
全共闘世代から嵐大好き世代まで幅広く顧客を掴んでいる壁の穴。
外食産業の寿命は短いといわれる中で日本でも有数の歴史をもつパスタの専門店だ。
まだイタリアンレストランが一般的でなかった時代から、
醤油をベースに納豆やイクラなど和風の味付けをしたパスタを開発をするなど、
顧客志向の経営をしてきた。その延長上で、現在はうどん業態「四國」も展開している。
いまから40年前の70年代初頭、日本の外食産業は開花期を迎えていた。
銀座にマクドナルド1号店が開業したのは1971年。
「ケンタッキーフライドチキン」やファミリーレストランの「ロイヤルホスト」、
「すかいらーく」なども相前後して登場、洋食がごく日常の外食風景となった。
だが、スパゲッティ専門店「壁の穴」が東京新橋田村町に登場したのはそれよりもさらに
15年近くさかのぼる1953年(昭和28年)のことだ。
日本の洋食チェーンとしてはもはや老舗といっていいだろう。
当時、スパゲッティの専門店はまだ珍しかった。
そこで「壁の穴」は、まず日本人になじんでもらうためタラコ、
ウニ、納豆など日本人になじみのある食材を使ったスパゲッティを作ってメニュー化していった。
今でこそおなじみの和風スパゲッティの草分けのレストランなのだ。
その後渋谷に移転、食の洋風化の波に乗り、当時の若者に絶大な人気を集め次第に店の数も増やしてゆく。
東京や大阪ではもっともよく知られたスパゲッティの店といってもよいだろう。
私自身学生時代新宿や渋谷の「壁の穴」にはよく出かけた。
青春の思い出の店の一つといってもいい存在だ。
ただ近年は少しご無沙汰していた。
それは別に「壁の穴」の評判が落ちたといったことでは決してない。
外食産業自体が、何年も一人の客がひいきにしてくれるということがほとんどない業種なのだ。
みなさんだって「ああいい店だ」と思って二度三度と行く店はあったとしても、
30年も40年も通いつめるということはまずないはずだ。
次々に新しい店ができる都会では、その店が悪くなったわけではなくても、
お客が目移り浮気することは珍しくない。たとえばあれほど全国に店を展開していた「すかいらーく」が消え、
同じグループが別の名前の業態を多店舗展開しているが、40年を経てビジネスモデルが飽きられ、
あるいは時代に合わなくなってしまう何よりの証拠だろう。
その点、「壁の穴」がいま持って東京、大阪を中心に10数店を経営していることは、
いかにこの店が時代に乗り遅れないように工夫を重ね、また顧客満足経営をつらぬいているかということを物語っている。
ところで「壁の穴」という名前の由来をご存じだろうか。
シェイクスピアの真夏の夜の夢に出てくる「ホール・インザ・ウォール」に由来する。
恋人同士が壁の穴を通して囁き合うというシーンだが、原作では二人が結ばれるまでの障害を壁にたとえている。
つまり壁の穴とは障害を乗り越えて心を通じ合うために存在したわけだ。
この壁の穴のようにお客様と心を通じ合わせたいというのが名前の意味だ。
この屋号の通り顧客との会話が店を支えていることが、取材を通じてわかってきた。
「壁の穴 千葉そごう店」はJR千葉駅から直ぐの千葉そごう10階にある。
ガラス張りでスパゲッティのサンプルが壁いっぱいに散りばめられた、洒落た店だ。
店内には、テーブル席とカウンター席があり、そのカウンター席からは、
大きな釜で茹で上げられるスパゲッティを間近で目にする事が出来る。
平成21年入社の鈴木陽子さんは「お客様のわがままに答えることが喜び」と語る。
「私、納豆が大好きなの、といったお客様には厨房のスタッフにそれを伝えて少しだけ多くトッピングしてもらったり、
どうしても1つに決める事が出来ないお客様には、スペシャルでハーフ&ハーフにしてもらったり…。
お客様が驚き、喜ぶ姿が私は大好きです。お子様が来店されたらお絵描き帳で一緒にお絵描きしたり、
お行儀よく食べてくれたら、アイスクリームをサービスしちゃったりします。
お客様の会話から「誕生日」なんて声が聞こえたらデザートプレートをサービスして、
ハッピーバースデイを皆で歌っちゃったりします。
そんなお客様から「ありがとう。美味しかった。また来るね」と言って頂ける事が私達の一番の喜びです。
美味しい料理と私達の笑顔は、年中無休です」。
なるほど、壁の穴のコンセプトを体現したような話だ。
鈴木さんは従業員みんなが顧客満足という点で一体感を持つて取り組んでいると強調したが、
いわゆる「従業員満足」こそ「顧客満足」につながるということだろう。
大阪京橋店で勤務する高山大志さんは、入社3年。
以前は個人の小さな洋食店で働いていたが結婚を控え、安定した会社で働きたいと「壁の穴」に転職した。
「お客様に対するおもてなしの心だけでなく、まずは従業員同士を思いやる心、
そして料理に対する心という飲食業・サービス業においてとても大切なことを、
壁の穴は人と人とのつながりを通して実践していく会社なのだと理解しています。
まだまだ失敗することも多くありますが、そんな時でもいつも上司はただ感情任せに怒るのではなく、
私がなぜ失敗したのか、その失敗を次につなげるためにはどうしたらよいのかということをいろいろとアドバイスしてくれます。
キャリアの浅い私達の意見にもいつも耳を傾けてくれ、
上司と部下の垣根を越えた人間同士の付き合いを大切にしてくれます。
一人ひとりのモチベーションが高い環境で働いていることを誇りに思っています」。
従業員のモチベーションの高さが定着率の向上につながり、結果としてサービスレベルが高くなり、
顧客はますますファンになるという好循環を生む。
ところで55年の伝統のなかで、「壁の穴」も進化をつづけてきた。
「壁の穴」というワンブランドだけではなく、
若者向けイタリアンの「スパパラ」や「ラ・ボッテ・ピッコラ」、「ブコ・デ・ムーロ」。
またカフェ業態の「グラン・ディーバ」、さらに意外に思うかもしれないが、
さぬきうどんの店「四國」も実は「壁の穴」グループの店である。
「店舗の内装をしている親会社が四国でさぬきうどんの店を紹介されたことがきっかけでチェーン展開を始めました。
本場さぬきの本格的な味を全国のお客様に味わっていただきたい。
今後高齢化の進展で和食うどん市場はますます広がると見ています」と、伏木建一社長は語る。
札幌の中心部、大通駅の地下通路を歩くと「四國 札幌店」がある。
店内はテーブル席とカウンター、それに座敷があり木目調の落ち着いた空間だ。
「釜揚げ」「釜玉」「生醤油」「ぶっかけ」など本場四国でもふつうはそれぞれの専門店でしか味わえない様々なうどんがこの店だけで楽しめるのが特徴だ。
だしは伊吹島産の「いりこ」、塩は、鳴門の「海洋深層水塩」で、
本場四国から仕入れた粉を使用して作りたての讃岐うどん提供している。
よく出るメニューは「釜玉」。釜から直接揚げたうどんにこだわりの生卵をからめ、特製のだしをかけて食べる。
卵のコクとまろやかさ、だしの風味、うどんのコシが売り物だ。
新しい業態で若い顧客もとりこみながら、伝統の「壁の穴」の和風スパゲッティの味を守り、
さらに「壁の穴」に青春時代の思い出を持つ古くからの顧客層には、うどんの店にもどうぞと提案する。
世代を超えた顧客を従業員のチームワークでどうもてなしてゆくか。
「壁の穴」は半世紀を過ぎてまだまだ進化形だ。