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第40回 10月 北海道 礼文利尻からオホーツク海へ クルマ旅

6月24日 日

早朝東京をクルマで出発。
小雨がぱらついている。
まず本日目指すは新潟だ。
これだけで十分「旅」なのだが、今回は「その先」がある。
新潟からフェリーに乗り北海道に向かう。
しかも最北端の島、礼文利尻までマイカーで行こうというのだから人生でそう何回もない「大旅行」である。
何か月も前からウキウキして準備していた。
トランクへの荷物の詰込みも何日も前から行った。
カメラに三脚、スケッチブックに折り畳み式デッキチェア、保冷バッグに毛布に日帰り入浴用のタオル・・・・。
まるで遠足前の子供の気分であった。

大泉インターチェンジから関越自動車道へ。
5時に上里SAで朝食のおにぎりを食べる。
クルマは少なく順調に進む。
11時45分出港のフェリーに間に合えばいい。
赤城SAでも停車、ここから見える榛名山や谷川岳などの景色を楽しむ。
さらに谷川岳PA、越後川口サービスエリアにも停車。
急ぐ旅ではない。
楽しむ旅は走るより停まることに意味がある。
10時過ぎ余裕をもって新潟の新日本海フェリー埠頭に到着。
11時から乗船を開始した。


新潟発小樽行きフェリー

新潟は快晴、絶好の船旅日和である。
定刻11時45分、昨年就航したばかりの「らべんだあ」は出港した。
「らべんだあ」は旅客定員600人、トラック150台、乗用車22台を積むことができるが、旅行シーズンということもあって本日は乗用車をたくさん積んでいるようだ。

フェリー会社は近年新造船を各航路に次々投入している。
これまでのフェリーは物流の大動脈としての役割が大きかった。
しかしここにきてシニア層を中心に船旅の人気が高まってきている。
こうしたニーズに応えるために新しい船ではスイートルームをはじめ個室ルームの部屋数を大幅に増やしているのが特徴だ。
露天風呂付きの大浴場もあるがデラックスルーム以上のクラスには部屋に風呂もついている。

新潟市内で調達してきた弁当でランチをする。
夕食はグリルで、カフェテリアスタイルで食べた。
品数も豊富で味も満足。
ちなみでこの日はカニサラダ、栃尾揚げ、肉じゃが、ホッケ、カニ茶碗蒸し。
そして、余市ワインも口に合った。

食後大浴場へ。
露天風呂でくつろぐと、船上であることを忘れるくらいに快適だ。
もし東京から高速道路を走り続けて北海道に渡るとなれば、疲労は相当なものだろう。
高速料金やガソリン代もかかる。
ちなみに新潟から小樽への自家用車の航送料金は片道2万円以下。
運転手の船賃も最低料金は入っているが部屋をアップグレードすればその分は上乗せになる。
部屋のクラスにもよるが様々な割引もあるので往復予算は7万くらいだろう。
これまで何十回と北海道を旅行しているが、ほとんどが空港でレンタカーを借りていた。
レンタカーの費用を1日1万円くらいと考えれば、今回のように10日近い日程ではフェリーを利用してマイカーを使った方が経費的にも得なのだ。

部屋に戻りベッドに横になるとあっという間に寝てしまった。



6月25日 月

フェリーの朝は早い。
3時半から館内に音楽とアナウンスが流れる。
「当船はすでに小樽港に入港しております。
ただいまから下船のご案内をいたします」
窓から外を見ると、港湾施設や漁船の姿が見えている。
この時期夜明けは早い。まして北海道である。

定刻の4時30分に小樽港に着岸。
さてこの時間にどこに行こうか。
少し考えて、まずは積丹半島を目指すことにした。
国道5号を積丹半島目指して進む。
雨こそ降っていないがどんよりと黒い雲が垂れ込め、海は機嫌が悪い。
海岸線近くのきれいなトンネルを抜ける。
まだ新しいトンネルの名は豊浜トンネルという。
1996年2月、このトンネルで大規模崩落事故が発生、バスと2台のが押しつぶされて20人がなくなった。
現在のトンネルはその後に作られたものである。
この辺りは切り立った崖が海に洗われており、その縁を道路が通っているため危険個所も多い。
だが、その断崖の景勝美こそここの観光の売り物でもある。

小一時間で積丹岬の島武意(しまむい)海岸に着く。
クルマを停めて歩行者用トンネルを抜けると海が広がっている。
断崖に打ち寄せる波の豪快さに満足する。
再び、さらに先を目指す。
神威岬である。
国道から岬へ通じるゲートは8時開門と書かれており、1時間も前に着いてしまった。
仮に8時まで待つと、余市に引き返して9時に予約してあるニッカ工場見学に間に合わないことになる。
せっかく来たのに、と立ち尽くしていると、ゲートの向こうから車が来て管理人らしき人が特別にゲートを開けてくれるという。
私以外にも何台のクルマが同様にゲート前で困っていたがこのキタキツネに餌をやりに来た管理人の計らいで、7時に神威岬へと進むことができた。

駐車場にクルマを停め歩いて岬の先端をめざす。
途中「女人禁制の門」がある。
昔は男のみが神の岬に近づけたようだ。
そこを抜けてさらに岬の先まで20分の遊歩道が続く。
積丹ブルーの海原が広がる。
そして岬はエゾカンゾウが見ごろで、橙色の花が咲き乱れている。
ゆっくりとどまりたかったが、ニッカ工場の見学予約に間に合わすため先を急ぐ。

7時半に神威岬を出て、先ほど来た道を引き返し余市へ向かう。


積丹半島は奇岩が並ぶ

9時前に余裕をもって「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」に到着。
ガイド付き蒸留所見学に集まった人は30人くらい。
テレビドラマ「まっさん」以来、見学コースも整備され人気が高まっているという。
私は朝の一回目の見学を予約しておいたが、その後の日中の回は早くから予約で埋まっていた。
朝は駐車場もまだ空いていたが、見学を終えて帰る頃は観光バスなどでいっぱいだった。

ただ酒の会社だけに飲酒運転には相当神経を使っていた。
私のようにクルマを運転する見学者には受付で「ドライバー」の申告をさせ、胸にシールを貼らせる。
試飲会場ではジュースが用意されていた。
万が一にでも飲酒運転の原因を作れば会社としても致命傷なだけに、ここはどれだけ気を使っても使いすぎることはないだろう。

見学後、工場に併設されている売店で土産物を買う。
酒類だけでなく、チョコレートや和菓子など幅広い商品構成でレジには長い列ができていた。


ニッカ余市工場見学は人気だ

ニッカ工場を出発、ニセコへ向かう。
スキー場で知られるニセコは、近年外国人の人気を集め、地価上昇が全国有数になっていることが報じられている。
果たしてどんな街なのか、見ておきたかった。
山小屋風のニセコ駅には観光案内所があり、各国語に対応したパンフレットが用意され、英語や中国語で案内ができるスタッフが常駐していた。
駅前には日帰り温浴施設もありこぎれいな街並みである。

駅のそばにかつての穀物倉庫を利用したカフェがあり、そこにも観光情報が集められている。
おいしいコーヒーを飲みながら、スキー場に向かう高原に牧場があることを知り、行ってみることにした。

高橋牧場は、レストランに乳製品菓子を中心にした売店、クラフト用品などを売る雑貨店なども備えた観光牧場だった。
さすがに牧場でつくるソフトクリームはおいしかった。

6月というのに小雨交じりでしかも寒く、とても屋外でのどかな牧場を楽しむ状況ではなく観光客も少なかったが、こうした施設はニセコ観光に欠かせないと感じた。


ニセコは外国人旅行者が集まる

ニセコから小樽へと向かう。
小樽は何度も来ているが、いつもは街中での宿泊だった、今回はクルマだから少し離れたところに泊まりたいと考えた。
おたる水族館の後方の丘の上に立つ「ノイシュロス小樽」を選んだ。
ここは北海道で温浴施設を展開する「ほのか」グループが経営している。
客室から小樽湾が一望に見渡せる絶好のロケーションだ。
「ほのか」が経営する前に西洋の城を思わせるバブリーなホテルとして営業していたが経営破たんして「ほのか」が引き継いだ。

18時からレストランで夕食をとったが、この時間帯ちょうど海に陽が沈む様子がレストランから一望できた。
日中は雨模様で海も荒れていたし、ニセコまで行ったのに羊蹄山も雲を被ったままだった。
一日の最後だけ夕日を堪能できたのはせめてもの天のサービスか。
期待以上のフレンチコースに満足。



6月26日 火

9時にホテルを出る。
直ぐ近くにある「にしん御殿 旧青山別邸 小樽貴賓室」へ。
江戸時代から明治、大正にかけてニシン漁で財を築いた青山家の別邸だ。
トイレに使われている陶器は有田焼というように隅々まで贅をつくした建屋を真巡る。
民間の美術館と呼ぶにふさわしい財宝の数々。
いかにニシン漁が栄えていたかを思い知らされる。
この一大産業が突然衰退してしまったのだから、唖然とする。


ニシンで栄えた小樽貴賓館

敷地内に「石狩挽歌の記念碑」がある。

「海猫が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖の やん衆が騒ぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら
やぶれた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロロー
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で ニシン曇りの空を見る」


小樽貴賓館にある石狩挽歌の碑

これまであまりこの歌の歌詞など気にもとめてこなかったが、改めて碑に刻まれた歌詞を読むと、あっと言う間に終焉を迎えたニシン漁へのつらい嘆きが浸みわたってきた。

北海道のニシン漁は江戸時代に始まった。
はじめは松前沿岸の道南地方が中心だっが、18世紀の末ごろ中心は北の西蝦夷地に移る。
当時は場所請負制といって、商人にニシン漁場の経営を請け負わせ藩に運上金を納めさせる制度だった。
それが明治になって自由に運営できるようになったことで、にわかにニシン漁経営者が増加、北海道の一大産業となる。
ニシン漁は産卵のために海岸に群がってくるニシンを捕獲するもので、3月下旬から5月下旬までが漁期だ。
建網と刺網があり、建網は定置網のことで、魚群の通路に網を仕掛けておき、網袋に入ってきた鰊を舟に積み込んで陸に運ぶ。
刺網は流し網ともいい、海中に垣のように網を張り網目に刺さったり、絡まったりしたニシンを獲るものです。
建網の方が規模が大きく、ニシン漁は建網が中心である。
漁夫は「ヤン衆」とよばれ、大部分が東北からの出稼ぎだった。
漁獲高は明治20年頃から上昇し、明治30年代頃がピークで、やがて減少してゆく。
ニシンは食料とともに肥料としても重要で、とくに18世紀後半、畿内を中心に商業的農業が発達してくると、それまでの下肥に比べて、肥料として優れている干鰯の利用がまずはじまり、次の段階として干鰯よりももっと優れ、しかも安価な鰊粕の需要が急激に増加し、北海道がその供給地として発展していった。

小樽から国道231号を北上する。
通称「オロロンライン」というそうだ。
オロロンとは天売島に棲む海鳥であるオロロン鳥にちなんだものだ。
オロロン鳥とは、ペンギンに似た姿で、飛ぶことよりも泳ぐのが得意な鳥である。
「オルルーン、オルルーン」という鳴き声からオロロン鳥とよばれるようになったそうだ。
「日本海オロロンライン」の国道沿いのあちらこちらで、オロロン鳥の巨大像が建てられている。
しかし、オロロン鳥が天売島などを中心に北海道の日本海沿岸に棲息していたのは太平洋戦争以前までのことで、昭和時代後半には餌となるニシンが捕れなくなったことに伴い急速に数を減らし、現在は北海道ではほとんど見られなくなっているという。

11時過ぎ「道の駅 石狩あいろーど厚田」に着く。
ここは開業したばかりで、まだ開業人気が続いて賑わっていた。
「厚田蕎麦」で昼食、にしん蕎麦900円
十割そばの味に満足。

ここから断崖絶壁の道を行く。
雨は降ったりやんだりで日本海はどんよりしている。

ひたすら北上する。
雄冬展望台で車を止める。
国道から側道に入ると駐車場があり、降りて階段を10分ほど登ると崖の上に作られた展望台があった。
上から見下ろす日本海はどこまでも広がっていた。
灰色の雲が低く垂れこめている。
天気が良ければ感動的な美しさだろうが、今日は海の秘めた怖さを感じる光景だ。

再び断崖の国道を北へ。
「陸の孤島」といわれた雄冬に国道が開通したのは1992年のことだ。
倉本聰の映画「駅」では、高倉健が道路がないのでこのエリアを渡し船で移動していた。
それだけ難所だったことが伺える。
近代的なトンネル、防護柵、また斜面をコンクリ―トで固めるなど、大変な費用と労力をかけて作り上げた道路であることがよくわかる。

過疎の地域に多額の税金をつぎ込んで道路を作ることはこれまでは当たり前のことだったけれど、高齢化と過疎がさらに進むと果たしてこれからの国家がそうした役割を果たせるのだろうかと痛切に感じる。


小樽から増毛へ断崖の道が続く

やがて増毛(ましけ)の町に入る。
増毛は江戸時代中期(1750年頃)に漁場が開かれた港だ。
旧商家丸一本間家を見学する。
丸一本間家は、増毛を代表する豪商だった。
当主の本間泰蔵は佐渡の出身だという。
かつての店舗兼住宅が公開されているが、ニシン漁全盛の頃の豪華な装飾品も展示されている。
この建物は、国の重要文化財に指定されている。
屋根瓦の一枚一枚にも家紋が掘ってあり、壁面や門柱にも細かい飾りがある。

そこからほど近く増毛駅に行く。
2016年留萌線廃止によりこの駅は業務を終えたが、その後も観光施設として活かす方針で建て替え計画もあるという。


廃線の駅

駅の向かいにあるのが「風待食堂」
映画「駅Station」の舞台になったところだ。
映画のセットのままのような建物は現在観光案内書になっている。
中に入ると映画の中で倍賞千恵子が営んでいた「居酒屋 桐子」のセットが残されていた。


旧増毛駅前の風待食堂は映画のロケで有名になった

日本最北の酒蔵「國稀酒造」の見学をしてから、今晩の宿「オーベルジュましけ」にチェックインした。
この宿は2回目である。
地元出身で著名な三國清三シェフがプロデュースしているというこの宿は、地産地消の食材を使った和風創作フレンチが売り物だ。
まず「とろん温泉」に入り、旅の疲れを癒す。
そのあといよいよ夕食だ。

トウモロコシの冷製スープ
増毛産大ボタンエビとホタテのポアレ
真鯛のポアレ
十勝牛のステーキなど
パンではなくイクラごはんにダシをかける洋風茶漬けが出てくるところが面白い
オーベルジュ開業10周年記念ということで、日本酒「国稀」の一合のサービスもあった。



6月27日 水

翌日はまた雨模様。
増毛から留萌、羽幌、天塩峠を越えて稚内へと北へさらに進む予定だ。
朝食は、ご飯に味噌汁、シャケ、目玉焼き、イカの塩辛、たらこなど昨夜とは変わって日本食。
おそらくフレンチのシェフは夜だけで、朝食は地元のパートにゆだねているという感じで、「オーベルジュの朝」の雰囲気はなかった。

9時ごろ出発。
国道231号線を進む。
黄金岬海浜公園。
黄金岬で写真。
雨がひどいので写真のみ。
かつてニシンの群れが輝きながら押し寄せたことが名の由来だとか。

留萌から今度は国道232号線へ。
「道の駅 おびら」で休憩。
この道の駅の敷地内に、ニシン番屋、「旧花田家番屋」がある。
重要文化財に指定されており明治38年に建築されたものだ。
道内に残る番屋としては最大規模で、当時雇い人が200人を超えたという。
食事場や寝所など当時の生活を振り返ることができる。
道路を挟んで海側にはニシン文化歴史公園もあり、北海道の名付け親、松浦武四郎翁の像が建つ。


かつてニシン漁で賑わった旧花田家番屋

道の駅を出てまた車を走らせる。
北に進むにつれて巨大な羽根の風力発電装置を頻繁に見かけるようになった。
羽幌町で給油。
「道の駅 ロマン街道しょさんべつ」
地方道を走るとガソリンスタンドの閉鎖が多く、給油できるときにしておかないと大変なことになる。
そして道の駅の存在も大切だ。
食事をとりたくても地方では店がない。
道の駅以外選択肢がないというのが正直なところだ。

食事後12時35分出発
13時 にすぐ「道の駅 富士見」でまた停車。
今回の旅行では道の駅に出合うとほとんど毎回小休止してどんな設備があるか、どんな特産物を扱っているかチェックし続けた。

13時45分、土砂風呂の雨の中ではあるが湿原のなかに圧巻の景色に出合う。
「オトンルイ風力発電所」だ。
およそ3キロにわたり28基もの風力発電装置がずらりとならぶ。
晴れていたら絶好の撮影ポイントなのに残念だ。

「日本海オロロンライン」をさらに北へ。
サロベツ原野の中、「幌延ビジターセンター」着。
とても湿原を歩くような天気ではない。
雨脚はますます強まる。
仕方なくビジターセンターの展示物を見て過ごす。

サロベツ原野は日本一の高層湿原だ。
豊富町と幌延町にまたがる1万4600ヘクタールもあったが、その後の農地開発や水位低下によるチシマザサの拡大もあって急激に面積は縮小した。
もともと6000年前、海岸砂丘の発達によって生まれた潟湖に泥炭が堆積した泥炭性湿原で、そのなかにペンケ沼やパンケ沼といった湖沼が点在する。
「サロベツ」とはアイヌ語「サル・オ・ペツ」に由来「葦原を流れる川」という意味だという。
ラムサール条約に登録され、世界的にも重要な湿地のひとつとして知られる。
二つの島とともに「利尻礼文サロベツ国立公園」の一部をなしている。

降りやまない雨の中、稚内に15時半到着
小高い丘の上にある稚内公園へ。
「氷雪の門」をかろうじて写真に収める。
氷雪の門とは、樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑である。
両側に高さ8メートルの門(望郷の門)があり、中央に2.4メートルの女性の像がある。
樺太で亡くなった全ての日本人が対象だ。
また隣接する「九人の乙女の像」1945年8月20日に樺太の真岡郵便局で自決した9人の電話交換手の慰霊碑である。
ソ連軍侵攻に際し、真岡郵便電信局にて連絡業務のため残留していた電話交換手の女性12人のうちの、9人が青酸カリなどを用い自決した。
霧が深く寒い。サハリンは見えなかった。

公園をあとにして、もう一つの観光名所「稚内港北防波堤ドーム」へ。
北の荒波に対することができるように頑強に作られた防波堤は、アーチ状になり、その下はトンネルのように人が歩くことができる。
まるでローマの遺跡のような異次元空間が長く連なる。


稚内の防波堤ドーム

悪天候で早めに「ANAクラウンホテル稚内」にチェックイン。
一息ついてから歩いて食事に出かける。
稚内駅がきれいに建て替えられており行ってみた。
駅というだけでなく行政や福祉関係の施設、郵便局にシネコン、コンビニまで入っている。
人口の少ない地方都市、特に冬の悪天候を考えたら一か所に様々な施設を集中させるというのは重要なことかもしれない。

駅から街を歩くこと数分「ステーキハウスVIN」へ。
ここは宗谷牛の名店としてガイドブックであちこと紹介されている。
サーロインステーキ200グラムのAコースは、確かにおいしかったが6000円以上するこのコースの単品メニューでよくこの街で経営が成り立つなと不思議だった。
ただ、後から入ってきた若い東南アジア系のカップルを横目で見ているとこの街の特長が少し読めた。
とにかく金持ちそうなのだ。
持っている貴金属や時計はどれも超一級品、日本人の私には高く感じられたメニューにも抵抗感はなさそうだ。
自分が20代の頃今案ステーキが食べられただろうかと思うと、この街の経済を支えているのは富裕な外国人なのかもしれないと思った。

ステーキハウスを出て、すぐにその外国人消費をまた思い知らされる。
先ほどの駅に戻り、コンビニで明日の朝の食べ物を買おうとした。
ところがこのコンビニ、棚からほとんど商品が消えていた。
夜7時半。
周辺の店は早々に閉まっている。
ただ一軒開いているこのコンビニに外国人観光客が群がっていた。
長蛇のレジの行列、おにぎりやパンなどはすっかりきれ、菓子からインスタントラーメン、シャンプーに下着まで、陳列されて商品はなんでも買ってゆく。
どれも日本土産になるようだ。
東南アジア、ロシアなど国籍はバラバラの外国人旅行者が、ホテルから土産を買いあさりに来ているようだ。
もちろんこの日に限ったことではないだろう。
すさまじい爆買いが銀座などの都会の繁華街とは違う最果ての町のコンビニで展開されていた。



6月28日  木

ホテルを5時半に出る。
稚内港から礼文島の香深に向かうフェリーは6時20分発だ。
フィルイーズは旅客定員550名、乗用車55台のフェリーだ。
船内はシニアの団体旅行客でいっぱいだった。

8時15分に礼文島着。
小雨の中、さいはての離島、礼文島を自分のクルマで走るのは少し不思議な気がする。


礼文島は花の季節だった

北の先端スコトン岬へ。
豪快な波が打ち寄せる岬は迫力がある。
突端に立つと360度の視界で、日本海を見渡せる。
灰色の雲が低く垂れこめていて色鮮やかとはいかなかったが、その分海の猛々しさを体じゅうに感じた。

もう一つの景勝地、スカイ岬に向かう。
クルマを停めて崖を上ると視界が広がる。
断崖絶壁にここも豪快な波が打ち寄せている。
崖が切り立っているだけ、スコトン岬よりも荒々しさがさらに際立つ。
十分に島の景色を堪能した。
さて、景色の次は何を楽しむか?

そこで考えたのが「うに」である。
漁協が経営する「うにむき体験センター」というのがあることを、ガイドマップで見つけた。
体験料は800円。
これで自分が剥いた雲丹を食べることができる。
客は他にはいなかった。
いけすの中にたくさんの雲丹がいる。
長靴姿のおばさんが出てきて作業を教えてくれる。
はさみと、耳かきを大きくしたようなへら状の金属器が小道具だ。
雲丹を割り、周囲に切れ目を入れて剥きだす。
水にさらしながらはらわたを取り出してゆく。
おばさんの作業を見ながら真似をする。


ウニ剥きに初挑戦

それほど複雑ではないが取り出したうにの身はやはりプロのおばさんの方がきれいだ。
それでも自分で剥いたうにの味はおいしく感じた。
おばさんが剥いた分も食べさせてもらえたから800円で2個食べられたわけだ。
こうした体験は旅のだいご味で楽しい時間を過ごすことができた。

「うにむき体験」を終えると腹が減った。
この時期の礼文だ、うにを食べないわけにはいかぬ。
港近くの食事処「かふか」へ。
香深漁協直営の店である。
島にはあまり店がないし、この時期は旅行会社の団体予約でいっぱいなので、地元で最も収容力のあるこの店も外に本日満席の札が出ていた。
団体が来る前に食べ終わるから、と交渉してOKをもらい、「うに丼」を注文した。

待つことしばし。
出てきた「うに丼」の色鮮やかなこと!
「うにむき体験」のうにとは明らかに違うのだ。
うにむきは「むらさきうに」で、この「うに丼」は「えぞばふんうに」で、もちろんこちらが上等だ。
それもそのはず「うに丼」は4300円である。
けっして産地だから安いわけではないのだ。
しかし十分においしさを味わうことができた。


バフンウニに舌つづみ

午後は礼文島の南へ向かう。
映画「北のカナリア」で舞台になった島の分校が遺され、「北のカナリアパーク 」として観光スポットになっている。
ロケに使用された麗端小学校岬分校からは利尻富士が本来は一望できるはずだが、残念ながら今日は厚い雲に阻まれていた。
校舎の中には吉永小百合さんと子供たちのパネル写真や、ロケに使われた小道具、台本などが展示されていた。
教室のセットもそのままで、旅から戻りもう一度DVDで映画を見直したが、ロケ当時とまったく部屋の備品もそのままだった。


北のカナリヤで使われた分校

しばし「北のカナリヤ」の世界に浸った後、クルマをスタートさせる。
次に目指すは桃岩展望台である。
ガイドブックにはここは花の名所で、ハイキングを楽しむ散策コースが記載されていた。
離合も難しそうな狭い道を登ってゆく。
広い高原に出ると駐車場があった。
風が強く、ここ数日の雨で道がひどくぬかるんでいたため、キンバイの谷へ行くことはあきらめる。
桃岩と呼ぶ奇岩の断崖を上から見下ろし、また周辺の花々を堪能する。
「レブンウスユキソウ」や「レブンキンバイソウ」といった名前の花であることをガイドブックで確認する。

早めに埠頭に着いた。
時間があるので「ホテル礼文」のカフェでコーヒーを飲み船待ち。
コーヒー600円にため息。
16時25分に香深港を出港し利尻島・鴛泊港を目指す。
17時10分に予定通り鴛泊港に着いた。

クルマで15分ほど走り「ホテル利尻」にチェックイン。
島で唯一つの温泉に入る。
炭酸水素塩泉の湯。茶色く濁ったお湯だけれど、肌にあたる感じがいい。
上がった後もからだがほわんとしている。
夕食は、うに、カニ、ホッケの煮魚、昆布の佃煮、ホタテ汁と、どれも美味しかった。



6月29日 金

起床後まずは温泉へ。
朝食を食べてから沓掛港や町内を散歩した。
「利尻島の駅」を通りかかる。
まだ閉まっているが、若い女性が近づいてきて入り口を開けてくれて「どうぞ中へ」と入れてくれた。
9時の開店までまだ30分近くあるのだが、そこは島の気さくさなのだろう。

ここは130年前の海産物問屋がcaféになっていた。
利尻に関する情報を得られる観光の拠点でもある。
建物や展示物を女性が案内してくれた。
開店早々にコーヒーを飲んで朝の充実した散歩を終えた。

宿に帰ってチェックアウト、クルマをスタートさせた。
利尻島は周遊道路の一本道だ。
海岸沿いを奇岩が見ながら進む。
「人面岩・寝熊の岩」などのネーミングが楽しい。
利尻町立博物館に立ち寄る。
展示物はそう多くはないが、島の歴史や生活がまとめられている。
過酷な漁師の暮らしぶりを思う。

10時過ぎ、「仙法志御崎公園」へ景勝地だが天気は相変わらず悪い。
雲が厚く近くにある利尻富士は一度も姿を見せてくれない。
奇岩が連なる荒々しい景観だ。
海の中に柵がつくられアザラシが2頭飼われている。
餌の小魚を買って投げる。
魚の切り身を上手に食べるアザラシはなかなかの役者だ。

再びクルマを走らせ「南原湿原」に向かう。面積6haほど。
4400年前から発達した高層湿原で南側にメヌウショロ沼が広がる。
8の字状に木道が整備されている。
利尻の花、エゾカンゾウ、リシリヒナゲシ、リシリアザミなどが湿原に自生している。
続いて「オタトマリ沼」。
オタトマリとはアイヌ語で「砂のある入り江」の意味だという。
このあたり沼浦湿原はオタトマリと西側の三日月沼を結ぶように広がる面積29haの高層湿原。
7000年以上前のマグマ水蒸気爆発でできた火山跡に4000年以上の時間をかけて発達した。
北海道銘菓「白い恋人」のパッケージになった絶景が「オタトマリ沼」だ。
この数週間後天皇皇后両陛下が利尻島を訪問してこの沼をご覧になったと報じられた。


利尻島には湿原が広がる

鬼脇地区という集落で「北の味覚 味彩 山一」という店を見つけて昼食。
当初、オタトマリ沼で探すも気に入った店もなく街中でここを発見した。
逃したらもう店らしい店もない先はないだろうと飛び込んだ。
ランチタイム最後の客だったようで、支払いと同時に消灯した。

野塚展望台に立ち寄る。
天気は相変わらずどんよりだが、見晴らす海の眺めは素晴らしい。
ここにアメリカ人、ラナルド・マクドナルドの碑がある。
カナダ生まれのマクドナルドは江戸時代末期にアメリカの捕鯨船に乗り組み、小舟で憧れの国日本に密入国した。
1848年焼売島を経て漂流者を装い利尻島へ上陸、その後密入国者として長崎へ護送され7か月滞在する。
長崎奉行はオランダ語通訳たちにマクドナルドから英語を習わせ、のちの開国以後に大きな役割を果たすことになる。

次は「姫沼」へ。
「逆さ富士」が見られると湖面で知られるが本日はダメ。
駐車場には観光バスが7台も停まっていた。

17時35分利尻島の鴛泊港発、
19時15分に稚内港に戻った。
礼文利尻とマイカーで回るというのは夢のような体験であった。

稚内「ドーミーイン」にチェックイン。
激しい雨なのですぐ裏の「よしおか食堂」へ。
レモンサワーを注文。
冷奴、ホッケ、ホタテフライ揚げ、チャーハン。
どれも美味しく満足した。



6月30日 土

相変わらず雨模様だ。
北海道に来て晴天はない。
本日は稚内から宗谷岬にまず向かい、オホーツク海沿いに下り紋別へ向かう。
ドーミーインの朝食ビュッフェは品揃え豊富でおいしかった。
自分で海鮮丼を作れるように刺身もふんだんに置いてある。

8時25分ホテル出発
まず最初に「ノシャップ岬」へ。
小雨がぱらつき寒い。
晴れていれば礼文、利尻に遠くサハリンも見えるはずだが何も見えず、傘を差しての記念写真だけですぐに出発。

岬のすぐ近くに陸上自衛隊稚内分屯地がありたくさんのレーダーサイトがある。
北への守りの最前線であることを感じる。
「宗谷サンセットロード」と呼ぶ道道106号沿いを走りながら、沿道の畑に鹿を見かける。

一度稚内市内に戻り今度は国道238号線で宗谷岬へ。
途中「間宮林蔵渡樺太出航の地」の碑を見る。
宗谷岬に至る。
「日本最北端の地」の碑。
北緯45度31分22秒。
北極星をモチーフにしたモニュメント、間宮林蔵の像。外気温は11。5度だ。


最北端宗谷岬

国道238号、通称「オホーツクライン」を南下する。
途中猿払村から国道よりもさらに海岸沿いを走る「エサヌカ線」に入った。
「エサヌカ原生花園」の中を走る直線道で周囲に障害物はまったくない。
これぞ北海道という気分を味わうことができる素晴らしい道路だ。


どこまでも一直線の道路が湿原を貫く

昼過ぎ浜頓別町の「クッチャロ湖」に到着した
クッチャロ湖畔にある「はまとんべつ温泉ウイング」でマーボー豆腐定食、を食べた。
クッチャロ湖はアイヌ語のkut-char(沼の水が流れ出る口)が語源でラムサール条約の指定地だ。
周囲27kmの海跡湖で大沼(長径5。5km)と小沼(長径3km)の2つの沼が細い水路によって繋がり、変形した瓢箪型をしている。
平均水深は1。5mと浅く、標高が低いため、満潮時になると約3km離れたオホーツク海の海水が流れ込む汽水湖である。
日本とロシアの間を渡る水鳥の重要な中継地で、春と秋に数千羽のコハクチョウと数万羽のカモ類が、冬には天然記念物のオジロワシやオオワシがみられる。

曇天のせいか神秘的な雰囲気だった。
ベニヤ原生花園に立ち寄る。
海まで散歩。
エゾニュウの太さ、高さにびっくりした。
約330haの園内は海浜、低層湿地、後送湿地、河川、草原、森林などの複数の自然環境が混在。
さまざまな湿性植物や海浜植物、およそ100種類以上の野生の花々がみられ、特に7月上旬のハナショウブの群生は辺り一面を紫色に染めるという。

再びクルマをオホーツク海沿いに走らせる。
突然車が増え、道端の大きな駐車場に何百台というクルマが駐車していた。
マイクのアナウンスが響き渡り横断幕に「枝幸毛ガニ祭り」と書かれていた。
反射的にクルマを駐車場に入れ何も考える間もなく、会場へのピストン輸送のバスに飛び乗った。

バスで5分。
会場の海岸に作られたオートキャンプ場はたくさんの人でごった返していた。
カニの販売はもちろんのこと様々な露店が出ていた。
ゆでタラバガニを食す。一本500円。
こういうところ絵で食べる味は格別だ。

同時に驚いたのはこのオートキャンプ場に停まっている車の多さだ。
一目100台以上、白い大型バスのようなものから、軽自動車の改造型まで大小さまざまなキャンピングカーが集結していた。
トイレや水の設備があるこの砂浜の地で洗濯をしたり犬を遊ばせたりしながら、カニ祭りのステージの歌謡ショーやマジックなどを楽しんでいた。

夕方「紋別プリンスホテル」にチェックイン。
18時半 ホテル提携のレストラン 吾が家へ送迎バス。
海鮮焼き 19時半ホテルに戻る。
夕食の外注化。
経費削減に寄与、合わせて系列店への回遊というアイデアだ。



7月1日 日

紋別から美瑛へと山間部を抜けるルートを今日は予定している。
本日もまた雨。
5時過ぎ起床。温泉に入る。

6時50分朝食
大山山頂展望台へ。
「オホーツク・スカイタワー」にオープン前に入れてもらう。
道道713号から国道273号、通称「渚滑国道」へ。
「道の駅 香りの里 たきのうえ」で休憩。
雲が垂れ込め、雨脚が強くなり、霧がかかっていた。

11時前に美瑛に着く。
JAが経営する直売店「美瑛選果」
テレビでも紹介された店だ。
冷やしトマトを食べ、土産物を買い込んだ。
レストランは満席なのでここでは食事はせず、クルマで数分の所にある美瑛黄前の「Italian cafe Abete」でパスタランチ。
トマトソースが美味しかった。
デザートはリモンケーキ、美瑛産あずきと抹茶のティラミス。
横浜からこの地に移り住んだ夫婦二人の店だった。

雨の中を十勝岳方向にクルマを進める。
豪雨になったので1時半「道の駅 びえい白金ビルケ」で雨やどり。
少し待つと小やみになった。
「青い池」に向かう。

最近話題になっている新しい観光スポットだ。
文字通り水面が青い色をしているこの池が知られるようになったのは実はまだ最近の事である。
昭和63年に噴火した十勝岳の火山泥流災害を防止する為に堰堤が美瑛川に作られた。
その工事の過程でできたいくつかの人造池のうちの一つが「青い池」になった。
白金温泉上流の十勝岳が吸い込んだ水分が時をかけて地下水となり途中アルミニウムがまざり美瑛川に注ぎ込まれる。
硫黄沢川との合流時に目には見えないコロイド状の粒子が生まれ、太陽の力と光の散乱を補う硫黄や石灰成分などが、川底の石や岩を白くして青い池になった。
人造池では、カラマツや白樺などの木々が水没してどんどん枯れてゆく。
樹木の枯れた姿を、鏡のように映し出す青い池は誰にも気づかれることなく時を過ごしていた。
美しいコバルトブルーの池と枯れ立つ木々のコントラストを地元の写真家が紹介したことから人気に火が付いた。

「青い池」には何の施設もないけれど、それでも次々と観光バスがやってくる人気スポットになっている。
この日は雨のせいか以前来た時よりも青みが弱いような気がした。


美瑛の青い池

時計を見ると宿のチェックインには少し早いので、もう一か所「ファーム富田」へ。
ご存知ラベンダー畑だ。
たまたま新しくメロンを中心に飲食と土産を買える場所ができていた。
カットメロンを食べたあとラベンダーを見に行く。
ちょうど一年前にも見にきたが、去年はほとんど咲いていなかった。
しかし今年は見事に咲き揃っていた。

「ビ・ブレ bi-ble美瑛」に16時過ぎチェックイン。
部屋は5室のみ。
窓が広く"セブンスターの木"がみえる。

18時 レストランへ。
まず工房で焼きたてのプリッツェルとシャンパンを薦められる。
熱々の釜から出したばかりのプリッツェルはうまかった。
そのあとテーブルに案内されてディナーが始まった。
メニューは
 ・タマネギのタルト
 ・ジャガイモのタコス
 ・ジャガイモのパン
 ・にしんのスモーク、バテ豚と鳥、ピクルス、ラタトゥイユ
 ・ウドの天ぷら
 ・ジャガイモのスープ メークイン
 ・美瑛産のアスパラ 二本、チーズ、バターで炒めた小麦粉、卵黄
 ・マルサラの赤
 ・シャケ 時不知のポアレ
 ・グリーンサラダ
 ・鹿肉のステーキ 赤ワインとハスカップのソース、西洋ワサビ、ジャガイモのグラタン
と続いた。
何とも美味、そしてボリュームのすごさ!
その途中で一度デザートを見せに来てくれたのが、巨大なミルフィーユだった。
各テーブル用に切り分ける前の大きなもので、ウェイターが両腕で支え揚げるように持ってきて客たちを驚かせた。

そのミルフィーユが切り分けられて、飲み物とともにデザートタイムになった。
さらにロデブの揚げパンのきな粉まぶしがお茶菓子として出された。
圧倒的なボリューム。
いろいろとおいしいものも食べてきたが、おそらく人生でベスト3に入る食事だったと思う。



7月2日 月

6時前クルマで散策に出る。
「ビブレ美瑛」の周囲は小麦やジャガイモ畑が広がっている。
いえゆる「パッチワークの丘」と言われるエリアだ。
オーベルジュの宿泊棟やレストラン棟は新築されたものだが、これは旧小学校の敷地内にあり、関係者などは旧校舎に居住している。
そしてこの建物はシェフたちが一人前になるための調理学校となっている。
全国から若者が集まり、「ビブレ美瑛」で1年単位で修業を積む。
閑散期を中心に料理を学び、また実際に顧客にサーブをしながら実地訓練を受ける。
将来は系列レストランに残る場合もあれば、故郷に帰り独立、開業を目指す。
一生この職業を全うしようという彼らの士気は高く、実際にサービスを受けていてもお客にそれが伝わってくる。
このオーベルジュの水準の高さはこんなところにも理由がありそうだ。

セブンスターの木で美瑛の丘陵を見渡す。
いくら見ていても飽きない。素晴らしいながめだ。
8時から朝食。
まず焼きたてのパンが出る。
どっさり各種山盛りだ。
おそらく生涯で一番美味しいパンを食べた。
メニューは、
 ・しぼりたてのオレンジジュース
 ・ミルクパン、ブリオッシュ、フランスパン美瑛、クロワッサン
 ・ベーコンとウインナー
 ・ミルク
 ・スナップエンドウのサラダ
 ・半熟卵カルボナーラ風
 ・キクイモのポタージュスープ
 ・グレープフルーツ ルビーとコーヒー
味もボリュームも文句のつけようがない。

天気には恵まれなかったが、食には十分満足するオーベルジュでの一泊だった。
10時前出発。
まず「富良野マルシェ」による。
富良野の中心部にある商業施設で、ここに来るたびに土産物を買いに来る。
しかし今回はもうあちこちの道の駅に停まるたびにいろいろ買い込んでいるのであまり買うものはなかった。
富良野から山越えルートで岩見沢、札幌を経由小樽へ向かう。
とうとう最終日も土砂降り、今回は一日も晴れることがなかった。

早めに小樽港に着く。
土砂降りの雨の中改札が始まり、クルマを格納する。
小樽出港は17時、新潟港へは明朝9時に到着の予定だ。
今回の客室はスイートルームにした。
ホテルの客室を思わせる広くて豪華な内装、快適空間だった。
夕食前にさっそく風呂に入る。
小樽は雨が強く、霧に霞んであたりも見えづらい。
風呂に窓があるが眺めは残念だった。
せっかくのベランダもびしょびしょだった。

出港後18時半から食事になった。
一般船室客はカフェエリアだが、スイートルームの客と特別食を申し込んだ人はグリルを指定される。
夕食は和食会席だった。
付きだしから、お造り、煮物、焼き物、お椀と船の上とは思えない美食が並ぶ。
締めのカニ釜飯はとくに美味しかった。

快適な眠りから覚めると沖合に陸地がかすかに見える。
男鹿半島の沖合、夜明けの空が美しい。
北海道では一日も晴れなかったのに本州が近づくと晴天。
そういえば港にあった「梅雨のない北海道へようこそ」というフェリー会社のポスターに「うそつき」のらくがきがあった。


帰りの船だけ晴れた

新潟港に予定通り9時に着岸。
新潟亀田ICから関越道を経て帰宅。
船旅は快適でこれからシニア層に人気が出ると思う。
北海道へマイカーで行くとなれば、ロングドライブの疲労が一番心配だったがフェリーを使えば全く問題がないことが分かった。
日本中元気なうちに回りたい。
さて次はどこへ行こうか?
さっそく次の計画つくりが始まった。