「西村晃のマーケティングの達人 大繁盛の法則」企業経営・売上アップのヒントを提供

西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第51回 青春18きっぷ 東北を行く

★7月20日  (月)  くもり時々晴れ

子どものころ永六輔にあこがれた。
彼の深夜放送を聞き、番組本に投稿が掲載されたこともある。
長い休みになるとハーモニカをもって一人旅に出た。
「知らない町を歩いてみたい」
あの「遠くへ行きたい」という曲の調べはハーモニカが似合う。
そして喧騒の町よりも一人静かにさまようところがいい。
天橋立だったり、虹ノ松原だったり・・・。
あれから50年たち、もう永六輔は永遠(とわ)の一人旅に出かけてしまった。
中高年になり時間に余裕ができて今再びあんな旅をしてみたいと思うようになった。

7月20日。
待ちに待った「青春18きっぷ」使用開始日だ。
このチケットは学生の休みに合わせて夏休み、冬休み、春休みの時期に販売される。
夏の使用期間は7月20日から9月10日まで、この間にどんな旅をするかいろいろプランを温めていた。

本日からの夏休み第一弾は東北へ、第二弾は九州へなどと準備万端この日を迎えた。
東海道線戸塚駅から上り普通電車に乗る。当然サラリーマンの出勤にぶつかる。
(諸君は仕事したまえ、吾輩は遊んでくるから)
優越感に浸る。
戸塚からグリーン車に乗る。


全通した常磐線完乗が今回最初のミッション

「青春18きっぷ」は新幹線や特急などには乗れない各駅停車専用切符だが、
首都圏のように普通電車にグリーン車が付いている場合はグリーン料金を払うと
グリーン車に乗れることになっている。
今日は水戸まで3時間あまりグリーン車に乗ることにしている。
グリーン料金わずかに1,000円、お買い得だ。
東海道線に続き上野駅で常磐線のグリーン車に乗り継いで快適な旅を楽しめた。
長く続いた梅雨の雨の日々もようやく回復傾向、よしよし。

上野8時3分発、満員電車と逆行して常磐線を下る。
松戸、柏を過ぎると田園風景が広がる、緑が濃く 陽を受けて色鮮やかだ。
下り電車はガラガラだからこれならコロナの心配もまずないだろう。
何しろ新幹線にも特急にも乗らないのだ。

景色単調につき居眠り。
気が付いたら早くも水戸偕楽園の臨時停車駅を通過、梅のシーズンではないから
通過するわけだ。
水戸駅では4分の待合せで「いわき行き」に乗り継ぐ。
高萩や友部などに停まりながら、いわき着が11時48分。
そうか、もう昼なのだ。
各駅停車の旅は車内販売などはないから食事の調達が難しい。
リュックの中に最悪を想定して非常食は用意してある。
次の発車が12時13分だから30分弱しかない。
レストランで食事というわけにもいかない。

改札を出ていわき駅前の商業ビルに駆け込むと一階にスーパーが入っていた。
漁港が近いいわきのこと、やはり寿司が旨そうだ。
パック寿司とシーズンのサクランボを買い込み、すぐに駅に戻る。
これから乗るのは横一列のロングシート電車だと思われるが、これだと弁当も食べづらいだろうと、発車前に待合室で食べてしまう。
駅コンビニで食後の珈琲を買って12時13分発「原ノ町行き」に飛び乗る。

この原ノ町までの区間の常磐線は原発事故のため長らく不通になっていたが、この春
最後に残された富岡・浪江間がようやく復旧した。
これでこの夏相馬野馬追にも大勢の観光客が来るだろうと期待していたのに、今度は
コロナである。
つくづくツイていない。

富岡、双葉、浪江と原発被災地を抜けてゆく。
沿線は人家も少なく工事用車両ばかりが目立つ。
鉄道から原発自体は見えないが、長らく人の手が入っていないため、空き家や放置され
草むらとなった田畑が目立つ。

岩沼で東北線と合流、15時12分仙台着。
すぐに本日の目的地気仙沼に向かう手もあるが、ただ鉄道に乗るだけではなくやはり沿線を見て歩きたいという思いも強く、 ここで出発を2時間余り遅らせて仙台散策とする。
荷物をロッカーに入れ身軽になって街へ。

仙台駅名物の駅前の大きなペデストリアンデッキを渡ってすぐ近くに「朝市場」がある。
朝だけでなく夕方まで多くの店は開いていて地元の人や観光客を迎えている。
戦後から続きいまも昭和の香りが漂う相対(あいたい)売りの店が70軒ほど、町の中心で大型店も多い中、元気を保っている。


仙台駅近くの朝市場、夕方までにぎわう

ホヤやタチウオなど新鮮な海産物が氷の上に並び、売り声勇ましくコロナもしばし忘れる活気を感じることができた。
青葉通りから一番街商店街へ。

本来ならば七夕の飾りつけが始まっているはずだが、今年は中止。
店ごとに小さな七夕飾りを出しているのがかえって哀れさを感じさせる。
それにしても仙台中心部のこのアーケード街もナショナルチェーンばかり。
地元の人あるいは東北各地からこの商店街を訪れる人は、「東京並み」と思うのかも
しれないが、仙台らしさは来るたびに薄れてゆく。
地元ならではの和菓子屋や食料品店が一つまたひとつと姿を消してゆく。
駅に戻り、牛タンの夕食を早めに取り、夜食に笹かまと「白松が最中」をバラで買って
ホームへ。

予期していた通り、帰りのラッシュ時間帯で、ホームには行列ができていた。
首都圏ほどではないにしてもそこは東北最大の駅の夕方である。
始発の電車に座ろうと入線時刻よりもだいぶ前から乗車口前に人が並んでいるが、
もちろん全員マスク姿で間隔もややとりソーシャルディスタンスは徹底されていた。

地方都市では降りる際ドア横のボタンを押してドアの開閉を手動で行う場合が多いが、「感染予防のため換気を行う関係ですべてのドアを自動で開閉しています」と繰り返し
アナウンスされていた。
また「国土交通省と厚生労働省からのお願い」もアナウンスされ、マスク着用、会話は
控えめ、テレワーク推進の呼びかけが「耳にタコ」状態であった。
17時42分仙台発。

立っている人も多い。
私は一日乗った疲れと早めの夕飯のせいもあり発車と同時に眠ってしまう。
隣の若者もぐっすり眠り、私に寄りかかってくる。
ロングシートだとこういうことはよくあるが、それにしても彼が重たく目が覚める。
ふと気が付くと、あれあれ松島海岸はもう過ぎていた。
暗くなる前に松島の海を見ようと思っていたのに残念。
気がつけば、混んでいた電車もずいぶんと空いていた。
一関で大船渡線に乗り換え、終点気仙沼に20時56分着。
16時間近い初日の乗車時間であった。


★7月21日  (火)   晴れ時々曇り

5時半、駅前のホテルで目を覚ます。
ホテルから片道20分ほど気仙沼港まで散歩。


普段は静かな気仙沼港

気仙沼は何と言っても港町、鉄道駅は港から少し離れている。
ホテルから古い家並の商店街を歩いてゆき、海が近づくと視界が開ける。
道幅が広くなり空地も多い。一目で津波がここまで来たのかとわかる。
海岸周辺の家は建て替えられ新しいものが多い。
遊覧船の船着き場近くには仮設のプレハブのままの商店街も残る。
またウッドデッキの2階建ての施設がほぼ完成していた。
一階が公共施設、二階にはFMスタジオやカフェが並ぶ。
新生気仙沼を感じさせる。

静かな入り江で、いまは修羅場と化したあの津波のことなど全く感じさせない。
朝の散歩を楽しむ人、そして市場へ向かう人、静かないつもの気仙沼の朝だった。
雨は降っていないがどんよりと雲が垂れ込め入り江の向こうの唐桑半島は煙っていた。
散歩を終えてホテルに戻る途中、地元のお年寄りから「何で来たのか」と尋ねられた。
一目見てよそ者、しかも仕事関係とは思えないので声をかけてきたようだ。
それだけ観光客は珍しいということらしい。

ホテルで朝食をとり、9時10分 気仙沼発大船渡線「BRT」に乗り盛を目指す。
「BRT」については説明が必要だ。
JR大船渡線は震災による津波で大きな被害を受け復旧が難しくなった。
そこで線路軌道などを活用してバスを走らせることになった。


線路跡を走るBRT

「BRT」とはバス・ラピッド・トランジットのことで、速達性、定時性の確保と輸送力の増大が可能になるバスシステムを呼ぶ。
可能な限り線路軌道を走行すればスピードが出せるし一般道のような渋滞や信号もない。
万が一再び地震や津波が来た時でも自走により緊急避難もしやすいといったことも
考えられる。
バス運行のほうがコストがかからない面もあり、およそ一時間に一本の割で
運行されている。
気仙沼始発盛行き9時10分発に乗るつもりだが、駅で確認したかったのはこのバスに「青春18きっぷ」で乗れるのかということだった。
結果はOK、あくまでもJR線の鉄道として運行されているバスなので問題ないという
ことで安心した。
昨夜一関から着いた列車のホームと並んでバス乗り場がある。
線路が敷いてあったところが舗装されてバス専用道となり、列車ホームがバス乗り場となっている。
出発時乗客は4人、通勤通学時間帯は過ぎてるとはいえ4人では列車を走らせるほどの
需要があるとは考えにくい。
しかも地元の人が早々に降りるとあとは私を含めて「青春18きっぷ」の客のみだった。
定刻発車。

暫く線路軌道を走る。
単線区間だったから一車線で、対向のBRTが走ってきたら離合する路側帯が
ところどころに作られている。
一般道との交差には遮断機付きの踏切がそのまま機能しており、なるほど鉄道線路だったことがわかる。
ノンストップだからなかなか快適だ。
しばらく軌道を走った後一般道へと出る。

一般道も津波後に作り直したところが多く概してきれいだ。
いくつかのバス停(というか駅)を通過して「奇跡の一本松」に着く。
あの植え替えられたと報道されているおなじみの木が見える。
津波の跡に新しい建物が作られつつある。
その中に廃墟となった学校が永久保存のために残されており、被害のすさまじさを教えてくれる。
「陸前高田駅」9時43分着

鉄道は走らなくなっても「駅」と書いた看板を出している。
津波で跡形もなくなった周辺は整備が進んではいるが、妙にだだっ広いことがかえって
哀愁を誘う。
バスはさらに北上するが、進行方向右側はまるで万里の長城のように堤防が延々と
続いている。
海はすぐそこなのだが、景色を楽しめる場所はあまり多くはない。
10時24分盛着。

盛は三陸鉄道の起点駅である。
ここで三陸鉄道とは何か、整理しておきたい。
交通不便な三陸海岸線に鉄道を縦貫させようという計画は相当昔からあった。
しかし工事が難しいことと収支が見込めないことから計画は難航してきた。
ようやく開通に至った国鉄の盛線、宮古線、久慈線も、1981年(昭和56年)
国鉄再建法による第1次特定地方交通線に指定され、国鉄路線として廃止されることが
決定された。
これを受けて、岩手県と沿線市町村は、第三セクター「三陸鉄道株式会社」を設立した。

翌年の1982年(昭和57年)から未開業区間の建設を進め、久慈線と宮古線、盛線の
引き継ぎと同時に未開業区間を開通させて久慈・宮古間の北リアス線、宮古・釜石間の
山田線を挟んで釜石・盛間の南リアス線の営業を1984年に開始、特定地方交通線を
転換して開業した初めての第三セクター鉄道となった。
開業から約10年間は黒字を計上したが、輸送人員は90年代から減少し1994年
(平成6年)からは赤字経営に転落した。
そこに2011年東日本大震災が襲う。
津波は三陸鉄道に甚大な被害をもたらした。
路線各所で駅舎や路盤が流出し、車両も3両が使用不能となった。
地元の要望を受けて復旧工事を進め2014年全線が復旧し運転再開に至った。


三陸鉄道完乗の旅

同じく震災で不通となっていたJR山田線うち宮古駅 - 釜石駅間が2019年3月23日三陸鉄道に移管されて久慈・盛間が一体となり、「リアス線」として再開された。
しかし苦難はなお続く。
2019年秋、台風19号で再び被害を受け不通区間が生じた。
ようやく2020年3月全線で復旧した途端にコロナ禍が襲い観光客が激減
してしまった。

盛の駅で三陸鉄道の出発まで30分あまり時間があったが、特に駅周辺に時間つぶしの
場所もなく早めにホームに移動する。
11時7分盛発三陸鉄道宮古行きの乗車は三人だった。
盛・久慈間は全長163キロ、運賃は3,780円である。
JR幹線だと同じ距離で3,080円だから700円も高いことになる。
観光でなければ全区間を利用する人はまずいないだろう。
コロナの影響は観光鉄道の経営を直撃している。
観光ポイントの一つ「恋し浜」。


恋し浜駅のこの鐘を二人で鳴らせば恋が実ると言われている

ここからの海の眺望は美しく、恋人同士で鳴らす鐘もある。
ただここで途中下車してもあまり時間を潰すところもなく、次の列車まで
相当待たねばならない。
そのため停車時間が3分用意されていて、ホームで写真撮影する時間を
設けてくれている。
トンネルと海が見える風景が繰り返され、列車は進む。
確かに海は美しく、梅雨の晴れ間を受けて光り輝いている。
鉄道からの景色は上から見下ろす角度なので堪能できるが、昨年この三陸沿岸をクルマで走行した時には、延々と堤防が築かれ景色を楽しむという意味では
あまり満足できなかった。
吉浜を過ぎトンネル抜けると、絶景が広がる。
青空が広がり三陸の静かな海と海岸線の緑が鮮やかに照り輝く。


リアス式海岸の美しい風景が続く

11時58分釜石着。
ここで20分も停車。
その間にいちど改札を出て駅で「ほたてそば」を食べてきた。
駅前のラグビーのエンブレムや製鉄会社の工場建屋などの写真撮影もして、何食わぬ顔でまた同じ列車の同じ席に戻る。


ラグビーの町、釜石の駅前

ちょうど昼どきで、ランチをどうしようかと考えていたのでこの20分は助かった。
釜石からまたリアス式海岸を縫うように宮古へと向かう。
養殖いかだが並ぶ山田湾は穏やかだった。
この辺りも津波の際には多くの人が犠牲になったところだ。
この海が怒りだしたときの怖さが信じがたい。

乗車しているのはわずか数人、 途中から乗る人もほとんどいない三陸鉄道。
東京のマスコミが開業式など賑やかな集まりだけを紹介するが、毎日運行を続けることは生半可なものではない。
もともと過疎が深刻な三陸で震災後人口は戻らず、観光客さえ期待できなくなっている
現実を思わざるをえなかった。。


三陸鉄道の車内、つり革が必要なほど乗客はいないが、デザインがかわいらしい

13時46分宮古着。
ここで次の乗り継ぎ列車で終点久慈を目指すのだが、1時間半も空いている。
この時間で何ができるか観光案内所で聞くと、市場見学はどうかと言われて歩いて
宮古市場へ。
それほど広くなく人もまばらだったが、店に置かれている鮮魚類は新鮮だった。
トラウトサーモンやウニ、生ワカメなど、旅の途中で買うわけにもいかないが三陸の
海の幸を目で味わった。

15時11分宮古発一両編成久慈行きに乗る。
中高年グループでそこそこ席は埋まった。
テレビカメラ取材が撮影のため同乗していた。
「レポーターなし」のようだからBSの絶景旅番組だろうか。
というのもこの手の番組を私自身よく視聴しているので、番組内容からロケの様子が
目に浮かぶのだ。
ある時は運転席の横で、またある時は乗客目線で車窓からの風景を手際よく
撮影している。
昔ならこんな撮影でも4人は必要だったが、いまは地元のプロダクションだろうか一人で簡便にカメラを回している。
余談だが、若いころNHKのローカル局に勤務していた頃「ローカル線風土記」という
番組で廃止対象の赤字ローカル線巡りの番組を作ったことがあったからこういうロケ現場に出くわすとついつい撮影側の意図を考えて落ち着かなくなってしまうのだ。
さて、トンネルと森林、海岸が三拍子のワルツを奏でるかの如く繰返し車窓に
展開してゆく。
リズミカルな鉄道旅行の醍醐味だ。
ときおり鉄橋に差し掛かると、風景をご覧下さいと小休止。
観光鉄道は紹介スポットの録音案内も車内に流れるし、昔のローカル線と違って誠に
サービス精神にあふれている。
16時49分三陸鉄道終点の久慈に着く。


三陸鉄道の終点駅、久慈

完乗記念に切符がほしいと言ったら、ワンマンカーの運転士は使用済みのハンコを押して私に返してくれた。
この辺りも手慣れたものだ。
駅で南部せんべいと名物の地元のかりんとうを買ってすぐにJR八戸線に乗り継ぐ。
17時13分久慈発。
まだ夏の陽が十分に残り、海岸線の美しい風景を楽しみながら進む。
風光明媚な八戸線でもとくに名高いのが種差海岸である。
ここは東山魁夷の「道」のモデルになったことでも知られる。
日が暮れてきたが、陸続きの半島にウミネコが群がっているのがはっきりと確認できた。
国の天然記念物に指定されている蕪島だ。
かつては島だったが現在は陸続きになっている。

ここまでくるともう八戸市内。
工業都市であり、港町でもあり車窓風景にも活気を感じる、本八戸からは通勤通学客が
どっと乗ってきた。
本来ならばこの駅周辺に泊まるのが夕飯の心配もないのだが、翌日のことを考えると、
鉄道乗換駅の八戸駅まで行っておいたほうがいいと計画した。
18時58分八戸着。

駅隣接のチェーンホテルにチェックイン。
無事予定通り二日目を終えた。
東京から常磐線、そして三陸鉄道を完乗し太平洋岸沿いに青森県まで来た達成感に
満足だ。
駅前の居酒屋で夕飯、早々に寝る。


★7月22日  (水)  曇り

5時に起床、朝食後近所を散歩、今日も体調は良さそうだ。
3日目は八戸から「青い森鉄道」と「いわて銀河鉄道」使ってまず盛岡まで行く。
ここで昼ご飯を食べ、JR花輪線で鷹巣へ。
鷹巣から秋田内陸鉄道で角館まで行く予定だ。
もともとはJR線だった鉄道が第三セクター鉄道になった3本に乗るので
「青春18きっぷ」とは別に本日は出費がかさむ。
本日乗るJR区間は花輪線の2,310円分だけだ。
「青春18きっぷ」を使うか少々悩む。
「青春18きっぷ」は12,050円で5日分だから一日当たり2,410円だから、
現金で払ったほうが今日に関しては100円安い。

しかし例えば初日戸塚から気仙沼まで乗っている。
本来は8,870円かかる距離だ。
今回五日間トータルでJR線だけで23,170円分乗ることを勘案すれば、本日も
「青春18きっぷ」を使うことにする。
「青春18きっぷ」は国鉄時代の1983年に10,000円で初めて発売された。
当時は夜行の普通列車も多かったし、第三セクター線などなかったのだからこの切符を
使える範囲は今よりはるかに広かったのだ。
新幹線が増えて便利になったのと裏腹に並行する在来線が第三セクターで別経営となり、あるいは赤字路線が切り捨てられるなどローカル線がどんどん切り捨てられていった。
今後人口減少によりますますローカル線の置かれる立場は弱くなる一方だ。
だからこそ今回のような旅は貴重な経験だと考える。

8時56分八戸発「青い森鉄道・いわて銀河鉄道」盛岡行きである。
二つの鉄道名が連名だが、同じ列車がつながっている線路を走る。
もともとは東北本線の線路だ。


いわて銀河鉄道

青森県内は「青い森鉄道」、岩手県に入ると「いわて銀河鉄道」の管轄下に入る。
大都市圏内の相互乗り入れのようなものと理解すればいい。

目時までが「青い森鉄道」、金田一温泉からが「いわて銀河鉄道」だ。
盛岡まで3,110円の別料金を払った。
「青い森鉄道」はその名の通り緑濃き森林を抜けて快調に走る。
9時32分二戸着、ここで乗務員交代で6分停車。
ここは新幹線も停まる駅だ。
もうひとつの接続駅が「いわて沼宮内」。
しかしほとんど乗降はなかった。
並行して新幹線が走っているから、利用者は高校生や病院通いなど沿線住民に
限定される。
経営も大変だろうなと感じる。

車内で広告を見つけた。「あんしん通院きっぷ」という。
広告によると、たとえば盛岡と、新幹線も停まる「いわて沼宮内」間は通常片道
950円、往復1,900円だが「あんしん通院きっぷ」では1,500円と
400円安い。
さらに介護者と二人セット用を購入すれば2,400円と、1,400円も安くなる。
年金暮らしのお年寄りなどにとってこれは魅力的だろう。
さらに料金だけでなくアテンダントが乗車をサポートしたり、後方車両を
優先席としたり、またパークアンドライドのための無料駐車場を確保するなど、
痒い所に手が届くようなサービスがあるようだ。


車内にあった「あんしん通院きっぷ」の広告

地方ではローカル鉄道が生き残るために様々な取り組みがなされている。
考えてみればこの取り組みは近い将来超高齢社会ニッポンの先取りとも考えられる。
「頑張れ、いわて銀河鉄道」
思わずそう声をかけたくなった。

JR花輪線との接続駅、好摩。
啄木生誕の地、渋民などに停まる。
盛岡に近づくにつれて駅間距離が短くなる。通勤通学客の利便性を考えている。
実際各駅に着くたびにかなりのお客さんが乗ってくるようになり、特に昼間の時間帯なので学生が目立つ。
10時46分盛岡着。
到着時は立っている人もいるくらいだった。

さてこのあとは、12時37分盛岡発に乗り、花輪線大舘経由で鷹ノ巣へ向かう。
ここから秋田縦貫鉄道で角館まで行く予定だ。
盛岡で2時間弱の時間がある。となればちょうど昼時だし、わんこそばか冷麺
ということになる。
今日はわんこそばということにして店をスマホで探す。
名店は郊外なのでそこまで行く時間はない。やむなく駅ビル内の店で我慢する。

駅ビル「フェゾン」の地下飲食街の蕎麦屋に11時開店と同時に入る。
「わんこ体験コース、十皿」とおかわり十皿を注文する。
感染対策で検温、手の消毒に加えて書類に名前や電話番号などの記入を求められる。
この時点で全国唯一コロナ感染者を出していない県が岩手県だった。
こういう県ほどピリピリムードを肌で感じる。
一昨日行った宮古駅のトイレでは、男子トイレは一つおきに使用中止、手洗い場も
隣合わないように一つは閉鎖するなど東京でも経験したことがないほど厳しい対策に
驚いた。
この蕎麦屋も盛岡駅の駅ビルでわんこそばを出すとなれば、顧客対象は観光客と言うことになり、感染者の流入には相当な神経を使っていた。
わんこそば名物の給仕はなく、セルフサービスでと言われた。
併せて20の小皿に一口ずつ盛られた蕎麦が薬味とともに大きな盆に載って到着。


一人わんこそばに挑戦

「ひとりわんこそば」は味気がなくテレビなどで見る、仲居さんの介助が欲しいところだったが、とにかく怖くて仕方がないと腰が引けてお客に近づきたがらない従業員では
どうしようもない。
お邪魔のようなので早々に食べて店を後にした。

時計を見るとまだ一時間以上ある。これまでも何度か盛岡に来るたびに立ち寄っていた
書店に行くくらいの時間はありそうだ。
駅からメインストリートを繁華街に向かって歩き出す。
北上川にかかる立派な鉄橋が開運橋。盛岡市のシンボルのようなこの橋を渡ると、商店街に至る。
歩くこと10分余り、「さわ屋書店」の本店に到着する。
この店を初めて訪ねたのは15年くらい前だろうか。
街の書店が衰退する中に会って孤軍奮闘する経営者の記事を雑誌で読んだのが
きっかけだった。
一言でいえばこの書店には経営哲学を感じるのだ。
多くの書店が問屋にあたる取次会社からの「パターン配本」で金太郎あめ的品揃えなのに対してこの店の書棚からは「本の主張」が聞こえてくる。
「郷土の本や山岳の本の特集をやりたい」「この作家をフェアで紹介したい」といった
経営者の意図が客に感じられるのだ。
もちろんベストセラーや新刊の文庫本なども置いてはある。
そんな場合でも店員が読んだ感想がPOPに書かれ、どうしてこの本がお薦めなのかが
わかるようになっている。
ネット通販の普及、コンビニなどの雑誌取り扱いの拡大、そして何より活字離れという
大敵の前に全国の中小書店は窮地に追い込まれ、平成の30年間で消えた小売業の代表格ともいわれる。
だからこそ盛岡に行く度にわたしは「さわや書店」を見に行く。
地方の文化の拠点としていつまでも輝き続けてほしい。

駅に戻り12時37分発大舘行きに乗る。
盛岡から好摩まで「いわて銀河鉄道」、そのまま同じ列車がJR花輪線に入り大舘
まで行く。
先述したように「いわて銀河鉄道」は「青春18きっぷ」では乗れず別料金だ。
それならば午前中八戸から乗り好摩で降りてこの12時37分盛岡発の列車を待っていれば好摩と盛岡の往復分の運賃は不要だった。
しかしそうすれば何もすることがなさそうな好摩で4時間近くを過ごさなければ
ならなかった。
わんこそばもさわ屋書店もなかったことになる。
「盛岡体験」を買ったわけだ。
ちなみに盛岡・好摩間は片道660円、往復1,320円の出費だった。

13時2分好摩発、旧東北線の線路から分岐し花輪線に入る。
左に雲をかぶった岩手山、水田は緑鮮やかに稲が揃っている。
大更(おおぶけ)平館、を経て13時23分 北森着。
多少の乗り降りがある。
駅前に八幡平市役所の建屋が見える。

松尾八幡平着。
駅近くに「炭住」の廃屋が並ぶ。
松尾鉱山は19世紀末から1969年まで硫黄や黄鉄鉱を産出し、東洋一の硫黄鉱山と
呼ばれた。
その労働者たちが住んだ住宅が廃墟として残っている。
八幡平は国立公園、森林地帯に入り、列車は登り勾配にさしかかる。

その頂点13時36分安比高原着。スキー場で知られるリゾート地だ。
ここから下りにかかり、川と並行する。安比川である。


花輪線は安比川に沿って走る

湯瀬温泉をとおり14時23分に八幡平に着く。
鹿角花輪あたりからは一面田園風景になり、十和田南着。
ここはかつて十和田観光の起点駅でバスの発着なども多く特急も停車した駅だ。
私が乗ってきた列車はここで5分停車し、進行方向を変えるスイッチバックを行う。
スイッチバックとは山間部など勾配のきついところでジグザグに傾斜を上るために行う
運行方法だ。
どうしてこの駅でスイッチバックなのか少し首をかしげる。
かつてこの先に鉱山砕石で栄えた小坂があり、そこへ花輪線を延伸させる計画があった。
それを睨んだホーム設計だったようだ。
十和田南を発車すると米代川に並行して走る。
このあたり東京より一か月以上遅れて紫陽花やタチアオイがまだ残っている。
末広、十二所、大滝温泉などを経て15時25分大館着。
ここで奥羽線秋田行きに乗り換えて鷹ノ巣を目指すが、乗り継ぎの10分を利用して
改札を出る。
駅前の秋田犬の像の写真を撮影するためだ。
大館は秋田犬発祥の地をPRしている。
渋谷のハチ公もここの出身だという。小走りに像まで来ると、犬たちもマスク姿!


大舘駅前の秋田犬の像

こんなことをして観光客が喜ぶと思う発想が貧困ではないか。
さわ屋書店に向かう盛岡の商店街の啄木の像もマスク姿だったし、全国のお地蔵さまも
マスク姿が増えている。
大政翼賛会的日本の発想の貧困さを感じる。

15時36分大館発秋田行き、鷹ノ巣までは18分である。
15時54分着
「秋田内陸縦貫鉄道」鷹巣駅はJR駅のすぐとなりにある。
JRは「鷹ノ巣」なのにこちらは「鷹巣」である。


秋田内陸線鷹ノ巣駅はJR駅の隣にある

青春18きっぷとは別に切符を購入

国鉄時代は阿仁合線だった。
南から伸びている角館線と一本につなぐ秋田縦貫鉄道の構想は国鉄時代からあったが
実現せず。
結局全線開通は国鉄民営化後の1989年。
全長94キロがようやく繋がったが、JRでは引き取れず第三セクター鉄道として
今日に至る。
全通してから乗るのは初めてだ。

16時28分発一両編成が高校生などを乗せて動き出した。
しばらく青田の風景を見ながら進む。
米代川渡る「縄文小ヶ田駅」では、駅前の水田の「田んぼアート」が描かれていた。
目の前で停車してくれたのでゆっくり写真も撮れた。


田んぼアートが楽しませてくれる

このあたり遺跡が多いらしく駅名でもそれがよくわかる。
地図によると大館能代空港が近いようだ。
大野台、合川、上杉と経て次第に杉林の中に入って行く。
勾配を登り始める。
米内沢までで高校生などの地元利用者はほとんどが降りた。
桂瀬を過ぎ、減速しながらカーブ勾配を登り阿仁前田着。

沿線の中心駅阿仁合に17時22分着
10分停車だから降りてみたが、すでにこの時間売店も開いていない。
写真を撮る以外することはなかった。


中心駅の阿仁合

32分に発車。
沿線としては水田がひろがり民家も目立つ荒瀬に停車後、しだいに杉林が近づく右手に
渓谷が広がってきた。
このあたりマタギの里として知られてきた。
マタギとは集団で狩猟を行なう人達のことで、東北、北海道、北関東、甲信越
などにいた。
現代では猟銃を使って生業としている猟師を一般的には言い、イノシシ、クマ、シカなどの狩猟を行なっている。
阿仁マタギはその中でもよく知られた存在だ。
それだけ山深い地をこの秋田内陸鉄道は分け入るように進んでゆくが、さすがに陽が
落ちてきて周りの景色が見えにくくなってきた。
阿仁合を過ぎるとこの時間帯で1両編成の列車にわずか数人の乗客で寂しさを感じる。

外は小雨も降ってきたようだ。
19時ちょうどに終点角館着。
秋田内陸鉄道とJRの角館駅は隣接している。
今日はそのJR駅の敷地内にあるJR直営ホテルを予約してある。
傘もささずにホテルに入る。
時節柄宿泊客も少ないようだ。
到着予定時刻から考えて角館駅周辺には飲食店が少ないことはわかっていたので、
ホテルレストランに夕食を予約しておいた。
地元名物比内地鶏を使ったすき焼きである。
レストランに他の客はなく、独占貸し切り、これならコロナでも安全だ。
これで三日間乗りっぱなしだが、あまり疲れを感じない。
よほど鉄道が好きなのだろうと我ながら感心しきりである。

★7月23日 (木)  晴れ

旅に出ると日常と異なるのがいいと思う反面、旅も生活の一部だからいつもと同じことは極力続けた方がいいという考え方もある。
私は仕事で旅から旅という生活を長年続けてきたから、旅も日常生活の延長と
考えてきた。
したがって朝のルーティンを旅先でも行うのが基本だ。
本日は起床後、体温血圧測定、体操にジャンプ100回、かかとつま先の交互引き上げ運動10回、椅子昇降10回、スクワット10回、腕立て伏せ10回。
そしてブログ更新と短歌創作などを行ってから朝食に向かう。
時節柄朝食はビュッフェではなく、弁当形式。
「そうせざるを得ない」という理屈がまかりとおるコロナの時代だ。
その後、角館の町を散歩する。

武家屋敷の町並みは桜の時期が有名だが、緑豊かなこの時期も味わい深い。
早朝歩く人もいない町を独り占めする。
青柳家はじめ来る度に保存家屋が増えているようで、観光に地元が力を入れていることがうかがえる。
それだけにコロナが恨めしかろう。
桧木内川ぞいの土手の桜並木を散策。
ここを歩くのは初めてだ。
素晴らしい風景だ。
いかにも地方都市にやってきたなという解放感を満喫する。


角館武家屋敷通りの朝はすがすがしい

散策1時間、腹ごなしの良い運動になった。
ホテルで荷物を取りJRの改札を抜けてホームに立つ。
10時ちょうどに角館駅で上り下りの「こまち」が行き違うのを見たい。。
何しろ単線の新幹線なのだ。
私が乗るのはそのあと10時4分発の各駅停車。もちろん新幹線と同じ線路を走る。
本日はこれで大曲へ向かう。
大曲から奥羽本線でかみのやま温泉を目指すのが4日目の予定だ。
今日の移動距離はそれほどでもない。
田園地帯の中を田沢湖線は走る。
鶯野、羽後長野、鑓見内、羽後四ツ屋などを経て大曲着10時26分。

駅では みどりの窓口の前で「東京方面への旅行はお控えください」と掲示があり、同様のアナウンスが繰り返されるものものしさだ。
4連休中なのに・・・。
乗り換えまでの時間が限られ、とくにどこにも行きようもなく駅で時間を潰す。
売店を見ていて気になった「秋田のんめもん弁当」を買い、次の奥羽線新庄行きを待つが11時15分発と時刻表にあるのに何故か表示は11時17分と出ている。
「おや」
なにかあると、ホームに降りると新型車輌の試運転が行われていた。
そのために通常列車のダイヤを変更したようだ。
新型車両の周辺には関係者だけてなく、鉄道ファンも多くカメラを構えていた。
秋田大曲までわざわざ写真を撮るために遠方から来たような装いの人たちで、その熱心さに感心する。

11時17分、大曲発奥羽線普通列車に乗って出発。
横手、湯沢など冬場は豪雪地帯で知られる地域を走る。
山形県に入るとさくらんぼの畑が目立つ。
大半は収穫が終わっているがところどころ赤い実が車窓から見える。
院内、このあたりかつては銀山があったところだ。
及位、これで「のぞき」と読む。
難読駅名のベスト5に入るだろう。

青田が風に吹かれてここちよくなびく。
稲以外にもとうもろこしや野菜をつくる農家も多い。
また林業も盛んな地だけあって車窓から製材所を見つけることもできた。
各駅停車の車窓からは地域の生活や産業が見えて退屈することがない。
新庄着12時56分。
昼時なので次の山形行きが出る14時19分までに新庄名物ラーメンを食べたいと思って
スマホで探していたのだが、駅の近くにこれはという店がとうとう見つからず実際に
歩いてみたものの残念ながら行き当らなかった。

大曲であの「秋田のんめもん弁当」を買っておいたことが結果的には幸いした。
「青春18きっぷ」の旅行では「食べ物難民」になる危険性があるので買える時に
早め早めに食糧を確保しておくというのが鉄則だ。
とくに成果もなく、14時19分発の山形行きに乗る。
新庄からは山形新幹線との並走区間なので広規線路用のワンマンカーとなる。
同じ奥羽線なのに新庄までと、新庄から先では線路の幅が違うわけだ。
普通列車もここまでは狭規用の車輌だった。
新庄駅構内は平面通路で 秋田方面と山形方面ゆきの乗り場が左右にわかれるが、二つの
規格の線路を比べる格好の場所でもある。


同じ奥羽線なのに新庄駅構内で線路は切れている。奥が広軌の新幹線も走れる線路


新庄駅では新幹線とローカル線が共存

新庄を出ると、舟形、大石田と停車する。
この辺り最上川の水運で栄えた地域だ。
さくらんぼ東根あたりはその名の通り収穫を終えたサクランボの木々が車窓左右に
見える。
天童、漆山南出羽、羽前千歳を経て15時32分定刻に山形着。
次の列車まで1時間あるが雷雲接近で駅の外には出にくい。
駅構内にあるメトロポリタンホテルでカフェタイムと決めた。
ホテルの喫茶室も厳戒態勢、ウェイトレスはマスクにフェイスシールド姿。
お客に検温した後、他の客と離れた席に誘導、何やら紙をくれた。
マスクを外すときに直接手を触れずに紙でマスクを挟んで外せるようにした専用の半開きのマスク入れだった。
東京以上にピリピリしていて客も何となく落ち着かない。
客も少ないのにセットのケーキのメニューの種類に売り切れの表示がたくさんあるのは
最初から作っていないのだろう。

16時32分山形発。
16時46分かみのやま温泉着。
ここは上山城の城下町。南北朝時代上山満長が治めた。
その後伊達氏が攻め滅ぼす。
その後上山家の武衛義忠が城を奪還、新しく築城したのが現在の上山城。
その後城主はめまぐるしく変わるが幕末まで上山藩は続いた。

かみのやま温泉は10軒ほどの旅館からなる。
そのうちの一軒、こじんまりした宿を選んだ。
玄関先で検温、フェイスシールドとマスクの女将は慣れない感染対策で手順が
ぎこちない。
部屋に案内されたが、冷茶をもってきてくれた後早々に退去、お客と接するのも控えめにという旅館組合の申し合わせがあるようだ。
部屋に茶器セットを置かない。
洗面用のコップは紙コップ。
手拭きはペーパータオルで使い捨て、などおそらく以前とは違う部屋のしつらえだ。
風呂にしても食事にしても、お客は来てほしいけれどおっかなびっくり、という旅館側のへっぴり腰、怖いものに触れるような気持が見えてしまってなんともいたたまれない
雰囲気だった。

★7月24日  (金)  晴れのち曇り

旅行最終日。
9時チェックアウト、駅までクルマで送ってくれる。
9時47分かみのやま温泉発米沢行きに乗る。
羽前中山、中川。
さくらんぼ畑と水田が広がる。
またぶどう畑も多いが、このあたりはワインの生産も盛んだ。

高台から広がる絶景に見とれているうちに赤湯に着く。
フラワー線乗り換えの駅である。
「南陽市はラーメン」という看板が駅構内にあった。
高畠。
温泉のある駅という看板が見える。
置賜は「おきたま」と読むはずだが駅名は「おいたま」らしい。
10時21分米沢に到着。
コインロッカーに荷物をいれて、タクシーで上杉神社へと向かう。

上杉家はもともとは越後の人である。
上杉謙信は1578年越後春日城で急死したが遺骸は会津を経て米沢に移された。
米沢城二の丸の法音寺を主席とする十一ヶ寺が交代で祭祀を執り行ってきたが、明治に
入ると神仏分離令などにより、遺骸は城内から上杉家廟所に移された。
併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、山形県社「上杉神社」とした。
その後官幣社となり鷹山は新たに設けた摂社「松岬神社」に遷された。
その上杉鷹山の像と、
「為せば成る 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成りけり」
という碑が神社の入り口にある。

上杉鷹山(うえすぎ ようざん)は別名上杉 治憲(うえすぎ はるのり)とも呼ぶ、米沢藩9代目藩主だ。
窮乏していた藩財政の再生を図り江戸時代屈指の名君として知られている。
松岬神社と上杉神社を参拝後、米沢ラーメンと玉こんにゃくを食べて上杉博物館を見学した。
ソフトクリームを食べながら歩いて米沢駅に戻るとちょうどいい時間帯だった。


上杉神社はソーシャルディスタンスで参拝

上杉鷹山公の像

13時8分米沢発。
実は今回の旅の楽しみの一つにこの先の板谷峠越えがあった。
急こう配の上、冬期の積雪も多く奥羽線の難所として知られる板谷峠を在来線の線路を
使って新幹線も走るようになった。
積雪対策のシェルターを作ったり待避線を作ったりと補強工事を積み重ねてきた。
特にこの難所には各駅停車しか止まらない駅があり、そこに降りて写真を撮ったりする
マニアも多い。

関根駅を過ぎると早速山のなかに入ってゆく。
急勾配を上りながらうっそうと繁る山林の中へと入ってゆく。
大沢、そして峠駅に着く。
名前の通りまさに峠の真っただ中、新幹線ではありえないが各駅停車だからみなホームに降りて写真を撮る。
雪よけのシェルターの中に駅があるのだ。


雪よけシェルターの中にある峠駅

そしてお目当てはこの駅で販売している力餅である。
限られた停車時間で待ち構えていた人が次々に手を出す。
なんのことはない。
この列車に乗っていた人たちはほとんど峠見物目当てだったのだ。

板谷を過ぎると、下りに入り一気に加速する。と、ここで突然車内検札が始まった。
もっともほとんどの乗客が出したのが「青春18きっぷ」だった。
渓流にそって平野部に出る。
福島盆地だ。
このあたりフルーツラインと名がつく果樹地帯である。
桃やリンゴの産地として名高い。
13時54分福島着。
14時18分福島発。
ここから東北線に入り、郡山、新白河、黒磯で乗り換えて宇都宮からは上野東京ラインで一気に戸塚まで帰ることができる。
もうゴールはすぐそこだ。
東北は良い天気が続いたが郡山あたりから関東が近づくと雨が降り出した。
まだ関東は梅雨の真っただ中である。
もっとも東北もこの旅行が終わった後で本格的な集中豪雨で最上川が氾濫するなど大きな被害が出た。
5日間運がよかったと後で思った次第である。
18時7分宇都宮着。駅ビルで名物餃子の夕食を食べ、19時4分宇都宮発の
上野東京ラインに乗った。

乗ってみればあっという間の5日間だった。
「青春18きっぷ」に乗車の日付をあらわすスタンプが5個並んだ。
東北6県に足を踏み入れ、海山を楽しみ地元のものも食べた。
コロナ禍で自粛と、自衛ムードに包まれた中であったが密を避ける一人旅は比較的
安全な楽しみであった気がする。
どこに行ってもリスクはゼロではない。
しかし今後我々は長期間リスクと共存せねばならない。
その間に歳を取ってコロナ以外の病気や体力の衰えで旅行もできなくなるかも
しれないのだ。
許された環境の中で可能な楽しみを見出すことを考えるべきだろう。