、二種類の紫蘇巻き、二種類の納豆、温泉たまご、ヨーグルト、牛乳という内容だが、味噌汁とは別にマッシュルームのスープが出されたが、これが味が濃厚でうまい。

チェックアウト後宿の向かいにある、湯前神社へ。
温泉の守り神だ。

国道13号線を南下する。
今回は宿泊できなかったが、比較的近くにある銀山温泉を見物してから帰ることにする。
銀山温泉はもともと鉱山の近くにある湯治場だったが、山間の川沿いに並ぶ木造三階建の旅館街が、雪景色とマッチして風情があるとテレビなどで紹介され人気が出た。


銀山温泉

国道347号に入ると銀山温泉も近い
狭い路地の向こうに温泉街が広がってくるが、白銀橋という橋から先へは車が入れない。
駐車場も見当たらず、やむなく写真だけ撮って戻るしかなかった。
5月なのに気温は8度くらいと冷え込んでいる。

銀山川の川幅は狭く、川岸に建ち並ぶ宿や店舗がとても近い。
目を引くのは上流にある能登屋旅館。4階建ての望楼で、国の登録文化財に指定。
古山閣の鏝絵が目を引いた。
やはり泊りの来ないとこの温泉の良さはわからない。
またの機会に楽しみを残し早々に銀山温泉を去る。

国道13号を南下する。
道の駅「天童温泉」で休憩。
その後、山形北ICから山形自動車道。
村田ジャンクション経由で東北自動車道と進み、夕方帰京した。

今回は残念ながら天候に恵まれなかったが、それでも臨機応変に目的地を変えられるのがクルマ旅のいいところ。
また途中道の駅やサービスエリアに立ち寄っては荷物を気にせず野菜や果物に漬物などを買い込めるのも嬉しい。

帰宅するとすぐに次の計画を練るほど病みつきになってきた。