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西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第46回 太宰府を巡る旅

平成が令和に変わった2019年5月。
福岡大宰府を旅した。
「令和」の由来は1200年余り前に編纂された万葉集に収められた「梅花の歌三十二首 序文」にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ」の文言を引用したものだ。
この梅花の宴を催したのは万葉集の選者でもある大友家持の父であり大納言も歴任した大伴旅人だ。
旅人は大宰府の長官として赴任し、大宰府の役所が管轄していた西海道の官人たちを自ら住まう邸宅に招きこの宴を開いた。
その宴の場所となったところに坂本八幡宮がある。
4月1日の新元号発表後、ゆかりの地に全国から観光客が殺到した。

福岡の天神から西鉄に乗り、「都府楼前」で降りる。
各駅停車の小さな駅だがここから歩くのが坂本八幡宮には近い。
都府楼とは大宰府政庁の別名だ。


下車駅は西鉄の各駅停車の駅

駅前の朱塗りの橋を渡ると観光案内板が行き先を教えてくれる。
5月の日差しはかなり強い。
大宰府政庁まではおよそ1キロだ。


道案内は丁寧だ


迷うことはない

しばらく進むと視界が開けてくる。
広大な草地がかつて大宰府政庁があったところだ。
木々の若葉とまるでゴルフ場のような若草の野原が美しい。
今はほとんど人がいないこの地に、いにしえの時代多くの人々が行き交ったことを想像するだけでもロマンを掻き立てる。


緑豊かな大宰府政庁跡を横に見て進む

表通りから大宰府政庁跡を経て、奥に位置するのが坂本八幡宮である。
5月も後半に入り、一時ほどの行列は減ったとはいえ、それでもこれまで静かだった小さな神社は平日の午前中次々に訪れる人でごった返していた。


坂本八幡宮

参拝もそこそこに皆、御朱印を求める。
以前はその場で手書きで作成していたようだが、あまりの人出に住職が悲鳴を上げ、一時御朱印発行を中止したと報道されていた。
この日は、復活こそしていたが、あらかじめ書置きした紙の販売で、自らの御朱印帳に貼り付ける形式に変更されていた。


御朱印を求める人が続く

また行列ができていたのが、官房長官が掲げた「令和」と書かれた額を持っての記念写真コーナーだ。
コーナーと言っても本殿の前なのだが、無造作に置いてあるこの額を皆が順番に掲げて「令和おじさん」のポーズで写真を撮っていた。
普段なら静かな地方の小さな神社が突然脚光を浴びて、観光施設も土産物店もないところに人が群がっている。
青天のへきれきに神社も戸惑っている様子がうかがえた。

境内を出て広々とした大宰府政庁跡の草地を歩く。
雲雀がさえずり、緑はまぶしく、誠にここちよい。
大宰府には政庁のほか、学校、蔵司、税司、薬司、匠司、修理器仗所、客館、兵馬所、主厨司、主船所、警固所、大野城司、貢上染物所、作紙などがあったとされるが、遺跡が確認されたものは少ない。

「大宰府跡」は昭和28年に国の特別史跡に指定された。その後追加指定が行われ、指定面積は32万平方メートルである。
外交と防衛を主任務とすると共に、現在の九州にあたる西海道9国と壱岐対馬などの島しょ部の行政、司法を所管していた。
また軍事面でも防人を統括し西辺国境の防備を担っていた。

往時をしのびながらところどころ碑が残る政庁跡を歩く。
今ここに人の姿はほとんど見えないが、古には大勢の人が行き交っていたのかと思うだけで何か感動を思える。
長い時間の経過の先に自分もいるという不思議な世界をしばし楽しむことができた。
よくテレビ番組「ブラタモリ」のなかで、タモリ氏のアニメが昔のCGの中を泳ぐような気分を私も感じた。


大宰府政庁跡

政庁跡の片隅にある「太宰府展示館」に行く。
ここでは発掘調査の概要の展示をはじめ令和の由来となった歌会の宴の模型も展示されていた。
おそらくこの一か月余りで観光客が突然増えたので対応したのだろう。
ボランティアガイドも多数常駐し、訪れた人への説明にも力が入っていた。
時ならぬ令和ブームで地元の人も力が入っているのが感じられ、ほほえましかった。


大宰府展示館の和歌の宴の模型

展示館の前にコミュニティバスのバス停があった。
駅まで歩く、あるいは天満宮まで行くには歩くしかないと覚悟していたので、コミュニティバスの存在は助かった。
西鉄太宰府駅前までバスはかなり寄り道をするので20分ほどかかったが、知らない街でのバスの利用は意外に楽しいものだ。
車内の方言交じりのおばさんたちの会話も新鮮だし、車窓風景も目新しい。
太宰府駅にも「祝 令和」の看板が設置され、町あげての歓迎ムードに包まれていた。


太宰府駅までコミュニティバスが便利

そして参道はいつも通りの人の列。
外国人のなんと多いことか、そしてこの時期は修学旅行生も加わって賑わいに拍車がかかる。
名物の「梅が枝餅」をほおばる人、ソフトクリームを舐めながら歩く人、そしてスマホで記念撮影と、それぞれの大宰府詣でを楽しんでいる。

坂本八幡宮や政庁跡周辺には飲食店が見当たらなかったので、昼食が相当遅くなってしまった。
早速参道の蕎麦屋で天せいろを注文する。
かなり暑かったので、冷たいそばが旨かった。

私は神社仏閣詣では、ほかの人より相当頻度が多いと思うが、そういうときにはなぜかステーキやハンバーグではなく蕎麦やうなぎの和食メニューが多い。
肉系と言ってもせいぜいカツ丼を注文するくらい。
なぜだろうか、とふと考える。
若い参拝客もずいぶん見かけるが、彼らはハンバーガーやカレーライスでも抵抗はないのかもしれない、などと考えながら店を出た。


天せいろとともに食べた梅が枝餅

参道をぶらぶらしながら、太宰府天満宮の境内へ。
心字池にかかる太鼓橋を渡る。
ここが日本かと疑うほど外国人客ばかりだ。
アジア系が8割か、グループ、家族が多い。
それぞれが塊になって記念撮影をしているから人の流れが止まり、なかなか前に進めない。
女性は浴衣姿が目立つ。
浴衣で参拝をと大きなトランクを預かり浴衣をレンタルするビジネスは東京浅草あたりでも盛んだが、大宰府にも展開しているようだ。
特に祭りでもない普通の平日にこんなに人でごった返しているのは、やはりインバウンド効果だろう。


太宰府参道


外国人の姿も目立つ

ようやく参拝を終えて参道をまた戻る。
私は「門前町の経済学」という授業を大学で教えることがある。
全国を見渡しても衰退が目立つ商店街が多い中にあって比較的元気な商店街のキーワードが「門前町」なのだ。
太宰府以外でも、浅草仲見世、巣鴨とげぬき地蔵通り、鎌倉小町通り、名古屋大須、大阪天神橋筋など全国的な知名度をもつ商店街はみな「門前町」だ。

一般に門前町の商店街にはいくつか共通点がある。
門前町商店街の特徴はまず広域集客であることだ。
なるほど太宰府には九州一円はもちろん世界から人が来る。
次に、企業で言うならCI、コーポレートアイデンティティーにあたる町並みの統一がやりやすい。
さらに販売商品にオリジナリティがあり、販促イベントに巧みなのも門前町の特徴だろう。おやきなどオリジナリティあふれる商品はスーパーなどとは違う。

また今日では販促イベントを効果的に打ち消費者の心理に訴えるかが大きなテーマだ。
その点門前町商店街はもともと祭礼に縁日と神社仏閣とタイアップした販促イベントには慣れている。
これも見逃せないことだろう。

もうひとつ門前町商店街で指摘しておきたい大きな特徴がある。
それは「行った人は帰ってくる」ということだ。
普通門前町商店街は最寄りの駅などから参道沿いに店がならび、いちばん奥に神社仏閣があるから、大多数の人は同じ道を往復することになる。
まさに今私が歩く太宰府参道がそれだ。
往路からものを買い込む人はあまりいないだろう。
お参りを済まそうとまずは参拝へと向かう。
しかしあそこにまんじゅう屋がある、あそこのそばはうまそうだなどと下見をする意味が往路にはある。
(もっとも私は腹がすいて今回は先に食べたが・・・)
神仏の前に行き、賽銭を投げ手を合わせると、気分は晴れやかになる。
「ああお腹もすいた、そうだみやげも買わなくちゃ」。
折り返しの後は一気に買い物競争となる。
往路の下見で段取りは決まっているから目星のつけてある店を渡り歩いてゆくわけだ。

この理屈を頭に参道を下ると、店を冷かしている多くの客が参拝後の人であることに気が付く。
飲食店。土産物店など往路よりは帰路に立ち寄る人で支えられているのだ。
全国多くの商店街はシャッター通りと化し、単なる通過空間になっている例が多い。
行った人が返ってくるという往復をしかもゆっくりとしたスピードで歩く門前町は商売としては最高の空間なのだろう。

西鉄太宰府駅から二日市で乗り換え西鉄福岡駅のある天神まで40分ほどで戻った。
万葉の時代から九州一の繁華街へ電車は一目散に駆け抜けた。
半日の日帰り旅行は満足に行くものだった。