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西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第50回 あの名シーンをたどる旅

かつてのテキヤ仲間小沢昭一扮する常三郎は死の床に就いていた。
常三郎の女房音無美紀子演じる光枝が、夫に代わり縁日でタコ焼きを売っていたことから寅さんが見舞いに行く。
「俺が死んだらあいつを女房にもらってくれ」
常三郎はとんでもないことを言い出す。
「男はつらいよ」第28作「寅次郎紙風船」である。
帰路、寅さんと光枝が崩れかけた塀と小流れの間を歩く。
アーチ型の石橋に行き当たったところで光枝が涙を浮かべながら「亭主はもう長くはない」と打ち明ける。
シリーズの中でも名シーンと呼ばれる場面だ。
あの場所に行ってみよう、と思い立った。

福岡県朝倉市、筑前の小京都と呼ばれる秋月がその舞台だ。
しかし簡単に行かれる場所ではない。
何かのついでにと思っていたらたまたま仕事で鹿児島本線の基山まで行った。
ここから甘木鉄道で甘木まで行き、バスに乗り換えると秋月だ。

基山発11時55分の第三セクター甘木鉄道に乗る。
一両編成のワンマンカーである。
11の駅があり、甘木到着は12時22分である。
田園地帯をディーゼルカーがのんびりと走る。


甘木鉄道1両のディーゼルカー


甘木鉄道はもともとは国鉄。
戦時中の昭和14年に大刀洗にあった陸軍飛行場への物資輸送のために作られた。
この飛行場は鹿児島県の知覧と並んで特攻隊の基地となる。
戦後昭和61年に私鉄になった。

途中小郡で西鉄と接続しており、乗降客が増えたがあとは平日の昼間で乗り降りする人も少なく定刻に甘木着。
大きな建物もない甘木駅前のロータリーの隅にバス乗り場があった。
接続はよく12時27分に秋月方面行きのバスが入ってきた。
私も含めて乗客は3人。

甘木市内には停留所がたくさんあるがほとんど通過、郊外に出る。
水田の中にときおり古墳のような小山が散見する。
やがて道は小石原川に沿うようになり、砕石場なども観ることができた。

大園橋、夫婦石といったバス停を通過して、12時45分に秋月のバス停に着いた。
ここから歩いて町並みを散策する。
高い建物などなく瓦屋根の家並が続く。
人通りも車の交通量も少ない静かな町だ。


昭和を感じる秋月の家並

あちこちに昔ながらの蔵がある


まず目指したのは城跡だ。
秋月城は城門だけが残り今は中学校の敷地になっている。
城へと続く道は和菓子屋や製麺所など小さな店が点在し風情を感じる。


城に通じる道には風格を感じる

城門だけがのこる


野鳥川という清流が道と並行して流れている。
いくつか橋が架かっているが一番有名なのが眼鏡橋だ。
秋月黒田家は福岡黒田家の支藩で、18世紀後半から幕府に長崎警備役を命ぜられ、長崎の先進的文化を導入していた。

架橋技術もその一環で長崎から石工職人を招き長崎の眼鏡橋を範としてつくられた。
当初は長崎橋と呼ばれていたというこの花崗岩製のアーチ橋は全長15.1メートル、石を敷き詰めた川床を水が白いしぶきを流れ下るさまが美しい。
江戸時代文化7年に作られた趣の深いこの橋が街のシンボルでもある。


この川沿いの道を寅さんが歩いた

街のシンボル眼鏡橋


映画「男はつらいよ」では寅さんがこの橋を渡って秋月の町に入ってくる。
常三郎の女房の光枝が、亭主を見舞ってくれた寅さんを見送ってゆくシーン
「うちの亭主、もう長くはないの。寅さんが見舞いに来てくれた最後の友だち」
そう言って泣きながら去ってゆく。

この撮影は眼鏡橋のひとつ上にある今小路橋のたもとが舞台だ。
赤いセーターの音無美紀子が清流に沿って去ってゆく。
川沿いの道の左手には石垣と白壁が見える。
この白壁の家は地元に多い葛つくりの店だ。
この「男はつらいよ 虎次郎紙風船」は第28作で1981年の作品だから、撮影からすでに40年がたつ。
当時と街並みはほとんど変わらず、のどかな風情を味わうことができた。


タイムスリップした気になる

数時間の昭和旅行でした


14時03分眼鏡橋発のバスでとんぼ返りで甘木へ向かう。
14時20分 甘木駅前着。
14時52分 甘木発 の甘木鉄道に乗り15時18分基山に戻った。
数時間の小旅行、昭和へのタイムスリップのひと時を寅さんと楽しんだ。


映画を思い出しながら旅を楽しむのも一興