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西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第49回 青春18きっぷの旅

旧国鉄時代からJRになっても変わらぬヒット商品に「青春18きっぷ」がある。
5日間普通列車のみ乗り放題という切符で、期間内であれば連続している日にちでなくても構わないし何人で使っても構わないという切符だ。
12050円だから1日あたり2500円弱、片道1200円程度の近距離を往復するだけでも元がとれる計算だ。
例えば私が住んでいる東海道線の戸塚駅を始発で出て1日乗り継げば下関まで行くことができる。

ただひとつ気をつけなければならないのは発売と使用期間が年三回に限られており、夏休み、冬休み、春休みのそれぞれ一ヶ月半弱になっているところから当初は学生の利用を想定していたようだ。
とはいえ、現実には年齢制限などはなく「第二の青春」という人でも使えるのがこの切符のいいところである。
実際、定年後の旅行にこれを利用しているという話はあちこちで聞くし、特に早朝の東海道線にこのきっぷの利用者と思われるシニアを目撃もしていた。

今回、私もこの「青春18きっぷ」の体験旅行を企画した。
「企画」と言ったが、そんなに大げさなものではない。
朝思い立って急に出発してもいいのがこの旅だ。
何しろ予約の必要がない。
目的地まであらかじめ切符を買うわけではないから、降りたいところで降りればいい。
だから宿の予約もしないで乗ってしまう。
今はスマホで時刻表検索ができるから新幹線や特急を検索から外しておけば普通電車の乗り継ぎはすぐにわかる。
そのうえで今晩はどのあたりに泊まるか見当をつけて、宿を検索すれば宿泊可能な宿を探し出すことができる。

旅にはいろいろ考え方がある。
高級な宿に泊まりおいしいものを食べるという目的もあってもいい。
しかし「青春18きっぷ」は気ままな一人旅が基本コンセプトだから、ビジネスホテルで十分だ。
どうしてもこの場所に泊まらなければならないとなれば、宿が取れない心配もあるが、「青春18きっぷ」は宿があるところに移動して泊まればいいのだから困ることはまずない。
そもそも混雑するような大都市など最初から行く気はないのだ。
これはシニアの気ままな一人旅にはうってつけである。
さあいざ「第二の青春」の旅へ。


今回の旅の出発は12月26日。
「青春18きっぷ」の冬の有効期間は12月1日から1月10日までである。
今回は一応二泊三日で考えた。
この切符は5日間有効と言ってもさすがに五日間ぶっ通しで乗り続ける体力には自信がない。
2泊なら荷物もリュック一つで十分だ。
この切符は五日通しではなく分けて使えるのがありがたい。
今回は一日目で東海道、上越、信越、羽越線で新潟県村上まで行き、ここで吊るし鮭を見学して瀬波温泉へ。
二日目に村上から新潟経由、越後川口から飯山線経由で長野まで。
最終日に長野から松本経由、中央線で戻るという日程だ。
うまくすれば雪景色も眺められそうだ。
近年ドライブ旅行もずいぶん経験しているが、やはり雪道となると心配だ。
冬こそローカル線の旅がいいと考えた。

早朝戸塚を出る。
今日はまだ世間は仕事の日だから上り方面は通勤客も多いのでグリーン券を買う。
「青春18きっぷ」はグリーン券を買えば自由席のグリーン車には座れる。
戸塚から上野東京ラインの終点高崎までグリーン券は1000円だから相当安く感じる。
これでゆったりと3時間近く座れるのだ。
東京駅までは乗客も多かったが、上野、浦和、大宮と進めばガラガラだ。

高崎着8時16分。
8時24分発の水上行きに乗り換える。
榛名山や谷川岳には雪があるが、平地には全く雪はない。
住宅地を抜ければただ一面の苅田が続く。
水上駅に近づくと山峡にかかり温泉ホテルが立ち並ぶ。
駅に着き跨線橋を渡ると次の長岡行きがすでに入線していた。


水上駅で長岡行きを待つ

9時45分水上発。
以前は各駅停車の列車は老朽電車が多かったが、近年は新車両への更新が進んできれいだし何より空調も効いていて暖かい。
首都圏を出ると各扉の横にあるボタンで出入りの際のみ手動で開くので保温効果もある。
またトイレもきれいで長時間乗っていても苦痛ではなくなっている。
水上を出ると谷川岳の下を通る「国境の長いトンネル」に入る。
驚くことにトンネル内にも駅があり、利用する人は長い階段で地上との間を往復するらしい。

トンネルの先は、雪国、ではなかった。
新潟県に入っても平地に雪はない。
地肌を見せたままのスキー場の斜面というのは無残な気がする。
雪がないことは都会では喜ばしいが、観光資源としているところでは深刻だ。
これも気象異変のせいなのだろうか。
あと数日すれば年末年始の休みを利用した観光客が予約をしているだろうからどうなることやらと他人事ながら気を揉む。

長岡着11時48分。
次の新津行きが出るのが12時40分だからちょうどランチタイムだ。
ただ1時間ないから遠くには行かれない。
あらかじめ「へぎそば」の店を駅ビルで調べておいた。
改札を出て店へと直行。
へぎそばとは、布海苔をつなぎに使っていることから、小麦粉をつなぎにした蕎麦や、十割蕎麦などと比較して、ツルツルとした喉越しが特徴のそばのこと。
「へぎ(片木)」と呼ばれる、剥ぎ板で作った四角い器に載せて出されるのでこの名が付いた。
冷やしたそば3 - 4人前を、一口程度に小分けし、丸めて盛りつけるのが普通だが、今回は大人数ではないから一人盛りの定食を注文する。
蕎麦はやや緑がかった色をしている。
つるつると素麺のようにのど越しがいい。
新潟県魚沼地方から生まれたへぎそばは今では東京にも店があり広く知られるようになった。


長岡のランチはへぎそば

そばを食べ終わり、コーヒー店でテイクアウトのコーヒーとコンビニで笹団子味の柿の種(!)を買ってホームに戻ると電車は入線していた。

長岡発12時40分
新津までおよそ1時間、この電車は新潟と長岡を結ぶ乗客の多い区間を走るので首都圏でおなじみのロングシート型の電車だ。
置く場所もないので買ってきたコーヒーを手に持って飲みながら例の柿の種をつまむ。
チョコレートがコーティングしてありなるほど食べているとほんのりと口の中に笹団子の味が広がる。


笹団子味の柿の種

いわゆるご当地限定の菓子だ。
こんな発想は日本だけだろうと思う。
青森に行けばリンゴ、山梨なら桃、和歌山なら梅という具合に特産物とのコラボ菓子があふれている。
思わず買ってしまう消費者心理。外国人観光客の目にも相当新鮮に映ると思う。
朝早かったのと昼食後ということもあり、新津まではほとんどが昼寝タイムとなってしまった。

13時36分新津着
この駅は信越線、磐越西線、羽越線が結節する鉄道の要衝であり、かつては機関区、工場、操車場もあった。
その名残で鉄道の敷地が広々としている。
大きな駅舎と整備された駅前広場がある。


新津は鉄道の町

さてここで次の羽越線が出るまで1時間半ほどの時間がある。
本日最大の待ち時間だ。
あらかじめ時間つぶしを考えていた。
駅前におしゃれな喫茶店があることをネットで調べていたのだ。
駅前広場のすぐ向かい側にその店はあった。


新津駅前の喫茶店

地方都市では珍しい珈琲の専門店で、グアテマラを注文した。
明るくおしゃれな店で一杯ずつ焙煎してくれる。
しかし珈琲一杯500円前後で地方都市で喫茶店を経営してゆくのは大変だろうなと感じる。
何しろ人口が少ないうえに交流人口も多いとはいいがたい。
毎日この値段で珈琲を飲みに来てくれる人がどのくらいいるか、少し気にかかった。
若い夫婦の経営者に頑張れとエールを送りたい。

15時08分新津発 羽越線各駅停車に乗る。
入線してきた始発列車はレトロなディーゼルカーだった。
定刻に発車、田園風景の中をのんびり走るが、このころから雨が降りだしあたりは暗くなってきた。
めざすは村上。三面川という川に遡上する鮭の町として有名だ。
ここは一度来たいと前から思っていたが、わざわざここだけに行くというほどの観光地でもないので、チャンスをねらっていた。
距離的にも今回の各駅停車の旅の目的地として第一候補に考えたのである。

明日の観光の資料などを読んでいるうちに16時26分村上着。
傘を持って駅まで旅館の人が迎えに来てくれていた。
もうあたりは真っ暗。送迎車で10分ほど、瀬波温泉の宿に着く。
瀬波温泉は海辺に面した温泉地で大きな旅館は6-7軒ほど。
晴れていたら日没が美しいことで知られている。
今日のような日を想定してか、この旅館では玄関ロビーホールの海に面した大ガラスをスクリーンにして夜プロジェクションマッピングで日没シーンを上映していた。
また同じ設備で星空や花火などの映像も流すなど工夫がうれしかった。
温泉は広々とした露天風呂もあり翌朝まで3回、たっぷりと楽しめたし、夕餉は地元牛肉のすき焼きや日本海の海の幸に堪能した。
正月休みの前、年末の平日だけに客が少ないようでネットで直前予約で割安の宿泊ができた。


二日目
5時過ぎに目が覚め 朝風呂の後 朝食ビュッフェを楽しむ。
品数豊富で焼き魚などもうまい。
十分に満足して 9時にチェックアウト。
送迎バスが古民家の並ぶ村上市内中心部まで連れて行ってくれた。
昨夜来の雨も小降りになっている。
入ったのは「千年鮭 きっかわ」。
創業は寛永年間、江戸時代は造り酒屋だったそうだ。


村上の伝統的な商家

古民家の扉を開けると加工品の店舗。奥に入ると、あった!
村上名物の吊るし鮭の迫力。
数百本の大ぶりの鮭が天井からぶら下がっている。
長いものだと1年くらいは干してから加工するという。
村上は三面川を遡上する鮭を使った100種類以上の発酵食が伝えられている。
そのすべての基本になるのが塩引鮭だ。
丹念に塩をすりこんだ後数日間塩漬けにし、真水で洗い寒風にさらして熟成する。
酒屋時代からある麹室で手作りされる米麹は村上の正月料理、鮭の飯寿司(いずし)に欠かせない。
鮭と麹の地元文化に触れることができた。


この迫力!

この「千年鮭きっかわ」の一帯は古い街並みが保存されているところで、町家歩きが楽しい。
ただ今日は寒いうえに強風横殴りの雨がまた始まり、コンディションが悪すぎた。
それでもみたらし団子の店と地元の漆塗りの店などの散策は楽しかった。


堆朱は村上の伝統芸

次第に風が強まり、歩きにくくなってきた。
この日、「七の日」は朝市があるということで市役所近くに行ってみた。
正月前の最後の市、で海産物や野菜、花などの店がテントの下に並んでいたが、テントが風にあおられて吹き飛ばされる始末、残念ながら散策を断念、駅に向かった。


朝市は雨風で大変

予定より早く村上駅に行ってみると異変が起きていた。
羽越線は山形県内の強風の影響で特急が立ち往生しているという。
結果的に早く駅に着くことになったので予定より一本速い各駅停車に乗れることは分かった。
特急は立ち往生しているものの各駅停車は村上始発で予定通り出るということだった。

村上発11時21分。
予定より一本速い列車は定刻に出発するが、発車時点で「このあと強風で徐行運転区間があります」というアナウンスがあった。
発車直後から平野部を走るときはノロノロになる。
それでも特急は止まっているのだから各駅停車に乗る「青春18きっぷ」の旅だからあまり騒ぐ必要もない、と気楽に構えていたが遅れはどんどんひどくなってゆく。
そう言えばかつて強風にあおられて特急電車が脱線転覆した事故がこの羽越線であったことを思い出す。
日本海からの季節風が強いところだけにJRも慎重にならざるを得ないのだろう。
注意していると徐行区間と通常スピードで走る区間がはっきりと分かれている。
さえぎるものがない田園地帯や大きな川を渡る鉄橋などは徐行するが、住宅密集地や林の中を走るときは通常走行だ。
いかに防風林といったものが大切なのかあらためて実感した。

結局終点新潟着は定刻から一時間ほど遅れた。
一本前の電車に乗っておいて、実際に着いたのは予定していた電車の到着予定時刻とほぼ同じだった。
もし予定していた電車に乗っていたら、今夜長野まで行けなかった可能性が大きかったのだから、結果はラッキーだった。
ということは、ゆっくり新潟でランチしているとこの先も心配になってくる。
急いでコンビニでおにぎりと菓子パンを買い込み長岡行きに乗った。

新潟から長岡までは乗客の多い区間だ。
冬休みに入っているはずだが、クラブ活動や補習があるのか制服姿の高校生も多かった。
幸い海沿いから内陸に入ってゆくので強風は少し収まり、遅れは大きくはならなかった。
長岡駅で向かいのホームに停車中の水上行きへの接続も問題なくできた。

15時25分 長岡着 予定より3分遅れて到着。
15時29分発 3両編成の水上行きは立っている人も多く、私も座れなかった。
ただ降りる予定の越後川口までは4駅だ。

15時53分越後川口着。
小さな駅だが、ここは飯山線への乗換駅。
多くの降りた客はすでにホームに止まっていた列車に乗り換えていった。
ただ私はこの一本を見送る。
長野に向かうのだが、この列車は途中駅どまりなのだ。
私が乗る飯山線は次の17時ちょうど発だ。
それまで1時間以上も時間がある。
しかし越後川口の駅にはトイレと待合室があるだけで売店もない。
駅の外に出てみるが、周囲にも店らしい店はなくひっそりとしている。
みぞれ交じりの雨が降り外はもう暗い。
それでも無人の待合室で待つのでは間が持たないので、少し歩くことにした。
寒い。

手袋に耳まで隠れる毛糸の帽子、さらにはマフラーにマスクと、完全武装である。
駅からの一本道をおよそ7~8分で、信濃川の河川敷に出る。
堤防の上に上がってみると陽が暮れて薄暗くなってはいるが、大河の流れを見渡せた。

しかし雨は横なぐりとなり、とにかく寒い。
写真を数枚撮るのが精いっぱいで早々に駅に戻る。
あとは無人の待合室でポツンと待つしかない。
今回の旅で最も時間つぶしが難しいポイントであった。

10分前にホームに上がると折り返し戸狩野沢温泉行きが入ってきた。
2両編成のこのディーゼルカーにこの駅から乗るのは3人ほど。
17時定刻に発車する。
暗闇の中、列車は走る。
みぞれは雪に変わったようで、停まる駅はホームが白くなっている。
今回は雪を見るための旅だったのだが、ここまでほとんど雪はなかった。
ただこの飯山線は日本有数の豪雪地帯を走る列車として知られているからここだけは期待通りの雪になった。

豪雪対策の行き届いた飯山線。
よほどのことがない限り運休などはありえないから安心して車窓を眺めていられる。


飯山線

真っ暗な中、立て続けに各駅に停まるが、乗客は数人が乗ればまた数人がおり、結局増えることもないまま2時間近く走って、戸狩野沢温泉駅に18時53分に着く。
この列車はここで折り返して越後川口に戻るという。
おそらく終点長野まで新潟の運転手が行けば宿泊勤務になるという事情があると思われる。
逆に長野から来る列車が同様にこの駅で折り返すことになっている。
まさに「峠の駅」の役割だ。


乗換駅

それはいいのだが、たった一人の乗客である私は18時53分にホームに下され、長野方面から来る列車が19時7分に折り返すまでの14分近くを吹雪のふきっさらしのホームで待たなければならなかった。
寒い、痛い・・・。
真っ暗な闇から吹き付けてくる雪を避けることもできず、ホームで待った時間の長く感じたこと。


この寂しさ寒さ

足踏みして待つことしばし。
ようやく長野からの折り返し列車が遠くから近づいてきた。

19時07分発。発車時点では乗客は3人だった。
駅での寒さを思えば暖房の効いた車内は天国だった。
昼に多めに買った菓子パンを食べて一息つく。
それにしても、自分は鉄道に乗るのが好きなんだなと実感する。
わざわざ乗らなくてもいいローカル線に昨日、今日そして明日と乗り続けるわけだ。
楽しいと思わなければ乗らないだろう。

人生は 各駅停車 またたのし 抜かれて動ぜず 景色楽しむ
温まり、ついうとうと、気が付くと間もなく長野だった。

長野20時9分着。
年末の金曜日の夜で忘年会帰りの人の群れをかき分けるようにホテルへ入る。
雪は積もるほどではなかった。


三日目
快晴だ。
心がウキウキ弾むような空だ。
朝食後夜明けを待って飛び出す。
朝の散歩で善光寺参りと考え、宿泊は参道にあるホテルを選んでおいた。

外の空気はやはりピンとしていて東京よりは気温はかなり低い。
昨日の雪が凍っていて道が滑るから油断は禁物、慎重に歩く。
特に善光寺に向けて緩やかな坂道だからなおさら気を遣う。
まだ観光客も少ないこの時間に、善光寺を独り占めできるのは気持ちがいい。
本堂の屋根はうっすら雪化粧、周囲の山々は白い。
すがすがしい気分で参拝する。


善光寺の朝

本堂ではちょうど朝の読経が行われ、その後導師が退場する時間帯だった。
その儀式をほとんど人もいないところで見ることができた。
これは朝から縁起がいい。
参拝を済ませてホテルへ戻る。
ホテルまではなだらかな下り、雪が凍りついて怖い。


道路は凍っていた

チェックアウト前でまだ荷物を持っていなかったのが幸い、両手を使い支えながらようやくホテルにたどり着く。
荷物を持って駅へ。
おやつにおやきと土産に野沢菜を買い、10時7分発甲府行きに乗る。
ロングシート車両の通勤電車風だが、席はすべて埋まっていた。

この路線の見どころは姥捨駅周辺の高台から見下ろす長野盆地の眺めである。
とくに普通列車は姥捨て駅の退避線で通過待ちのため5分ほど停車する。
青天の今日はさぞや眺めが素晴らしいはずと、楽しみにしての乗車であった。

丘陵を上り、視界が開けたところに姥捨駅はある。
いったん停車してスイッチバックで後戻りしてホームにたどり着く。
時間があるので、私は外に出て眼下に広がるパノラマを写真に収めた。
特急で何度か通過したことはあったが、各駅停車で駅に降り立つのは初めてだった。

ところが、ホームにまで出て騒いでいるのは私一人。
列車はほぼ席が埋まるほど混んでいて、そのほとんどは大きなトランクを持った帰省と思われる若者や、リュックを持った旅行者なのだが、景色に感動している人はいないようなのだ。
寝ているかスマホをいじっているかで、窓から景色を見ている人さえいない。
こんな景色は見慣れているのか、それともそもそも車窓の風景など見るために乗っているわけではないのか。
わざわざ見に来た私はもったいないと思った。

絶景より スマホ見つめる 近頃の
若いものはと 言うまい言うまい


姨捨の絶景

このあたりもいつもならもう雪がたくさんあっても不思議ではないが、全く白いものは見当たらない。

松本着11時25分
駅のコインロッカーに荷物を預けて手ぶらで街に出る。
これから夕方までかなり歩くつもりなので身軽にしておく必要がある。
実際最後に立ち寄った松本城の急な階段の上り下りはとても荷物持参では難しかっただろう。
ここで荷物を預けたことはとてもよかった。

何はともあれまず腹ごしらえと、駅近くのレストランに飛び込む。
11時半開店だったようだから私が本日最初のお客だ。
ハンバーグ中心のワンプレートランチをおいしく食べ、いよいよ町へ。

松本は言うまでもなく城下町だ。
歴史を経た町並みには風格があり、あちこちに蔵なども残る。
この風景はけっして偶然に残ったものではなく、いかに城下町としての景観を保つか官民挙げての取り組みが続いてきた。
2008年4月から「市都市景観条例」が改正され松本城周辺の建築物の高さ規制が厳しくなることを見越して、その前に駆け込みでマンション建設をする動きが見られた。
これに対し周辺住民が反対運動を起こすなど住民意識は強い。

駅から商店街を抜けて城の方角へと進む。
駅の案内所でもらった地図に「牛つなぎ石」とあったので、なんだろうと寄ってみる。
交差点の際にその「石」はあった。


街角の牛つなぎ石

戦国時代に武田信玄が軍の塩不足になり、敵将上杉謙信が塩を送ってきたときに塩を運んできた牛をつないだと言われる石である、と説明書きがあった。

当時松本地方は甲州の武田信玄の支配下にあった。
武田に対峙する今川と北条は太平洋側の道を閉ざし、甲州と信州は塩不足に苦しんだ。
これを知った上杉は武田とは敵対関係であったが、日本海側の塩を糸魚川経由で松本方面へと送った。
牛の背に揺られて塩が到着した1569年1月11日を記念してこの日が初市の日として塩市が始まったという。

「牛つなぎ石」のすぐ近くに橋が架かる。千歳橋だ。
川の名は女鳥羽川、松本の町のシンボルのような川だ。
以前は松本城の西側を北北東から南南西に流れていたが、武田氏が城下町を設営する際に外堀としての機能を持たせるため水路を変更した。


女鳥羽川

川沿いの小道は繩手通だ。
一本の縄を伸ばしたようなまっすぐな道という意味で、明治になり天皇ご巡幸に併せて南総掘りが埋められ「四柱神社」が建立されてから参道として賑わった。
現在も車は通らない歩行者のみの道で毎日縁日のような賑わいを見せている。


繩手通り

この界隈の主役は「かえる」だ。
50年前にカエル大明神が祀られ、かえるまつりが開催されるなど「かえるの町」として知られ、あちこちにカエルの置物などが置かれている。
飲食店の他、近年はおしゃれな雑貨店も増えて、賑わいも一段と増したようだ。
繩手通に隣接するのが「四柱(よはしら)神社」だ。
天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神を祭神という4柱の神を祀っている。
明治12年の現在地に社殿を造営した。

お参りをして、松本城の横を抜けてしばらく歩き旧開智学校を目指す。
2019年に近代学校建築として初めて国宝に指定されたここをゆっくり見ることが今回の松本見学のハイライトだ。
旧開智学校は明治初期1876年に建てられた。
建築は擬洋風建築と呼ばれる特徴がある。
文明開化の時代に洋風を取り入れた造りが採用された。
棟梁の立石清重は、東京や横浜で最新の建築を見学したうえで、自らのもつ和風建築の技術と融合させ、独創的な建築を生み出した。
この建物は、車寄や塔屋などに洋風を取り入れつつ、唐破風や龍の彫刻などには和風の意匠を用いた。
日本の近代学校制度の初期の校舎としての歴史的な価値に加え、書類、図面などの関係資料が豊富に残っており学術的価値が高い。
室内の唐戸や洋灯の吊元に彫刻が施され、2500枚もの色ガラスが使用されて「ギヤマン学校」という愛称で呼ばれたという。

子供たちが学んだ教室を見てゆくと、当時は日常使いだった校舎が、いま大きな歴史的価値を纏っていることを感じた。
ゆっくりと時間をかけて校舎内を巡り、改めて外から外観を見る。
明治初期の学校とは思えないモダンなデザインに改めて魅せられる。


旧開智学校

さてと、国宝の学校を見た後は、やはり松本に来た以上もう一つの国宝を素通りでは帰れない。
松本城である。
すでに何回か入ったことはあったが、せっかく来たのだから今回も入場することにした。
天守が国宝指定されている城は5つ、姫路城、犬山城、彦根城、松江城とこの松本城だ。


松本城

戦国時代に信濃守護家小笠原氏が築いたとされる。
その後武田氏支配下にはいるが、上杉勢がこの地を収めるようになると小笠原氏の支配に戻る。
1590年の秀吉による小田原征伐により、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移った。
代わりに石川数正が入城し、天守の整備や城下町の整備が行われた。
その後再び小笠原氏が治めた。
5重6階の天守を中心に、北に小天守、東に辰巳櫓、月見櫓をもつ複合連結天守からなる。

なんといってもここの特徴は狭くて急な階段だ。
上る人と降りる人が狭い階段で行き交うから同時には通行しにくい。
お互い慎重に譲り合わなければならない。
大きな荷物を持っての上り下りは難しいし周囲に迷惑をかける。
以前はほとんど見かけなかった外国人観光客たちも、急な階段に声を上げるが、その言語が様々で国際色まことに豊かである。
コンクリートで再現された城ではないだけに、往時そのままの体感が国宝松本城の持ち味なのだが、高齢社会でこんなところにもエレベーター設置の声が高まるのだろうか、気になった。

ぶらぶらと駅に戻り、列車時刻を確認する。
松本発15時55分に乗ると、小淵沢が17時07分。
小淵沢17時22分発が高尾行きで、19時44分着だ。
高尾まで行けばもう我が家は近い。
松本から各駅停車2本を乗り継げば高尾まで行けると思えば、そんなに遠いとは思えなかった。
夕飯用の駅弁を買って乗り込む。


松本駅で買った「大糸線の旅」おかずぎっしりの駅弁だった

横並びロングシートの通勤電車仕様の普通電車がすでに入線していた。
相当歩いてるからひと眠りしたいし、弁当も食べたいがロングシートでは落ちつかないなと思いながら4両の車内を移動する。
すると、一両だけトイレの前の席だけ二人掛けシートになっていた。
やや狭いがここしかないなとすぐに座を占めた。
これは正しい判断で、列車が動き出し駅に着くたびに乗客は増え、立つ人も増えてきた。
唯一の二人掛けシートは別世界、居眠りをし、本を読み、弁当を食べても違和感はなく隣で寝ているおじさんの横で一人だけの世界を満喫した。

小淵沢で高尾行きに乗り換える。
高尾という行き先名を見ると帰心矢の如しだ。
三日間、普通電車に乗りながらも村上の吊るし鮭や長野の善光寺、松本の国宝二か所と見どころも豊富で十分楽しむこともできた。
第二の青春に「青春18きっぷ」はいいアイデアだと実感した。