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西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第47回 都バスを利用すれば、違う東京が見えてくる

「おいおい勘弁してよ」
電車の中で思わずうめく。
午前中のアポイントのために電車に乗ったところで、先方からドタキャンのメール。
本日は先方が午前中にしてくれというので、そのために時間を合わせて出てきた。
この予定さえなかったら夕方に溜池山王のアポイントに行けばよかったのに・・・・。
こんな宙ぶらりんな日をどう過ごせばいいのだろうか。
電車は私の混乱とは裏腹に目的地の新宿を目指していた。

しかし、発想を変えるとこんな日こそ日頃できないこと、行かれないところへ行くチャンスなのかもしれない。
私は手帳の「行きたいところリスト」のページを開いた。
テレビや雑誌などで紹介されいつか行ってみたいと思った場所を「ポスト・イット」に走り書きし、このリストのページに貼って一覧表にしている。

戸山公園。
新宿区戸山という場所は名門都立戸山高校があることは知っていたが、この公園に行ったことはなかった。
戸山公園と「ポスト・イット」に書いたのは数年前の春、テレビで桜の名所として中継をしていたからだった。
それを手帳に貼ったままにしてあったことを思い出した。
いまは桜のシーズンではないが、行ってみるにはいい機会かもしれない。

副都心線を、予定していた「新宿三丁目」で降りずに一駅乗り越して「東新宿」で降りる。
ここから戸山公園は近いはずだ。
日常生活の打破はいつも降りる駅とは違う前後の駅で降りてみることから始まる。
若いころよく聴いたラジオ番組で永六輔が盛んにそう言っていた。
まさに「遠くへ行きたい」の歌詞、「知らないまちを歩いてみたい」の具現化である。

戸山公園はかつての尾張藩徳川家の下屋敷があったところだ。
倹約緊縮財政の吉宗に対抗するように、尾張藩徳川宗春は名古屋城下で見世物小屋や遊郭を作って派手な暮らしを奨励したが、幕府の足元であるここ江戸下屋敷でも享楽的な暮らしぶりが話題になった。
下屋敷は2代藩主徳川光友が回遊式庭園「戸山荘」として整備し、敷地内に箱根山を模した築山を作ったり、東海道小田原宿を模した建物を建築するなどテーマパーク的な設計をした。
将軍が訪問するなど水戸家の小石川庭園にも並ぶ大名屋敷であった。
明治維新後は陸軍外山学校が作られるなど軍用施設に利用された。
また戦後は公営住宅戸山ハイツとともに敷地の一部が現在の戸山公園になっている。

私は学生時代、新宿駅から早稲田までこの近くをよく歩いていたが、明治通りを歩くだけで、隣接する戸山公園は存在さえ知らなかった。

もったいないことをしたものだ。
若いころは興味さえなかったものにこの年齢になって初めて気が付くことは意外に多い。
神社仏閣などもその例に漏れない。
いまになって見落としていた名所めぐりをありがたがっている。
戸山公園は山手線の中とは思えない広々とした空間、気が生い茂り起伏にとんだ自然の地だった。


山手線のなかとは思えない閑静な戸山公園

小高い山には鎌倉山と名前がついている。
登るとなるほど眺めがいい。
テレビで桜の隠れた名所と紹介していたのはここのことだ。
それにしても広大な土地である。
完璧に整備された公園というよりは自然をそのまま残したという感じで東京新宿区という場所を全く感じさせないところが気に入った。


鎌倉山からの眺め

鎌倉山から「下山」、明治通りそして大久保通りへとぶらつく。
大久保通りはご存じ「コリアンタウン」だ。
日韓関係が悪化しているが、若い女性たちにはそれほど緊張感はないのか人出は予想したよりも多かった。
ハングルの看板がずらりと並び、写真付きの韓国料理のランチメニューが通りに出されている。
韓流スターの写真を売る店、韓流歌手の歌をガンガンかけている店も多い。
歩いているだけで海外旅行の気分になる。


新大久保周辺は日本語の看板は少ない

さて新大久保で外国体験をした後どこへ行くか。
まだ当てがなかった。
目的もなくぶらぶら歩いていると大久保通りを走っている都営バスとすれ違った。
行き先表示に目が行く。
「新橋駅」
えっ?新橋?
新大久保とは相当離れている。
山手線に乗れば半周近く離れた場所だ。
都営バスにはこんな「意外な路線」が結構ある。
おそらくかつて都電が走っていた関係でそのあとを継いだ路線なのだろう。
今日の行動範囲では考えられないイメージの街をバスが結んでいる。
おそらくその路線を最初から終わりまで乗り通す人は少ないのだろうが、今もって庶民の足としてバスは根強い支持を集めている。

ただビジネスではバスは使いこなしにくい。
その理由は時間が読めないからだろう。
時間がかかりすぎる、渋滞に巻き込まれたりしたら約束の時間に間に合わなくなる。
タクシーなら裏道を通ったり急遽最寄り駅に行ってもらい電車に乗り換えるなど対策もとれるが、バスはそうはいかない。

今日のような日こそバスに乗ってみるチャンスではないか。
私はそう考えた。
私が乗ったバスは「小滝橋車庫発新橋行き」で路線番号は「橋63」という都営バスだ。
Suicaで210円を支払い、新大久保駅前から乗車する。


新大久保駅前からバスに乗ることを思いつく

席はすべて埋まり、何人かが立っていた。
大久保通りを直進、「大久保2丁目」、そして先ほど歩いた「都営戸山ハイツ前」に停車し何人かが乗り降りした。
次は「新宿ここ・から広場前」という耳慣れないバス停だった。

「新宿ここ・から広場」とは、「施設を利用するすべての人の心と体が元気になってほしい」
「この場所から、成長し仲間づくりをしてほしい」との願いを込めた、公募により決定した愛称で、子ども総合センター、しごと棟、多目的運動広場、農業体験の場、高齢者福祉施設などが入っているとホームページにある。
まあそれはそれとして、いきなりバス停案内で「ここ・から広場」と聞いても何のことやらわからないという人が多いだろう。

その後「国立国際医療研究センター前」「戸山町」「若松町」を経て「牛込柳町」に着いた。
ここは1970年に自動車排気ガスにより近隣住民が鉛中毒に罹患しているという事件が起きてこれをきっかけに自動車排気ガス規制が社会問題化した。
民間医療団体が地元住民の健康調査を発表したことから広く知られるようになったが、その後の東京都などの観測調査などから大きな問題はなかったことが明らかとなる。
しかし自然形状から坂道発進などで排気ガスが出やすい場所というありがたくないというイメージが広まったことは否めない。


都バスには意外な路線が多い

ところで牛込という新宿区内の地名だが、じつは明治時代までこの辺りは実際に牛が買われていたことに由来する。
実際新宿の牛の逸話はあちこちに残る。
たとえば、芥川龍之介の父は、明治21年に新宿二丁目で耕牧舎という牧場を開いている。
3000坪の敷地で600坪の畜舎があり、牛を飼い、牛乳を生産していたというから大規模牧場だ。
芥川龍之介は明治25年(1892年)に生まれ、生後すぐに母方の叔母の家に養子に出される。
大正の初めまで実父の持ち家である新宿一丁目の住宅に住み牧場で多くの時間を過ごしていたようだ。
作品『点鬼簿』の中で、アイスクリームを食べたことや、
「僕は当時新宿にあった牧場の外の槲の葉かげにラム酒を飲んだことを覚えている。
ラム酒は非常にアルコオル分の少ない、橙黄色を帯びた飲料だった」
と書いている。
牧場は繁盛していたようだが臭気が強く、周辺の環境にそぐわないとのことで、警視庁から移転命令が出され、廃業したという。

また明治以降鹿鳴館政策もあって外国人が多数東京に住むことになった。
彼らは洋食なのでバターや牛乳の供給に迫られる、冷蔵技術も未熟な時代だけに近くに牧場が必要だった。
牛込あたりはそうした時代の要請に応える場所でもあったわけだ。

「牛込柳町」のあと「山伏町」「牛込北町」「納戸町」と停留所を経由し「市ヶ谷田町」を通ると外堀通りは近い。
「市ヶ谷駅前」はかつて「見附」があったところで「市ヶ谷見附」と呼び、今も城門の一部が残っている。

見附とは、本来街道の分岐点など交通の要所に置かれた見張り所に由来する言葉である。
江戸城の見附は、見張り役の番兵が駐在する城門のことを言い、門の内側に番兵が滞在できる番所があった。
俗に江戸城には36の見付があったといわれ、現在も四谷見附・赤坂見附など地名としても残っている。
外堀は江戸城防備のために家光が西国の大名たちに命じて工事を進めさせた。
バスはその外堀を渡って江戸城の守備範囲に入った。

「番町」停留所通過。
閑静な住宅街としてしられる番町エリアは千代田区一番町から六番町の総称である。
もともとは家康が城の西側の守りを固めるために「大番組」と呼ばれる旗本を住まわせたことに由来するという。
ちなみに東側の守りを固めるエリアには家康の地元駿河の旗本を住まわせて「駿河台」の地名になっている。

「麹町4丁目」のバス停、数人が乗り降り。
手紙などを書くとき住所に「麹町」とあると、「字が難しい」と悲鳴を上げるのは私だけだろうか。
地元の子供は住所を漢字で書くのも大変だろうなと要らぬ心配もする。
地名の由来は、町内に「小路(こうじ)」が多かったためという説、幕府の麹御用を務めた麹屋三四郎が住んでいたためという説もあるが、府中の国府(こくふ)を往来する国府街道の江戸における出入口であったため、つまりは国府路(こうじ)の町であったという説が有力だとか。

このあたりバスに乗っているとわかるが、かなりの急坂だ。
ここを抜ければもう日本の中枢部に近い。
「平河町2丁目」「永田町」と停留所を通過、私は「国会議事堂」で降りることにする。
議事堂と国会図書館の間にバス停はあった。

新大久保からここまで25分ほどだったが、日ごろ利用することのないバス路線で「小旅行」の気分を満喫できた。
初夏の日差しを浴びながら議員会館を横切り、日枝神社を抜けて溜池山王の約束のビルへと向かう。
ぽっかり仕事が空いた数時間をどう過ごすか。
ビジネスマンならだれしも経験があることだと思う。
パチンコ?喫茶店?
そんな時、街歩きとバス旅行という手があることも提案しておきたい。


バスの中はどこかのんびり