
「うなぎ飯」といえば浜松の駅弁として全国に知られる。この製造メーカーは江戸時代殿様から屋号を頂いたという地元の老舗。
その伝統ある会社に若い女性の社長が就任した。新しい感覚で、顧客開拓に踏み出した。
浜松の駅弁と言えば、うなぎ飯を思い浮かべる人が多い。
かつて養殖うなぎの産地として栄えた浜名湖。
その名産の駅弁はかつて東海道を旅する人にとっては欠かすことのできないものだった。
新幹線が開業する前、在来線特急は東京と大阪を8時間以上かけて結んでいた。当然途中での食事が必要になる。ちょうど東京と大阪の中間あたりに位置する浜松の駅は、停車時間を利用してホームに降り、弁当を買い込む旅人の姿が多くみられた。
まさに旅の必要性から「浜松のうなぎ飯」はヒット商品となったのである。
この駅弁を製造販売してきた会社が「自笑亭」である。
自笑亭の歴史は、鉄道の歴史よりもはるかにさかのぼる。
江戸時代末期浜松の町で料理屋「山六」を営んでいた山本六兵衛は浜松城最後の城主井上河内守正直に大変可愛がられ城に呼ばれて料理をつくっていたようだ。そして正直が六兵衛に「人の心を安らかにさせる自然の笑みがすばらしい」と「自笑亭」という屋号をつけてくれたという。それがペリーが黒船で日本にやってきた翌年の1854年というから、150年も続く老舗なのである。
明治21年国鉄東海道線の開通と浜松駅の開業に伴い、駅構内で弁当の販売を開始した。」最初の頃の駅弁は竹の皮に包んだおむすびだったようだ。
その後第二次世界大戦の空襲で弁当業も壊滅的な被害をうけたが、見事に立ち直り浜松の名物駅弁として、戦後発展を続けてきた。
「当社は、うなぎ飯はもちろんですが、地元の皆様のありとあらゆる食のニーズにお応えしてきました。冠婚葬祭をはじめさまざまな会合に仕出し、お弁当などをご提供しています。お約束した配達時間をしっかり守ることを徹底し、またマニュアルに沿うだけでなく、臨機応変にお客様に対応することを全社の目標にしています」
2009年に社長に就任した山本りささんはこう語る。
「ありとあらゆる」という中には、浜松駅構内のハンバーガーチェーン「フレッシュネスバーガー」や掛川駅南口に2010年にオープンした「カフェ・ド・ラーフ」といったうなぎ飯のイメージからは想像もつかないような業態も含まれている。
まだ若い山本さんは管理栄養士の資格を持ち、病院勤務の経験も持っている。
「先代の父からは、常に新しいことを取り入れよ、と言われてきました。まだ周りに助けられてばかりですが、伝統を守りながら新しいことにも積極的にチャレンジしていきたいと思います。私は音楽を聴くことが大好きで、お気に入りのアーティストのライブによく出かけますが、会社もアーティストと同じではないかと考えるようになってきました。ライブにくる人は「お客様」ではなく『ファン』なのです。そしてファンは無条件にそのアーティストを受け入れます。お客様にファンになっていただき、社員も会社のファンであり自らも情報発信ができ、経営者もお客様や社員を大切にする、こんな会社にしたいと思っています」
創業から150年。10代目の若い感性豊かな女性社長を迎えた「自笑亭」は、新たな発展段階を迎えている。