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西村晃の路地を曲がれば、もう旅人

第42回 2月 伊勢・奈良のドライブ旅

2018年10月31日 水曜日

日の出が遅くなった。
まだ真っ暗な中を出発、一路西へ。
東名に乗り、海老名サービスエリアで小休止したころで夜が明ける。
新東名経由で快走するもこの先渋滞との情報で、三ケ日で東名高速に乗り換える。
東名が二本になってこういう選択肢が広がったことはドライブ旅にとってありがたい。
伊勢湾岸道を経由して御在所サービスエリアで休憩、天むすとずんだ餅を食べながら、この後の計画を考える。
時間を考えると松阪まで行ってランチがいい、という結論に達した。
もちろん牛肉である。

松阪はかつて蒲生氏郷が治めた城下町である。
松阪牛とは「黒毛和種」の「未経産(子を産んでいない)雌牛」のことで三重県の中勢地区でひいくされ、松阪牛個体識別管理システムに登録している牛をいう。
高級牛肉の代名詞として全国的にしられているブランド牛だ。
市内にはすき焼きなどで牛肉を食べさせる店が多いが中でも老舗として知られるのが「牛銀」である。
本館は座敷の高級店だが、ランチに向いているのは併設されている「洋食屋牛銀」だ。
着いたのは11時少し前だがもう店の前には行列ができていた。
カジュアルな「洋食屋」には比較的手ごろなランチメニューもある。
すき焼鍋定食3,000円を注文する。
柔らかい肉に舌鼓を打つ。せっかく松阪に来てランチなのだからこれを食べないわけにはいくまい。


松阪ですき焼き定食に舌つづみ

旅の最初の食事に満足し、急いで市内見物。時間の関係で中心部に絞る。
先ず牛銀近くの本居信長の旧宅、続いて商家の並ぶ一角にある三井家発祥の地、ここは門だけが残る。
その並びにあるのが「松坂商人の館」だ。

この地を治めた蒲生氏郷が郷里の近江から連れてきた商人たちが城下町に住みつき特産の木綿などを商って隆盛を誇ったのが松阪である。
もともと松阪は伊勢参りの参道で交通量が多く、商売には向いていた。
多くの人が行きかい宿場としての機能を有し、何よりも全国の情報がここには集まった。
江戸に住む国学者賀茂真淵が、松阪に滞在したことがきっかけで本居宣長との交流が生まれ、また宣長の弟子が全国に広がったのもまさに情報都市松阪の地の利が役立った。
蒲生氏郷は会津へ国替えとなるが、松阪商人の活躍はその後も続き、江戸で大店を構えるのは松阪商人と言われるようになる。
松坂城は現在城壁だけが残る。また城の傍には御城番屋敷が残る。
江戸末期に松坂城の警護のために派遣された、紀州藩士とその家族が住んでいた組屋敷のことだ。


松阪城は石垣だけが残る

松阪から伊勢道を下り、志摩市へ。
今回の旅にはいくつかの仕事のついでがある。
その一つが志摩市役所訪問で、市長との約束の時刻14時に間に合わせて東京を出てきた。
およそ一時間の用事の後、市役所からもほど近い本日の宿「ばさら邸」へ。
ばさら邸は、離れ形式の宿で三つの露天風呂がそれぞれ特徴がある。
部屋から志摩湾ものぞめ静かなくつろげる宿であった。
前夜から体調悪く、体中痛み熱っぽく落ち着いて料理を味わえなかったのが残念だ。
夕飯後予約した貸し切り風呂「月の宮」だけは何とか入った。
部屋からかなり離れたところにある別棟の風呂で、月を見ながら入浴するという趣向の露天風呂だった。

11月1日 木曜日

翌朝、体調は少しいいようだ。しっかり寝られた。
まず食事前に「貸し切り風呂 天の鏡」へ。
全部で3か所ある露天風呂はどれも予約制になっている。

8時から朝食。
和食のたっぷりとしたボリュームある食事の後3か所目の「貸し切り風呂 くゆりのびり」へ。
ここが一番開放的で気に入った。
チェックアウト後、賢島に向かう。
クルマを置いて港を歩くと、かつて映画「男はつらいよ」で寅さんが歩いた波止場であることが思い出された。寅さんが立ち寄った真珠店は健在だった。
写真撮影の後、クルーズ船へ。
英虞湾を遊覧する「賢島エスパーニャクルーズ」だ。
1600円、所要時間は50分。
英虞湾内をぐるりと一周したあと最後に真珠加工場に立ち寄る。
波は穏やかで入り江の中の島々を見る航海は伊勢観光のハイライトと言える。
私は二度目だったが、このクルーズは季節や時間によって楽しみ方が異なり飽きなかった。


快適な志摩湾クルーズ

航海を終え、近鉄志摩駅に。
志摩サミットの記念館が駅の上に作られている。
サミットで使われた大きなテーブルや、各国首脳の様々なパネル写真が飾られており、ここが歴史の舞台になったことをあらためて思い出す。


サミット記念館

クルマで20分ほど、大王崎灯台に向かう。
「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王がなけりゃよい」と船乗たちに恐れられた大王崎は、志摩半島の東南端にあり、遠州灘と熊野灘の荒波を二分するように突出した海の難所として知られていたところ。
早くから灯台の建設が望まれていた。
現在は灯台の機能はなく、観光の意味だけに存在する。
灯台に続く道に土産物店が並んでいたようだが、すでに店を閉めたところも多いし、開いていても廃墟同然。悪いものを見てしまったという感じだ。「待ちの商売」では時代を乗り切れない。


大王崎灯台からの眺めは雄大だ

小一時間クルマを走らせ北上、二見が浦に着く。
二見興玉神社に詣で、海に浮かぶ夫婦岩を見物。
二見興玉神社の御祭神は、猿田彦大神、宇迦御魂大神、綿津見大神竜宮社。
二見が浦は清らかな渚とされ、古来より伊勢神宮を参拝する人はその前に二見が浦で禊を行って身を清めた。この習わしを「浜参宮」という。
夫婦岩は大小二つの岩を注連縄で結んでおり、沖合700mの海中に沈む猿田彦大御神の霊石と日の大神(太陽)を拝する鳥居としての役割も果たす。
男岩9m、女岩4mの高さ。夫婦和合の象徴。夏至の日にこの夫婦岩の真ん中からご来光がみられる。


二見が浦

二見が浦からほど近く御塩殿神社へ
御塩殿神社(みしおどの神社)は伊勢神宮に奉納する塩「堅塩」を古来より変わらぬ手法で2,000年以上作り続けている社。
伊勢神宮に奉納する御塩の守り神を祀る。境内には御塩を作る施設があり、神社付属の塩田「御塩浜」から運ばれた鹹水を煮詰めて、古式にのっとった方法で御塩がつくられている。

およそ一時間半走り四日市に入る。
ここで打ち合わせの仕事ひとつ。
一時間ほどで終えて、「なばなの里」のライトアップを見に行く。
車運転中に胸などに痛み、薬局に駆け込み湿布薬購入。さらに近くに19時まで開業しているクリニックを見つけ駆け込む。

鎮痛剤で少し痛みが引いたので、予定通り「なばなの里」へ向かう。
「なばなの里」は三重県桑名市長島にある花のテーマパークだ。
世界各国から集めた数百種・1万2千株の花々を常時栽培・展示している。
中でも圧巻はベゴニア園。約9,000㎡の大温室で約5,000鉢の球根ベゴニアが咲き誇る。


なばなのさとベゴニア園

また晩秋から始まるイルミネーションも人気だ。
ベゴニアの圧倒的な存在感に魅了され、温室を出るとすぐに光のトンネルがある。
まばゆいばかりの光のシャワーを浴び、トンネルを抜けると今度は夜空に浮かぶ電飾の富士山が待っている。


光のトンネルは圧巻だ

今回のテーマは「JAPAN」日本の情景。
日本の美を象徴する景観や歴史、文化、伝統まで四季折々の感動的な情景」だという。
なるほど最新LEDと最先端技術を駆使して表現する大江戸絵巻は日本人はもちろん外国人観光客の琴線にも触れるに違いない、と感じた。

「なばなの里」の見学を終え、8時過ぎに出発、今夜の宿泊を予定している伊賀上野まで移動を開始する。これが予想以上に時間を食った。
伊勢道を進み亀山インターで下りて東名阪道を行くことはわかっていたが、初めての道路であるうえ、夜標識などが見にくく道に迷いながら行ったため、カーナビが当初の予定した1時間の所要時間が倍近くかかってしまった。
途中山道の抜け道を通り、鹿に出会うといったハプニングもあった。かつて伊賀忍者が行き交ったような山間道を思いかけず体験する羽目になった。
伊賀上野のホテルに着いたのは10時半近かった。

11月2日金曜日

9時半過ぎに出発。

伊賀上野は伊賀流忍者発祥の地でありまた松尾芭蕉の生誕地でもある。
伊賀上野城公園の中に芭蕉翁記念館と伊賀流忍者博物館がある。
芭蕉翁記念館は昭和34年(1959)に俳聖芭蕉翁を顕彰する事業のひとつとして建てられた。
館内の芭蕉文庫には翁の真蹟をはじめ近世から現代に至る連歌俳諧に関する資料が数多く保存されている。また近くにある俳聖殿は松尾芭蕉 の旅姿を模した八角堂だ。


伊賀上野城

伊賀流忍者博物館は伊賀流忍者屋敷と忍者伝承館がある。
忍者屋敷には驚いた。
案内役の女忍者は日本人ではなかったのだ。
日本語堪能な香港出身の「女性忍者」が、日本人の私たち見学者に忍者屋敷の仕組みを説明してくれるという少しおかしな構図だった。
しかし外国人にニンジャは大人気でおそらくいつもは観光客の大半は中国系を中心とした外国人だろうから、忍者も中国語が達者な方が理に適っているのかもしれないと納得した。
伊賀上野城は天正13年(1585)に筒井定次が平楽寺・薬師寺のあった台地に築いた。
慶長13年(1608)8月、徳川家康が宇和島城主であった藤堂高虎に、伊賀の国10万石・伊勢の内10万石、伊予の内2万石、合わせて22万石を与えた。


流ちょうな日本語を操る女忍者

伊賀上野から国道368号を奈良方面へと向かう。
道は山あいに入ってゆく。
まだ紅葉は見られない。今年の秋は冷え込みが遅く木々の色づきも遅いようだ。
途中昼食休憩をはさみ、1時半過ぎに室生寺到着。
室生寺は太鼓橋を渡り、表門と仁王門から境内へ入る。
本堂では真言宗の重要な儀式である潅頂が行われる。
潅頂とは仏様と縁を結ぶための儀式のことだ。壇の上に曼荼羅を敷き、樒(しきみ)の葉を持って目隠しをし、曼荼羅の上に落とす。
その葉が落ちた位置に描かれている仏様と、縁が結ばれるというものだという。
一般の人が行う潅頂を「結縁潅頂(けちえんかんじょう)」、僧が修行をはじめる際に行うのは「受明潅頂(じゅみょうかんじょう)」、僧が修行を終える際に行う「伝法潅頂(でんぽうかんじょう)」など、潅頂にはさまざまな種類がある。
この儀式を行うため「潅頂堂」には明かりとりの窓がなく、正面の蔀戸(しとみど)をおろすと、堂内はほとんど暗闇となる。
五重塔の西側の山は、如意山といい真言宗の寺にとって重要な場所にあたる。弘法大師・空海が、師事する恵果阿闍梨(けいかあじゃり)より授かった如意宝珠を、この山の頂上に埋めたと言われている。

奥の院までは行かずに引き返したが、それでも優に一時間はかかった。
室生寺を早めに切り上げたのは、この後今回のハイライトである「正倉院展」に行かねばならないからだ。
室生寺から小一時間で奈良市内に入り、奈良公園近くの駐車場にクルマを停める。


室生寺

奈良国立博物館へ歩いてゆく。
正倉院展は前から一度来たいと思いながら果たせずにいた。
毎年この時期2週間余りの会期だが仕事が忙しい時期で時間を取ることができないでいた。
それだけに今回はどうしてもという思いが強かった。
70回を迎える正倉院展は貴重な所蔵品が毎年品を変えて展示される。
今回は北倉10件、中倉16件、南倉27件、聖語蔵3件の、合わせて56件の宝物が出展された。
聖武天皇ゆかりの平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)をはじめ、沈香木画箱(じんこうもくがのはこ)、玳瑁螺鈿八角箱(たいまいらでんはっかくのはこ)、犀角如意(さいかくのにょい)など、珍貴な素材を惜しげもなく使い、技術の粋を尽くした華麗な工芸品が並ぶ。
また今も身近な素材である麻は、古来様々な用途に用いられ、麻布は税として地方から都に納められていた。
今年は平成25年度から27年度にかけ、宮内庁正倉院事務所によって行われた特別調査を踏まえ、麻を用いた様々な宝物も出展された。
この他正倉院宝物と同時代に、朝鮮半島に栄えた王国・新羅(しらぎ)に関わる宝物も多数展示されていた。

初めての正倉院展の見学は興味深かったが、何より夕方でも行列ができるほどの見学者の多さとともに、見学する人の熱心さと同行者との会話から感じられる知識の深さに驚かされた。
歴史と身近に暮らす奈良・関西の人たちの博学さを垣間見た思いがした。
見学終了後、途中食事をして天理へと向かう。
本日は天理に宿泊する。

11月3日 土曜日

天理に宿泊したのは意味がある。
本日帰京する前に 纒向(まきむく)遺跡を見ておきたかったからだ。
纏向遺跡は初期ヤマト政権発祥の地として、あるいは西の九州の諸遺跡群に対する邪馬台国東の候補地として全国的にも著名な遺跡だ。
農耕具はほとんど出土せず、土木工事用の工具が圧倒的に多い事など、他の一般的な集落とは異なる点が多く、日本最初の「都市」、あるいは初期ヤマト政権最初の「都宮」とも考えられている。
発掘調査は1971年以降、桜井市教育委員会と県立橿原考古学研究所によって行われているが、2013年には一部が国史跡に指定されたものの、調査面積は南北約1.5km、東西約2kmにもおよぶ広大な面積の2%にも及ばず、不明な部分が多く残されている。
また箸墓古墳というのは纒向遺跡の南側部分に位置する扇状地上に形成された全長約280mの前方後円墳だ。後円部径は155m、前方部長125mで、墳丘は葺石(ふきいし)を持ち、後円部は円形壇を含めて5段、前方部前面が4段の段築で構成されている。
この古墳は倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として陵墓指定され、立ち入りが制限されている。
田畑の中に散在する古墳を見ながら桜井市立埋蔵文化財センターへ。


歴史ロマンをかきたてる纒向遺跡

大神神社の一の鳥居が近くにそびえている。
本日は文化の日で見学料は無料とのこと、文化の日にふさわしい史跡巡りではある。
ここには大神山信仰と祭祀遺跡、埴輪、木製の仮面、纏向遺跡の出土品が展示されている。

遺跡見学を終えて帰路に就く。
名阪国道から東名阪道を経て途中三重県の多度大社に立ち寄る。
ちょうど昼時だったので一の鳥居近くにある「だるまうなぎ多度本店」で昼食。
もちろんうなぎだ。
田畑のなかにある一軒の集客力は大変なものだった。

多度大社は三重県桑名市にあり、旧社格は国幣大社。
天津彦根命(天照大神の第3子)を主祭神とする。
天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神である。
天津彦根命が天照大神の御子神であることや参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。
境内には天津彦根命の子である天目一箇命を祀る別宮・一目連神社があり、本宮とともに「多度両宮」と称される。
本宮はこんもりとした森の中に鎮座しており、落ち着いた風格のある神社だった。


多度大社

これで今回の見学予定は全て終わり。
クルマを運転しながらもずっと体中が痛み楽な運転ではなかったが、とりあえず予定したコースは全て回れてホッとした。
多度大社の門前で買ったみかんを頬張りながら桑名東ICから東名阪道、伊勢湾岸道路を経て新東名高速道路経由で4時間ほどで帰京した。
伊勢から奈良へと歴史散策の晩秋のドライブは、知的好奇心を満たしてくれた。